もう一つの同窓会所感

去る17日に中学時代の同窓会が5年ぶりに有ったので参加してきた。表向きの感想はfbに関係者限定で書いたし、そこに書いたことも紛うことなき事実だけど、祭りのあとで冷静になったとき、内面的なもう一つの感想があることに気付いたので、そのことについてもここでひっそりと触れておきたいと思う。

当日、複数の方から「お前も変わんないなあ」と何度も言われた。最初は忘れられるよりは良いや、と思っていたものの、そのうち「そんなにもか?」という思いが頭をもたげてきて、色々思いを巡らしてみたところ、ある一つの考えに行き着いた。即ち、「変わらない、のではなく、変わりたくなかったから、その地が出てしまったのでは」と。

思えば、自分はこれまでの印象的な思い出や、自分からした約束については、偏執的と言っても良いほどはっきり覚えているものが少なくない。そして、その内容には現時点でも拘りがあったりする。要は過去の自分で今を縛っているような状態。過去の自分が基準である以上、新しい自分のあるべき姿など描けるはずもない。

それでも、ある程度の期間であればそれも決して無駄ではなく、大切なことでもある。逆につい先日まで拘っていたものを、明日になったら「どうでも良い」では筋が通らないし、人としての品格すらも疑われかねない。

しかし、中学時代の頃のそれはもはや時間が経ちすぎていて、ポジティブな点以上にネガティブな点の方が多い、ということを色々な人と話していて実感した。いや勿論、全く完全に忘れてしまっていてはマズいが、事細かに説明できる必要はほぼ無く、せいぜい話題のエッセンス程度で充分なのでは、と。そう考えた時、過去の言動に固執し過ぎて、新しい行動に制約をもたらしつつある昨今の自分は愚かしいとしか言いようがない。

ただ、25年以上に渡りこれまで守ってきた思い出を、単純に忘れるのには抵抗感が少なくない。だから、一度アーカイブしてからパージ…、即ち現時点での詳細な過去の記憶を何らかの文章にしたためるなどしてから、日々の思考の外に置きたい、と思う。これを次の同窓会までの目標にしたい。

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