仕事始め

今年も色々と年賀状が届いたですね。特に最近は結婚式の写真や、子供の写真、家族の写真などが印刷された年賀状が目立つようになり、「ああ、わしももうそういう歳だねぇ」と、改めてしみじみ思ったり。

そんな幸せそうな夫婦からの年賀状が多い中、今日届いたある女性からの年賀状は、明らかに異彩を放っていました。

その女性は、一昨年結婚した方でして、昨年の年賀状は他の夫婦同様、幸せそうな結婚式の写真が印刷されていました。しかし、今年の年賀状は…内容は非常に簡素なものでしたが、その文からは明らかに夫のDVが酷いことが伺えます。年賀状にこの様な内容を書いてくる辺り、かなり異常な状況と言えましょう。この様な文を受け取ったわしは、その女性にはかつて大変お世話になったこともあり、色々と話を出来たらいいなぁ、と思ったのですが、ここであることに気付きます。

「その(DVを行う)夫に気付かれずに、その女性に連絡を取るための手段がない…」

ああ、これがDVの恐ろしさなのか。こうやって助けようと手をさしのべようとしても、むしろ追い打ちを掛けてしまう可能性すらあるため、何も出来ないわし…ううむ。

…と、いや、ここで語りたいのは、何にも出来ないわしを嫌悪することではなく、実は将来の自分に対して自戒したいのでして。と言うのも、わしはその女性の夫も知っているのですが、なんつーか、わしと性格的に共通部分が多くて(^^;。

事実、わしはかつての彼女に対し、暴力的な行為を行ったことがあります。最初は惚れて惚れ抜いて、やっと付き合えることになった彼女だというのに、付き合っていくうちに、なんていうか、自分の「物」みたいな感覚に陥り、自分の思い通りにならないと、怒鳴ったりわめき散らしたり、終いには胸ぐらを掴んだりしたこともあります。今思えば酷い行為ですが、当時はそうやって威圧的に迫り、泣かせたりすることで、優越感というか、「お前は俺の物だ」という身勝手な欲望を満たしていただけなんですね、きっと。

その後、その彼女はわしの手を離れ、さらに自らの失態によりプライドをズタズタに引き裂かれ、それまでの自分の間違いに気付きます。「彼女というのは、『物』ではなくて、『自分の半身』。相手を傷つければ、その直後の痛みは無くとも、いずれ、それ相応の痛みを味わうことになる」と知ったのは、その時でした。

暫くはその傷の痛みから立ち直れず、恋愛に臆病になっていたわしですが、それから10年以上の歳月が経ち、わしはある決意を持って、一つのプロジェクト(と呼べるかどうか不明ですが)に今まさに臨もうとしているところです。わしが二度とこの様な過ちを起こさないようにするのは勿論ですが、願わくば、前述の女性や、当時のわしの彼女が今後、幸せに過ごせますように。

#と、この文章を書いていたら、実家より「当時の彼女からの年賀状が届いている」との電話あり。偶然とはいえ、なんか妙な気分だ…。

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