山の頂

これまでとこれから

帰宅後、妻と話をしたり、webで様々な情報を収集しているうちに、色々と考えが浮かんできました。が、そのことをストレートにここに書く行為は、奥ゆかしい(笑)わしにとって大変憚られることなので、ちょっと比喩的な表現にして書いてみたいと思います。内容はもちろんフィクションです。


「この山に登ろう。」

それは、これまで憧れていた山だった。有数の山々の中でも一際険しさを見せるその山には不安こそもあったが、初めて会う登山隊のメンバーは全員経験が豊富であったし、何よりも一度は登ってみたいと思っていたので、不安を振り払いつつ、その山に手を掛けることにした。

しかし、その山は伊達ではなかった。険しさはもちろんであったが、麓から見たその姿からは到底想像できないこの山の本質を私に知らしめた。

頂に向かう道は霧の中だが、振り向けば下界の風景の、その全体を見渡すことが出来る。しかし、この高さまでくれば、その下界の本質を見渡せると思っていたのに、むしろそれは遠のくことで捉まえられなくなった。そして前を向きなおしても、その先は見えない。それでも道の行き先を、目を凝らして見ると、そこには自分がかつて忌み嫌っていた筈のものが見え隠れしている。そのたびに私は戦慄した。まるで、まったく予期せぬままに「ぬるっ」とした気持ち悪い何かに触れてしまったかのようだ。だが、間もなく私は気づくのであった。「これ」もこの山の本質だと。そして、この山にへばりつき、必死に頂を目指す私自身も、麓から見ればその山の一部でしかないことを。

麓から見上げることのできる山の表側がこの山の姿であるのならば、その裏側もこの山の姿である。裏側のない山はハリボテでしかなく、私の想像していたそれはハリボテ的でしかなかったのだ。私の中で、これまで拘っていた「何か」が、音を立てて崩れていくことを感じた。

まだ、途は半ば。メンバーは「まだ歩けるだろう?」と私を励ます。私もそれに応えられるよう、さらに頂への一歩を踏み出すのであった。


なんだか下手糞な文章ですな(^^;。まあ、なんとなく面白い表現が思いついたので書いてみただけで、他意はなく。「面白い表現」が具体的にどの部分かは想像にお任せします(笑)。

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