1周年〜16年前の追憶と共に〜

現在住んでいる場所に引っ越して、今日でちょうど1周年になる。この1年間、色々あったとも言えるし、また割とあっさりと過ぎてしまったかな、とも思う。無事平穏だった、と一言で片づけることも出来るのだが。
 先週末は実家に帰り、久々にのんびりと過ごした。しかし、ある違和感がつきまとう。…そう、長年過ごしたはずの家が既に自分が居るべき空間と既に違うものとなってしまっていたのだ。まるで親戚の家にいるかのよう。今までこんなことを思ったことは一生に一度もなかったのに。
 その昼間、美容院にて伸びきった髪を切ってもらっていると、「すみません、今どれくらい待ちますか?」とドア開けざまに質問する女性が現れた。私は正面の鏡越しにその女性に目をやるが、「えっ…この人歳いくつだ…?」と即座に思った。見た目はまだどこかに幼さを残すが、異常なほどに落ち着いた雰囲気をまとっていたからだ。その女性が実は中学生であったことを知ったのはその数分後だった。
 教育の現場ではよく「つくばの子は特別」と言われているそうだ。私は割と最近までその言葉の真意を汲み取ることは出来なかった。なぜなら私自身がかつてつくばの子だったからだ。しかし、最近になってその意味を少しずつ理解し始めるようになった。世間でも「最近の子は感情が育ってない」とよく言われており、私もそれを強く感じるシチュエーションは少なくない。しかし、それは私の場合少し違っていて、どうやら「つくばの子」と「つくば以外の子」のギャップによるものも多いと言うのが真相らしい。

 「一生まじめに頑張ってね」

 これは私が小学5年生のとき、当時通っていた学校より転校する際にある子が色紙に書いてくれた言葉である。その子は気が強くて活発で、しかも背負っていたランドセルが黒で短髪で、最初見たときは「男?女?どっちだ??」と本気で思った。実際、ある機会に友人に聴いた答えは「男女だよ」であったくらいなので、そう思ったのは私だけでは無かったようだ。しかし、小学5年生の途中くらいから雰囲気が変わっていった。少しずつ落ち着いた雰囲気を漂わせるようになった。多少は騒ぎ合う仲であった私は少し寂しかったが、当時の担任は至極当たり前のように我々の前で話した。「あの子は今大人になりかけてるのだ」と。
 そして私は転校。しかし転校とは言え隣町の小学校であったため、「どうせまた会えるんでしょ」と言った感じで冷やかし半分、冗談半分、あとは時事ネタ程度のコメントが多かった。その中で、前述のコメント。私にはその重さを感じずには居られなかった。
 そう、当時は私も前出の美容院で見た女子中学生同様、いわゆるつくばの子の1人だったのだ。

 今の自分がつくば以外の場所にいることを「自分はつくばという街には必要とされていない」と常々思い、それを背負い、言い訳とすることで自分自身をつくばと言う街に帰らせることを諦めさせようとしてきたが、まだ少し早すぎると思い知らされた。
 「一生まじめに頑張ってね」
 …まだ一生と言う観点では私はその半分をも過ごしてはいないだろう。だから諦めず頑張ろうと、そう自分に鞭打ち、夢を追いかけてみようと思い直した。

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