なんかまたこんな事件が起きちまったようですな。この間の三茶の事件といい、電車では当たり前のことでキレちまう若者が多い模様。もはや電車も安心して乗れない時代になっちまったか…。
でもね、わしはここで「今の若者は…」なんて言いたいとは思わないんだよね。だって、子供はその成長過程で大人が作った社会に影響されて育つわけで、その原因の根底は間違いなく「大人達」にあると思うんですよ。「子供をきちんと育てない大人の責任」等というのは簡単ですが、どちらかって言うと「きちんと育てない」というより、「きちんと放っておかない」のがわしは問題かな、と思うわけです。
わしの母校は地元では最大の私立高校なんですが、ここ数年前からスクールバスによる送迎を始めたらしいんです。…いや、駅から学校までのスクールバスだったらまあ以前からあったんですが、今はなんと30〜40km離れたところまでへも迎えに行くらしいんですよ。要は「電車等ではなにかあると心配」という親の気持ちをうまく利用して、生徒数の確保を…という学校の営業的な理由による物なんだそうです。「そんなことする必要あるんですか…?」と、その話をしてくれた恩師に尋ねたんですが「今となっては他校もやっていて、うちだけやらないというわけにはいかない」と仰ってました。確かに営業的見地からしたら全く異論を唱えようも無いんですけど、これじゃ学校と家を往復するだけの高校生活になってしまい、本来その道程で得るべきものが全く得られないんではないか、とわしは危惧してしまうわけです。
本来、高校生にもなればたとえ30〜40km程度学校まであるとしても、その子供は電車なりバスなりを使えば自力で通えないということはないわけで、それを「何かあったら」等という理由でやらせないのは「親」として問題なのでは無いかと。「何かあったら」というその「何か」だってある意味勉強なのではないでしょうか。
今回の事件にしても結局のところ、前述のように「当たり前」、言い換えれば非常にありふれたことで若者がキレて、相手を撲殺してしまった…ということなんですけど、その若者にとってその「ありふれた」ことが、今まで「あり得ない」ものであったとするならば、キレてしまうのはある程度納得がいくことかな、とも思えてきます。わしは子供の可能性を信じようとしない大人達こそが「甘えてる」のではないかと考えています。子供にだってやれることやらせなきゃ育たんぞ、などと偉そうなことを言ってみたり(^^;。(わしは子持ちじゃないから「なんとでも言える」と言われればそれまでなんですけど)