わしは9月末を以って現在在籍している会社を辞め、10月1日より新たな職場にて働くことになりました。
…と、これ自体は既にわしの周りの人にはそれぞれお伝えしているので今更感がありますが、ここではなかなか纏めて話が出来にくい、転職までの経緯と決断に至った理由を徒然なるままに記していきたいと思います。
話は2012年秋に遡ります。
その頃、わしの在籍している会社は当期計画未達はもちろんのこと、純利益ベースで赤字になることが不可避であることが明確になったこともあって、極めて厳しいコスト削減の嵐が吹き荒れていました。具体例を挙げるとすれば、数ヶ月前に取締役会で承認されたプロジェクトを、実施半ばで中止せざるを得なくなったり、契約期間内の保守費用を下げて頂くべく、上司とともに取引先を回ってお願いをするような日々が続いていました。これら自体は止むを得ないこととわし自身も理解はしていましたが、それ以上に心に刺さったのは、取引先をともに回った上司のある日の一言でした。「これまでもこのような状況は何度かあった。しかし、今回が過去のそれと大きく異なるのは、こう言ったコスト削減が中期的に業績を回復させる計画とリンクしていないような気がする。そもそも、そのような計画の存在すら見えてこない。この会社の今後がとても不安だ。」その上司は入社30年を越すたたき上げの部長職であり、その方から「業績回復計画の存在すら不明」、「今後が不安」と言われて不安にならない一担当など居るはずもありません。わしも在籍会社に対する不安を頂くようになりました。
そんな折、外部のIT系のイベントで偶然ある方にお会いしました。その方は在籍会社の合併前企業からの先輩で、合併後思うところがあって5年前に他企業に転職されたYさんでした。もともと、わしが今の会社に入れたのも、このYさんが面接でわしの採用を人事に強く望んだためであり、また、情報技術に明るい先輩として、わしもYさんを尊敬をしていました。わしはイベント見学もそこそこに、Yさんと喫煙所で在籍会社の現状(というか愚痴ですね)をいろいろ話しました。するとYさんはこう切り出しました。
「うち、来る?その気があるなら社内で話するけど。」
実はYさんが勤務されている企業はわしの自宅から目と鼻の先に勤務地があり、業種も社会的に極めて大きな貢献ができる大変夢があるもので、さらに業務内容もわしが好きな現場あり・管理ありで結構魅力的なものに見えました。しかし、その時はまだ時期尚早であることや、「コネ入社ではわしに現在在籍している会社に残留する、という選択肢がなくなるため、公平な判断ができなくなりリスクがある」と考え、一旦辞退しました。その時は「また近いうちに連絡しますよ」と言って別れました。
その後、わしの在籍会社は希望退職を募ることになりました。希望退職、とは名ばかりで現実はその発表時点で従業員を「残ってもらう人(仮に自ら希望退職を望んでも制度対象外として自主退職扱いになる)」、「退職させる人(極めて厳しい退職勧奨を行い、希望退職に追い込む)」、「どちらでもよい人」の3つのカテゴリに仕分けており、以降の面接もそれに沿って適宜退職勧奨を行う流れでした。
正直言えば、わしは実績に自信があったので「残ってもらう人」、「どちらでもよい人」のいずれかにカテゴライズされているだろうと踏んでいました。しかし見えないのが先述の上司。実働が2名しかいない部門だったこともあって、もし退職されることになれば相当深刻な影響を受けるであろうことは想像に難くありませんでした。だからもし、わし自身が「どちらでもよい人」であれば、Yさんのところでお世話になろうかと考え、事前に連絡もしておきました。しかし、結果はわしは希望退職の対象外と告げられ、上司は退職に追い込まれてしまいました。上司30年間分の仕事を実質2日程度の僅かな期間で引き継ぎ、気づいたらわしは一人ぼっちになっていました。それ以降、年間数億円分の部門の予算管理であったり、社内の決裁基準や規程類に抵触しない範囲での実務レベルの判断を全てわし一人で行うことになり、また、わしは積極的に関わったものの上司はあまり参画したがらなかった各種プロジェクト管理も従前通りこなす必要があって、本当にてんてこ舞いになりました。ただ流れに任されているだけの毎日で、こんな仕事のやり方が長く続くわけがない、という気持ちから「来年の今頃、わしはもう居ないかも」と周りの方に愚痴をこぼすことも少なからずありました。
この頃は希望退職とその後の自主退職により従業員が大幅に減った(全従業員の2割以上)こともあって、在籍会社の他部門も似たようなところがあり、会社全体の雰囲気がとても陰鬱で、毎日暗い気持ちで勤務していたことをよく覚えています。それゆえ、だんだんと「どう仕事を進めていくか」ではなく、「どうやってこの仕事に終止符を打つか」、つまり「もうゴールしていいよね、とどのタイミングで言うか」ということを日々考えるようになってしまい、それが頭から離れなくなってしまいました。
