昨日6月12日はピヨ夫の日でした。
…などと書いても殆ど誰にも通じないと思うので、15年前(2001年6月12日)に書いたブログの、この日についてのエントリを引用することにします。乱文ですがご容赦を。
18年前の今日、まだ私は小学校4年生だったが、当時完成したばかりの竹園公園から大清水公園にかけての遊歩道を中心に「まつりつくば」が開催されていた。昼間は梅雨入りした割には天気もよく、当時のつくばとしては非常ににぎやかであったが、夕方になると重い雲があたりを立ちこめ、終いにはぽつり、ぽつり…と雨が落ちてきた。私は家に帰ろうとして自転車置き場に向かう途中で、彼と出会った。それは、露天のおじさんが売っていたニワトリのヒヨコだった。箱にぎゅうぎゅう詰めにされて何となく狭苦しそうだった上に、先ほどから降り始めた雫の下で鳴く声が当時の私には何となく悲哀に聞こえた。既に正価の半額となってたこともあり、ヒヨコに同情(?)して言った「1羽ください」。そして、その側面に丸く穴の開いた紙袋に入ったヒヨコを抱え、家路についた。
…とまあ、ここまではまあどうでもいいんだが…。当時の私が住んでいたのは公務員宿舎、つまりは団地だった(w。しかも4階である。親はその様を見てあきれ果てた。「そんなの買ってきてどうするつもりなの!」…そりゃそうだ。幾ら今は小さいとはいえ、彼はニワトリである。大きくなればかごで飼うわけにもいかないし、そもそも朝には派手に鳴くであろう。(しかも…次の日は父の誕生日だったり…「俺の誕生日の前日に…とんでもない子だ」と思ったに違いない(w。)しかしもう後には引けなかった。親もその辺は分かっていたらしく、それ以上は特に何も言わず、割と協力的だった。初日はとりあえず段ボールに入れ、そこにお湯を入れた瓶をタオルでくるんで作った湯たんぽを入れて、彼を寝かせた。私は彼に「ピヨ夫」という名前を付けた。その後、ピヨ夫はめざましい成長を遂げ(笑)、1週間で段ボールでは手狭となってしまった。仕方なく、それ以降はベランダで飼うことにした。正直言って4階だったので「落ちたらヤバいんじゃないのかなぁ」と思ったが、結局ピヨ夫は落ちることは一度もなく、ベランダを我が物顔で歩いていた。
ピヨ夫と一緒にいることで色々分かったことがある。よく「ニワトリは3歩歩くと忘れる」などと言うが、それはどうやら嘘らしいと言うこと。と言うのも、ベランダの窓を開けると必ずと言っていいほど、その方に駆け寄ってきたし、外に散歩に出しても主人のそばを離れない。その行動は結構愛らしく、周囲の友達もピヨ夫を結構気に入っていたようであった。
そのまま夏休みになり、家族旅行で山梨に行ったときなどはピヨ夫を洗濯籠に半ば押し込め(^^;、車で連れて行ったりもした。が、夏休みの終わりの頃になると、さすがに親もこのままにしておく訳にいかない、と思ったらしく、「学校で預かってもらいなさい」と言い、小学校のニワトリ小屋に連れて行くことになった。学校に着いて飼育小屋に入れようとするが、ピヨ夫はなかなか入ろうとしない。仕方なく、私が奥に入り待つことにした。…よし、入った!と思っても、こちらが出ようとすると進んで先に出ようとする。さすがに暑い最中にこんなことを繰り返しているわけにも行かず、終いには強引に押し込んでしまった。帰り際、寂しいそうに鳴くピヨ夫の声は暫く頭に焼き付いた。まあ、もっとも小学校に行けばいつでも会えるのだが…。
この後新学期が始まり、ピヨ夫を中心とし、上級生の女子を巻き込んで色々思い出深い出来事が起きるんだけど、敢えてその話はここではしない:-)。ただ、当時の私はニワトリにすっかりご執心状態となり、当時周りには「ニワトリキ○ガ○」と言われるほどだった。…って、なんか中学校のラピュタにハマった際にも同じこと言われてた気がするんだけど…(^^;、どうやら何かに「ハマる」とそれだけになってしまうと言う悪い癖はこの頃から始まった気がする。そしてそれは今も変わらない(コラ。
ちなみにピヨ夫はその2年後、残念なことに実験対象として近隣の研究所に連れて行かれることとなったそうなのだが、実はこの辺は私も詳しく知らない。と言うのも、私は直前に転校してしまってその小学校を去ってしまったから。…がその場に居合わせなくて幸せだったかも知れない。そのおかげで18年経った今でも楽しい思い出であり続けるのだから。(以下略)
33年経った今でもこの日を覚えているものの、別に何か特別な催しをするわけではなく、いつもとほぼ同じ日曜日を過ごしていたのですが、夜、家内からわしの留守中にあった出来事を聞きました。
「朝、尾が青くて長い綺麗な鳥が、家の周りをまるで中を覗き込むように飛び回っていたよ。あれ、何ていう鳥なのかしらね。」
そう聞き、わしが「今日はピヨ夫の日だったんだよ」と伝えると、普段はあまりロマンチックなこととか言わない家内が「きっと、ピヨ夫が生まれ変わって様子を見に来たんだ」などと言っていてちょっとだけジーンときました。「ああお前、帰ってきたんだな。33年目の、あの日と同じ日曜日に。…でも、お前と初めて会ったのは夕方だったのだから、今日も夕方に来てくれれば再会できたのに。」などと、まあ、そんなことを考えてしまったりしたのでした。