以下、鬱まりモードの文章なので、興味ない人は読み飛ばすべし。
かつて撮った数枚の写真があった。
私とその家族が公務員宿舎に住んでいた頃、そのベランダなどから撮った、秋の色に染まる街の風景だった。17年後の今日、その風景を夢で見た。その写真の存在すら、もはや忘れていたのに。
…幼い頃の記憶がよみがえってきた。* * * * *
「この場所から見る最後の秋の風景だから」と、
親のカメラを借りて、まずはベランダに出た。
このベランダにはいろんな思い出があった。最たるものは、ニワトリをここで飼ったことだろうか。もはや、その面影は僅かに残るのみになっていたが。
4階にあるそのベランダから撮ったのは、西南西の方向。夕方であれば美しい夕日が見ることが出来るその方角にレンズを向けた。
次に外に出てみた。
今までありふれていたこの風景ですら、これからは殆ど目にすることはないんだろうな…と、思いながらシャッターを切る。
そして、まだその街が科学万博の成功を知らない頃、街最大の2つの大通りが交差するその場所でも、シャッターを切った。数日後、現像された写真はただのありふれた光景を写しているのみだったが、その光景を見ることが出来なくなるのは、それから半年後だった。…
* * * * *
私が夢で見たのは、これらの写真のうち「大通りの交差する場所で撮った写真」の風景だった。ここの風景は、17年経った今でも実は殆ど変わっていないのだが、不思議と私にはその頃が非常に懐かしく思えた。懐古…と言うべきか。
しかし、私のそれはあまりにも異常と言わざるを得ない。
実は、かつてより季節の変わり目になる度に、それらの思い出で現実まで振り回されてしまっていた。酷いときは人を巻き込んだ。いや、人を巻き込まなかったときの方が少なかったのかも知れない。そして、殆ど無意味と言えるほどの焦燥感に駆られ、その街を徘徊せずにはいられなくなっていた。
ある時はそれをある女性への想いと勘違いしたこともあった。
もはや届かない思い出を、再び我がものにしようと躍起になった。どうしようもないことは分かっていたというのに。この1週間、まさに私はその焦燥感に駆られ続けている。
最初の発症から既に14年、もう「恒例のアレか…」と言う感じで冷静に見られるようになったけど、何となく気持ちが一つに定まらない。仕事をしていても上の空。正直、困ったもんだな…と苦笑するしかなかった。今はただ静かに、この嵐が通り過ぎるのを待つしかない。
これ以上、自分が壊れないように…。