そんなてんてこ舞いな日々が始まってから1年ほど経ったある日、経営に新しい風が吹き込み、新たなプロジェクトを立ち上げる旨の噂話が聞こえてくるようになりました。が、わしの在籍するIT部門は蚊帳の外だったのか、いつまで経ってもプロジェクトに関わることはなく、相変わらず一人ぼっちで必死に仕事をこなす日々でした。いやむしろ、それら「プロジェクト」を錦の御旗として、明らかにリスク管理上問題のありそうな内容の検討が降ってくるようになり、作業負荷がさらに増えました。こうしたリスクを無視したやり方に異を唱えたことは一度や二度ではありません。ある日取締役会で全く予定のなかった内容について経営に詰問され、「持ち帰って検討(などという回答)じゃ困る。この場でコミットしろ」と無理難題ともいうべき追及を受けた時は、さすがに腹に据えかねて「お言葉ですが…!」と強い口調で言い返したりもしていたのもこの頃。会社は若手を中心に「改革」に参画できる斬新さに酔いしれ、にわかに活気が出てきた一方で、「改革」の名の元にこの頃進められていた各種プロジェクトの大半は、以前から課題として挙がり、費用対効果が見込めないことから実施に至らなかったものや、実行半ばで推進に支障が多すぎて打ち切ったものであることも実は分かっていて、旧来からこれらを推進しようとしていたわしを含む一部は、とても冷ややかな目で見ていたのも事実だったりします。もともと、企業合併の時は合併先である今の在籍会社のスキームを全てぶっ壊して変えてやる、くらいの気持ちで今いる部門に配属され、その後も多数の改革プロジェクトに関わり続けたはずのわしは、いつの間にか保守側の人間になっていたことに、その時気付かされたのでした。
そんな流れからさらに1年が過ぎようとしたある日のこと、Yさんから唐突に連絡がありました。
「今度、うちで採用募集を掛けるけど、どうする?」
すでに現業に疲れ果てていたわしは、「とりあえず会って話しましょう」と回答し、後日、職場近くの飲み屋で4時間近くいろいろ話をしました。わしはその時点では「自分の力を試してみたいので応募はする。しかし、仮に内定を貰ったとしても入社するかどうかは待遇などによって判断したいので、現時点では必ず入社するとは約束できない。」とYさんにお伝えし、Yさんもその回答には特に異論は無かったように見えました。
実際に募集が掛かったのは今年の3月半ばで、わしはおそらく一番乗りだったのでしょうか、即日応募をしました。
3月下旬、部門の上位組織長に呼び出され、所属部門の体制変更を告げられました。人員の増強、とのことで、わしの上にグループ会社の所属長が兼務としてわしの上司になることと、社内異動で部下がつく、とのことでした。部下が増えることは正直大変ありがたかったのですが、グループ会社の所属長がわしの上司になる、ということはどういう意味なのか、この2年間のわしの管理業務はあまり評価に値しなかったのだろうか、と真剣に思い悩むことになりました。1週間ほど考えて出てきたわしなりの答えは次のようなものでした。
- わしは一人で仕事をしていたことが多く、人の上に立つには経験不足であって相応しくない。よって、人員強化のこのタイミングではグループ会社の所属長がその任につくことがより望ましい。
- 良くも悪くもわしは検討内容について自分なりの回答を即答してしまう癖があるが、これは改革を進める上では阻害要因になりかねない。(専門知識でわしと対等に議論できる上位者が居ないことも関連していると思われる)よって、どんな内容であっても一旦は受け取った上で検討を進められる人がリーダーとなることの方が、少なくとも現状のこの会社にとっては相応しい。
- わしは既にこれまでのこの会社のやり方を知ってしまった分、保守的になってしまっており、改革を推進するリーダーには相応しくないと考えられた可能性。
- 何よりも、その上位組織長のガバナンスが掛けやすい相手を部門の実働リーダーをした方が業務が遂行しやすい。
わし的には多分4.項が大きなファクターを占めていると考えています。
わし自身はその上位組織長と不仲というわけではなく、むしろその上位組織長からは「俺はお前のこと結構評価しているのだけど」と言われており、実際、言うべきことはできる限り直接話をしたりしていたのですが、一方で別の所では「あいつは軸を持って仕事をしている」と評されているとも聞いており、この軸を持った仕事の進め方が2.項と関連していて、それが3.項、そして4.項に繋がった可能性があると考えています。
