「平成」時代の終わりに

元号が「平成」から「令和」に変わることで、自分や社会が大幅に変わるわけではありませんが、時代の1つの区切りとして何か書き残そうと思い立ちまして、筆をとりました。

平成の始まりは私にとって高校への入学の年でもありました。義務教育と言う名の「社会が用意してくれていた道」を歩み終え、自分のやりたいこと、やるべきことを自覚しながら歩き始めた時期といって差し支えないと思います。
そこから今日までの出来事を年単位で書き出してみたり、いくつかの過去の記録を読んでみたりすることで、改めて自分なりの「平成」を振り返ってみました。すると、本当になりたい自分の姿に向かって邁進し、時々壁にぶち当たりながらも、決してスマートではない方法ではなくとも、なんとか克服しているように見えました。ただ、そのなりたい自分の姿というものがどちらかといえば過去のコンプレックスの克服という後ろ向きなきっかけであったことが、その後の自分の人生を大きく遠回りさせたことにも繋がっているように感じました。

そして、それは最近まで続いていました。

もちろん、生きていくためには後ろばかりを向いてはいられませんから、普段は出来るだけ目の前を見ながらも、しかし、その道筋はあくまでも「過去」の反省と後悔を「現在」で上書きすることが主となっていたがため、時にはそれが不可能であることから「過去」への執着を生み、場合によっては「未来」への歩みを止めかねない事態を繰り返していたとも言えます。

幸いだったのは、昨年秋にそれがもう既に自分にとって無意味なものであることに気付かされたことでした。過去の自分のコンプレックスの克服が終わり、「もういいだろう?」という気持ちが芽生え、それが自覚できるようになったのです。そう考えると、平成という時代は自分にとって「自分で自分の道を切り拓くため、昭和の自分を清算し、彷徨いながら前に向かう」時代だったのかもしれません。

令和時代が自分にとってどのような時代になるかはまだ分かりません。もしかするとまた前の時代を清算し続けることに(結果的に)なってしまうかもしれないし、新たな困難に苦しむことになるかもしれない。しかし、過去の清算を終えたと実感できる今、これからは「平成」の様々な経験や思い出を糧にして、自分の本当にやりたいことを実現すべく頑張れる時代にしたいと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.