与えられた役回り

「私が言いたいことはシンプルです。来期は適切なIT技術者2名を然るべき費用で投入頂きたい。ただそれだけです。」

私は職場で仕事をお手伝い頂いている取引先の営業担当に、自らの感情を殆ど交えることなく、そう言い放った。それは私のいる組織の意思でもある。私は自らの役回りとして正しいことをしている。そう、これは正しい対応なのだ。それをもう2週間くらいずっと何度も自身の中で唱え続けていた。

昨年夏、コロナ禍が少々落ち着いていたとはいえ第2波、第3波の懸念が当初より囁かれていたことから、在籍企業の情報システム部門の管理を預かっている私は、全従業員の在宅勤務を実現するためのインフラ構築こそが自らの最優先課題であると判断し、秋までにそれを完了させるためには人的リソースの投入が必要との考えにより1名の技術者の増員を取引先にお願いしていた。そして新たな技術者との面談を済まし、「これであとは実行のみか」と一息ついたところで、「申し訳ないのだけれど、増員する技術者のアシスタントとして一人、新人を投入させてもらえないか」と先述の取引先から連絡が入った。聞けばその新人はITの技術者志望ではないという。上司やその周囲の反応は極めて著しくなかった。「ただでさえ忙しいのに、新人の教育までしろというのか。」確かに、ITどころかビジネスマナーの「いろは」すら分からない者かもしれない。幾分不安はあったが、後日その新人と面談し、受け応えの素直さで直感した。コイツは使える。直後、私は上司にはこう報告して了承してもらった。「何かあったら、私が責任を持って対応する。」

その時の直感は期待通り、いやむしろ期待以上だったといって差し支えない。作業手順の覚えの早さ、正確さ、迅速さなど、むしろ増員した技術者よりも優れていた部分があったし、何より素直さに助けられた。こういう急ぎの仕事の時ほど、リーダーである私としてはいかに作業状況や課題を正確に捉えて、速やかに処置するかが求められる。こういう状況下では場を取り繕うような報告や弁解などは全く役に立たないのだが、その新人はITに知見がなく、そしてそれを自身で恥じる理由がなかったからなのだろう、そういった「器用な」立ち回りをしない分、対処がしやすかった。
そして、インフラ構築はほぼスケジュール通りに完了し、コロナ禍第3波による緊急事態宣言と出社制限までに間に合わせることできた。まさに「大成功」だった。
そうした実績を踏まえ、当初年末までの契約だった増員した技術者と新人のうち、私はその「大成功」の最大の源泉となった新人一名だけをさらに年明けにまで延長することに決めた。

全ては順調に行くものと思っていた。しかし、延長した直後、その新人の素直さが仇になった。自社役員の怒りを買うことになってしまったのである。

ことの経緯はこうだ。コロナ第3波の襲来とそれによる緊急事態宣言発令によって私を含むプロパー社員は出社制限を指示され、それ故利用者対応にその新人をも投入した。しかし、運悪く厳しい役員の応対に新人が当たってしまい、その際に新人が役員からの質問に回答できないことをきっかけにIT技術者でないことが露呈すると、その役員は激昂し、「何故ITについて何も知らない他社の新入社員に、技術者に準ずる費用を支払っているのか!当社が教育をして、それで費用を払っているとはけしからん、今すぐ所属会社に返せ。」と、直ちに私と私の上司を叱責した。私はその対応に奔走することになるが、結局これは私の認識の甘さ故に起こしてしまった過ちであった。大成功した直後だったが故、気持ちが緩んでいた。失敗だったと唇を噛んだ。

翌週には上司と自部門の担当役員にまで今回の「事案」をエスカレーションをした上で、先の役員への説明に当たった。現状についてはご理解を頂き、「今すぐ所属会社に返せ」との指示は反故になったが、「来期の体制は再検討すること。何も知らない人に技術者相応の支出をするくらいなら、一般派遣に切り替えるか、それともちゃんとした技術者にすべきではないのか。」との新たな指示が下った。そしてそれはそのまま自部門の担当役員の指示にもなった。私はこの件を自らの責任で片付けなければならなくなった。

後日、先の新人には今回の件を経て少しは悔しい気持ちが芽生え、改善したいという気持ちが生まれたかも、などと淡い期待を抱き、さりげなくその新人に「IT技術者になる気はある?」と訊いてみた。しかし、マスク越しでも明らかなほど困惑した表情での回答は「…ずっと、ですか?ずっとはちょっと…」であった。そうか、コイツはそもそもIT技術者には興味がない。たまたま私の会社の業界がこの新人の希望するものに近いだけで、希望職種はITではなかったな、ということを改めて思い出させられた。私は、「あ、ああ、そうか。」と返すのが精一杯だった。
正直言えば、この時もし肯定的な答えが返ってきたのであれば、どうにかしてでも、極論すれば自らの地位を賭してでも現状を維持したいと考えていたが、それを望んでいたのは私と私の部下くらいで、それ以外の者で–その当事者である新人自身すらも–そう考えるものは誰もおらず、単に私の独り相撲だったのか、と気付かされるとともに「これだけの資質があるのなら、その気さえあれば私などを遥かに超越する、優れたIT技術者として社会に貢献できるだろうに」と名残惜しい気持ちになった。しかし、「コイツがいるべき場所はここではない。きっと本人もそう思っている。」と認識させられたことで、私が取る行動は決まった。

そして、冒頭の私の言葉に繋がるわけである。

自分の意思に反して、しかし組織の一員としては正しいことを伝えなければならないことは、これまでも何度もあったつもりだが、しかし、今回ほど「辛い」と感じたことは記憶にない。例えば私の部下であったならば、実績を高く評価することでこのような状況は発生し得なかったであろう。しかし、現実は大いに異なる。私の組織は取引先に対しそれに必要な対価を払ったわけで、それ以降をなんら補償する必要がない。どんなに優れた実績を残したとしても、契約するかしないかだけで全てが始まり、また終わるのだ。
そういえばだいぶ昔のことになるが、当時勤めていた企業の子会社が人員整理をすることになって、その会社の幹部の方が「こんなに辛いことはない。辞めてもらう皆の代わりに私が辞めてしまいたい」と嘆いていたのを聞き、しかしその時の私は「えっ、だって貴方もそう決めた幹部の一人だよね?」と思ってその真意を理解できずにいた。だが、今日自分が謂わば似たような状況になってみて、やっとその意味を理解できた。結局、どんな組織でも一枚岩になどなるはずもなく、よって、表向きは組織の意思に沿うことを言っていたとしても、個々の本心は全く別のところにある。だが私は、自らの組織での役回りを全うせねばならない。そう、辛いのは私だけなのだ。

いつか、その新人にとって「あの時の出来事が却って、その後の良い意味での岐路になった」と思えるような未来となることを、今の私は、言葉だけではない真の意味で「祈る」ことしかできない。それが私の組織の一員としての役回り。そしてその祈りが届くかどうかは今後の本人の立ち回り次第だろうな、と、自らが進むべき方へ向き直ることしか私にはできないのだった。

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