また、新しいリーダーの仕事の進め方とわしのそれはだいぶ大きな隔たりがあります。例えば会議を行う際、わしは望ましい着地点の想定とそこに至るためのシナリオを検討した上で、それに沿った資料を作成して臨みますが、新しいリーダーはたたき台こそは作るものの着地点は割と合議に任せるやり方。わしのやり方は要望に対してできるだけ早く7割以上を実現したいという考え方に基づいていますが、後者のやり方は満額回答となる可能性もゼロではないものの、逆に5割以下になることもあって、しかも時間が掛かる。凄い乱暴な考え方かもしれないですが、合議であったとしても結局は取りまとめを行う人のさじ加減である程度答えは収束されると思っており、余分に時間を掛けてしまいかねないやり方はわし的にあまり賛同できないのですよね…。でも、どちらが今のこの会社にとって望ましいか、と問われたら、おそらく新しいリーダーのやり方のほうかな、という気もしています。というのも、一人で色々着地点を考えるには、グループ全体の規模が大きすぎて難しくなってきているのではなかろうかと。この点と上述の各項目を鑑みて素直に思ったのは「ああ、わし、新しいリーダーに何一つ勝ち目がないや」ということでした。
さて、次に「これらの現状から今後この会社でどう動くか」を考えるわけですが、結局の所思いついた答えは次の二つだけでした。
- 自分の軸を最悪曲げてでも、今の会社のやり方に従って業務を遂行する。
- 新しいリーダーたる所属長を陥れてでも、自分のやり方を貫く。
これ、選択肢になってませんね。言うまでもなく2.項は論外で、会社に大損害を与えてしまう可能性が高く避けなければなりません。とすると1.項しか選ぶ道がないわけですが、これは自分が当面の間主軸として働くスタンスを捨てることを意味します。勿論、サラリーマンである以上は当然の考え方であり、またチャンスを待つという考え方自体は必ずしも悪いことじゃないとは思います。実際、合併直後1年間はそれに近いことをし、その後実績を作って今日のわしに至っています。しかし、わしには永遠の時間があるわけではありません。思い返せば過去3年間、待遇は全く好転せず、年収もほぼ横ばい。なぜかといえば会社の業績が好転しなかったため、賞与が低く抑えられていたためです。じゃあ、それを例えばそれをあと2年我慢できるか、と問われた時、ストレスだけが溜まり、待遇は好転せずでは正直モチベーションなど起きようもありません。
また、会社にとってどうあるべきか、ということを考えたとき、何かどっちの選択肢も違うような…。改革の風が吹き荒ぶ社内に於いて、阻害要因と成り得る保守派のわしはいないほうがもしかして都合がいいのでは、と思い始めました。こういう思考に至ったのは、先述にある「どうやってこの仕事に終止符を打つか」という考えが頭から離れなかったことも大きく影響しているように思います。
かくして、自分の気持ちが定まらないままに応募会社の一次選考を受けるわけですが、中途半端な気持ちが態度に出てしまったこともあってか、面接であまり良い受け答えができず、帰りの電車では「一人大反省会」な状態になりました。その中で、色々考えたのは待遇面以外の点で「なぜこの会社に応募したのか」と、「今いる会社に残るメリットは何なのか」ということを突き詰めたとき、前者は「既に停滞気味の自分の業務の広がりを、新たな環境で得たい」、「勤務地などの環境面で圧倒的に優れており、むしろ遠距離通勤であったために日々懸念していたことが払拭されることで、仕事に専念できる」、「新会社は規模が小さいがそれだけ自分の能力が活かせる」と幾つかの要素が出てきた一方で、後者は「業界大手で、知名度のある会社で働ける」という、言わば自尊心を満たすだけのための矮小なものしか思い浮かびませんでした。
この時点である程度自分の中で結論が出てしまったように思います。
そして、6月中旬に内定と入社後の待遇が固まった時点では、既に「転職か継続か」ではなく、「自分自身や周りを納得させるためにどうやって転職の正当性に肉付けを行うか」に検討の軸は移ってしまっていました。
そして、6月下旬に新しいリーダーである所属長や上位組織長(4月以降は兼任部門長でもありました)に辞意を伝え、今日に至ります。わしの性格を知っている(辞意を伝える以上は覚悟を決めていて揺らがない)のと、次が決まっていたからだとは思いますが、慰留は殆どされませんでした。しかし、退職を伝えた相手のリアクションを見るにつけ、「惜しまれつつ散るのが花、とも言うよな…」などという気持ちになったのも正直なところだったりします。
以上、転職に至るまでの経緯と決断に至った理由を徒然なるままに書いてみました。
ある程度まとまった内容で書けるかな、と思いながら打鍵してみましたが、なんだかあまりまとまった気がしないのは、まだどこかに気持ちの整理ができていない部分が少なからずあるからかもしれません。しかし、もう既に賽は投げられたわけですから、どのような経緯・理由であったにしても、次の環境では自分の持てる力を最大限に発揮させて、活躍することこそがこれまで一緒に仕事をさせていただいた皆さんへの恩返しにもなるのだろうと勝手に思っています。
頑張ります。