先日、以前から使い続けているヘッドフォン、SONY MDR-Z900のイヤーパッドがボロボロになっていることに気づき、補修部品を取り寄せて修理しました。
このMDR-Z900を購入するきっかけは、1998年10月から横須賀勤務になるのに併せ当面はホテル暮らしになるということが決まり「平日夜に音楽が聴けないのは辛い」と感じてポータブルオーディオの環境を整えるべく、MD Walkman MZ-R55と共に急遽購入したものでした。ホテル暮らしそのものは3ヶ月程度で終了してしまったものの、その後も時々引っ張り出して使っていましたが、昨今はMDR-Z900の実質的な後継機MDR-Z1000やアウトドア用のAudio-Technica ATH-ES10なども追加で購入したことや、もともとヘッドフォンリスニング自体がそれほど好きではないこともあって、使用頻度はめっきり減っていました。
少し脱線しますが、「ヘッドフォンリスニングが好きではない」について補足をすると、本来ついていないはずの「機器」を耳に装着していること自体に強い違和感があることや、ケーブルによって行動が制限されてしまうことに窮屈さを感じ、どうも生理的に合わないのです。音楽を楽しんでいるというより、無理やり聞かされているとすら感じられてしまうくらい。よって、普段は通勤時の電車車中でもない限りヘッドフォンで音楽を聴くことはないのですが、一方でスピーカーだけで音を聞いているだけだと、セッティングも含め「はて、これが本当に正しい音なのだろうか」と時々不安になったりすることも少なからずあります。特に、メインスピーカーであるInfinityはよくも悪くも特徴的な音調のスピーカーのため、これで完全に耳が慣れてしまうと他の機器での音質が適切に評価できなくなるのではないのか…などという恐れもあり、たまにはヘッドフォン、それも出来る限りモニター調のもので耳を慣らしておこう、ということで時々ヘッドフォンでのリスニングもするようにしています。つまるところ、ヘッドフォンもわしにとっては重要なリファレンスだったりします。
さて、MDR-Z900を修理し早速鳴らしてみたのですが、「こんなものだったっけ?」と、どうもパッとしません。先ほど、MDR-Z1000やATH-ES10があると書きましたが、MDR-Z1000はモニター調という意味では素晴らしい性能を持っていた一方で、購入直後は音が生真面目で面白みに欠けリスニングには向いていない感があり、ATH-ES10については、そもそも帯域バランスがわしの趣味に合わなかったこともあって、MDR-Z900こそがわしにはベストリファレンスヘッドフォンだとずっと思っていたのですが、いつの間にかエージングが進んだMDR-Z1000に追い抜かれていたようです。今、改めてMDR-Z900と同Z1000を比較試聴すると、解像度や音の立ち上がりの速さはもちろんのこと、帯域の広さ、音の厚み、そして空間表現といったすべての点においてMDR-Z1000の圧勝です。念のため、Z900も修理後それなりに時間をかけてエージングをしたのちに比較試聴したのですが、その差は殆ど埋まることはありませんでした。価格が倍以上違うとはいえ、ここまで違ってしまうものだとは…と、正直衝撃を受けました。特にMDR-Z1000はエージングが進んだことにより、リスニングでも十分音楽の心地よさを伝えるようになり、また、メインスピーカーでも気づかなかったようなフレーズを生き生きと描写するなど、先述のヘッドフォンリスニングが好きではないというわしの考えを少し改めさせられるような結果になりました。オーディオの楽しみ方もいろいろあると思うのですが、特に「取っ替え引っ換えしながら、色んな傾向の音を楽しみたい」というのであれば、ヘッドフォンの方が手軽でいいですね。スピーカーだとそれだけのスペースが必要だったり、セッティングのやり直しになったりとかで、取っ替え引っ換えはあまり現実的ではありませんので。
あと、この比較試聴で改めて知らしめられたことと言えば、ヘッドフォンアンプによる差もかなりあるなあ、と言うことでした。最初は比較試聴をKENWOOD R-K1で行っていたのですが、特にMDR-Z900とは相性が悪かったようで、後にAccuphase C-2410のヘッドフォン出力で改めて行ったところ、見違えるほど音に躍動感が出てきて、また、繊細さも感じられるようになりました。こうしてみると、ヘッドフォンリスニングもやはりピュアオーディオのそれなんだなあ、と感じた次第です。
うーん、こうなるとSONYの現時点でのハイエンドヘッドフォンである、MDR-Z7とPHA-3のバランス接続の音も聞いてみたいなあ。その結果次第によっては趣旨変えをする可能性がないとは言えないかも知れません。