国土交通省のwebページにて公開されている国土画像情報(カラー空中写真)閲覧機能(試用版)と言うページの存在を、今更ながらに知ったので、自分の知っている場所を何カ所か見てみました。
先ず、宇都宮市の自分のアパートがある辺り(昭和49年)。ふむふむ、宇都宮環状線が無いのや、大谷線の線路の跡があるのは当然として、よく見ると、栃木街道に今はその面影のない大型スーパーらしいものがあったりしますな。でも、思ったより開けてる感じ。もっと田舎かなぁ、と思ったのですが。
次に、妻の出身地である栃木市(同年)。こちらは最近建て替えられた栃木駅や、取り壊されたイトーヨーカドー以外は殆ど変わってない、と言うかむしろ今の方が寂れた感すらありますw。
んで、最後に私の出身地であるつくば市の昭和49年の写真を見たのですが、…なんだこれは。どこがどこだか全然分からないじゃないか(w。
前2つの街の写真は、確かに今と若干差違があり、今ならある道が無かったり、今はない道が載ってたりする部分もありますが、その街並みは殆ど完成されており、今見てもだいたいどの辺りの地図なのか判断できます。しかし、つくば市の写真に限っては今ある道は全く舗装どころか、区画整理の線くらいしかなく、また、写真に載っている舗装道路は、今では殆ど残っていません。また、驚くほど何もありません。あるのは畑と松林くらいなもの。その中にいかにも不釣り合いな研究施設がぽつりぽつりと建っていて、しかも、居住区のある竹園3丁目・吾妻4丁目地区からはあまりにも離れています。
…いや、まあ、実はこれらは話に聞いて知っていたし、実際、そこから今のような街になる課程を私自身の目で見てきたはずなのですが、それにしてもこれほど酷い状況だったとは…!だいぶ前に父が「昔は研究所のバスで通っていたが、曲がりくねったでこぼこ道で、とにかく酷かった」と言っていたのですが、この写真を見て、そりゃそうだ、と思いましたよ。何せ、今やつくば市のメインストリートとも言える東大通りですら、途中でとぎれとぎれになってるくらいの状況だったのですから。区画整理の線や、それらの工事の箇所が巨大な地上絵の如く広がっていたこの街の黎明期に、果たして今のような巨大な街がたった十数年程で出現するとは、誰が想像し得たでしょうか?
あと数年後には、つくばエキスプレスが開通し、つくばの街も一つの転換点を迎えることとなると思われますが、そこに至るまでの軌跡、即ち「他の街の殆どが、既にその形を完成させていた時代に、敢えて逆境とも言える見窄らしい状況に耐え、発展に寄与した」先人達のことを忘れてはならないと切に感じました。