先日の日記について

地震当日の内容の日記「March 11,2011(Fri)」について末尾に「続く」としたものの、何だか続きを書く気力がなくなってしまいました。そもそも、元の内容自体の文が所々変なので、推敲した上で「続く」を取ってしまおうかと思案中。
ちなみに、続編で書きたかったことは、「実家への避難の道程と避難生活」、「計画停電と首都圏交通網の麻痺」、「物流網崩壊」、「非常事態でも日々は回る」、「避難生活終了後と、真の帰宅」とかそんな内容だったのですが、取り立ててたいした内容にならない気もして来たのと、それから、福島第一原発事故がとても悲しくて少し落ち込んでいること、が書く気力を失ってしまった理由だったりします。
原発事故については、危機管理体制がどうだとか、現場の人の頑張りであったりとか、それから中学時代の同級生から頂いたとてもいたたまれないメールとか、色々考えであったり思い巡らすものがあるのですが、それらを取り敢えず横に置いた上で、これまで我々の生活を支えてきた基盤の一つであり、少なくともかつての一時期には「資源の少ない日本にあって未来のエネルギーとして切望されていた」ものが、こんな形で終焉を迎えるのか、と思うととても悲しいです。
26年前の科学万博にて私が好きだったパビリオンの一つに「エレクトロガリバーの冒険 電力館」があるのですが、ここでは原寸大の原子炉の模型があり、「これからのエネルギーは原子力が担っていく」ということを非常に強くアピールしているように私には感じられました(ちなみにチェルノブイリ原発事故はその1年後)。また、近年でもつくばエキスポセンターには原子力発電所や放射線についての展示があり、明らかに「エネルギーの主軸の一つ」としての説明がされていました。後者はともかくとしても、少なくとも前者は何も知らない私にとって「原子力という素晴らしい技術で、ますます明るい未来が切り開かれて行くんだな」と信じて疑いませんでした。その後、実際には国内でも幾つか事故があったのも確かですが、それ自体が我々の生活に影響をもたらすほどのものではなかったこともあって、チェルノブイリは所謂「特殊な例」として捉えていたというのが正直なところです。しかし、今回の福島の件によってチェルノブイリは「特殊な例」とすることは間違いであったことを知らしめられました。また、この今回の事故により原子力はどうやらこれからの未来を支えるエネルギーでは無くなったようです。
そう思ったとき、かつて好きだった「電力館」での思い出や、そこから波及して知り得た知識や考え方の全てが否定されてしまった気がして…それがとても悲しいです。
実際には今回の事故でとても厳しい避難生活を余儀なくされている方や、実害を受けている方、そして健康被害に不安を抱えながらも避難も不可能な方たちが居ることは十分理解していますし、特に健康被害については、乳児を抱える一人の親として私自身も極めて強い懸念を持つところであり、そんな中「思い出や考え方の否定くらいで何を悲しんでいるのか」と非難されるかもしれませんが、信じていたものが裏切られるときというのはとても悲しいこと。電力館のテーマソング「すてきなラブ・パワー」をYoutubeで再生しつつ、そんなことを考えるのでした。

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