偉そうなことを言ってみる

基礎があって初めて応用がある

今朝、モノ作りの意識が薄れつつある現状という記事を目にし、「ああ、似たような話はどこにでもあるんだな」と思いました。
あまり詳細は書けませんが、私が聴いた話では、国の研究機関ですら似たような状況にあるそうで、「研究の準備過程は外注委託が多く、研究の際に過程から発生する個体差なのか、それとも有意差なのかの判断が出来ない研究者が少なくない」とのことで、その原因の一つとして、「成果、即ち論文の数で評価がされる風潮があり、腰の据わった研究が出来ない」と言ったことを挙げられていました。
まあ、上述は(実のところ)私の父から聴いた話なので、正しいかどうかはともかくとして、実際、私自身も職場にてそう感じるところは少なくありません。
私とて、スキルはたいしたことが無いレベルですが、その私から見ても意外なほど論理的なことを理解せず、表面だけで物事を評価、判断する人が少なくなく、結果として「きちんと理解していれば防げた」問題点を作っている例が多々見受けられます。
彼らは「外注はプロであり、我々が敵うはずが無い」、「外注に任せておけば安心だ」という意識が根強く、私が横槍を入れると「そのぐらい外注も考えている」などとつき返されたものです。でも、実際には(外注が)そこまで考えていた例は稀です(実際には考えていた可能性も無いわけでないのですが、外注もビジネスである以上、顧客である我々から積極的に要件を言わない限り、金にならない仕事を出来るだけ増やしたくないという部分もあるのだと思います。)。
もちろん、「外注に我々が敵うはずが無い」という見解は、一つの視点では必ずしも間違っているわけではないのですが、一方で、我々も「プロ」である以上、別の視点で「外注では到底敵わない」何かを持っていなければならないですし、もしそれが無いのであれば、我々の存在意義すら失われてしまいます。
多角的視点を持つことは、ビジネスを円滑かつ効果的に進める上で重要なことですが、これを養うためには、その基盤となっている「基礎知識」を如何に正しく理解し、それを応用に活かせるかどうかが鍵になると私は考えています。
…などと偉そうに書いては見たものの、私自身が実践できているか、と言うと非常に微妙で、極めて狭隘な視点でしか物事を捉えられていないと言うのが実情ですが(^^;。

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