大型連休の直前に新型コロナウィルス感染症の第四波が襲来したことにより、昨年と同様に今年のGWも何も大したことはできそうにありません。
しかし、せっかくの休みなのでそれを活かす何かをしようと思い、今年に入ってからの自分がしてきたことを少し整理することにしましたが、色々思い返してみるも、私自身のことに限って言えば結局仕事のこと以外何もなかったことに気付くわけです(苦笑)。
きっかけは、2つ前のエントリーにある騒動から、ですね。
当時新人、現在二年目となった協力会社の人をどうやって今後も自分の下で活躍させるか、ということと、併せて自分の持っている作業をどうやって片付けるかをずっと考えているうちに、自分の日々の思考の大半がそれだけに占拠されてしまい、他のことが全くお留守になった結果、それ以外への興味を殆ど失ってしまいました。趣味でさえも。
簡単にではありますがそうなるに至るまでの経緯として、これまでどのような出来事があったのかを少々振り返ってみたいと思います。
先の「事案」以降、取り敢えず当面は引き続き作業に当たっていただくことにはなったものの、そもそも、その人には私の仕事について「ずっと(続けるの)はちょっと…」とまで言われてしまったわけですから、まずはその意識を変えてもらう必要があると考えました。即ち、どうやって私と同じフィールドに率いられるか、ということです。まずは、次のように声を掛けて意識を煽ってみることから始めました。
「キミはあと一ヶ月で新人ではなくなるわけだけれど、今後何の専門家として活躍していくのかい?なお、ここで私達が教えられるのはITだけだよ」
あとは、どういった仕事をやりたいかという事を訊いてみたり、時にはプライベート的な雑談を交えつつ、どういう人かを知ることと私がどういう考えを持っているかを知ってもらうことに徹しました。以前から感じていた通り、物事の捉え方、考え方の一部に私と似通ったものを持っているな、ということが明らかになる一方で、世代間のギャップはどうにも埋められないほどに感じましたが、しかし、仕事に於いて後者はそれほど重要ではありません。どれくらい仕事に対するマインドを高められるか、ということに年代や年齢は関係ないのです。
これらの活動より得られた情報を元に、私はその人に比較的向いていると思われる仕事について、当人の手持ちの能力の幅に関係なくできるだけたくさんの種類を与えました。「もし上手くいかなかったとしても、私のスキルとキャパシティで全部穴埋めできるから失敗してもらっていい」と考えていたのですが、実際にはその殆どで僅かな助言のみで上手くこなしてくれました。これは想像以上だ、やはりコイツは凄い才能を持っているとの思いを更に強くしました。その才能とは「根性」。いい仕事をするのに必要な力として「知力、体力、胆力」などと言われますが、前二つは元々申し分なかったので、三つ目がどうか、というところでしたが、伸ばし方によっては恐らく凡人を超えうるものになるだろうと感じました。
そうして、私はその人とともに一つの大仕事を成功裡に終えることができました。こんなに仕事を楽しいと思ったのは私自身初めてでした。恐らくは、単に大仕事を成し遂げたという喜びということだけではなく、その人を育つ様を目の当たりにすることができて嬉しかったのだと思います。
大仕事が片付いた後、自分の受け持ち組織の体制をこれまでにない、画期的なものに変えてみました。業務生産性の向上を第一に追求したのは言うまでもありませんが、一方でこの人の育つ様をもっと見てみたい、もっと色々させてみたい、という気持ちもあって、二年目の人には私の仕事を直接手伝ってもらうポジションに移ってもらいました。それから一週間ほど経ちましたが、私自身はなかなか良い手応えを感じています。当人は多分これまで以上に私に振り回されて大変だとは思いますが…。
以上の通り、この数ヶ月は仕事のことと、共に大仕事に当たってもらった二年目の人のことを主に考えていたのですが、前述にもあるように、それらに自らのリソースの大半を割いたせいか他の事柄が空虚になってしまいました。いつしか自分の日常には仕事以外何もなくなってしまったことに気づき、今日の不自由な状況と相まって心が疲れてしまったのでしょう、ある日の朝には『したいことはできず 買いたいものは買えず 行きたいところに行くことも叶わず なんのために日々の業苦の中を歩いているのだろうか。義務感以外でその意味を忘れかけてしまっている。』などといった大変陰鬱な内容を某所で呟いてしまいました。
誤解を恐れずに言いますと、今回のようにここまで「人」の事を考えたのは、これまでの私の人生の中では自分の家族か極めて特別の相手に対してのものくらいしかなく、もちろん今回はそのいずれでもありませんが、私自身の仕事を円滑に進めるのと共に、「どんなことがその二年目の人のためになり、そして私には何ができるだろうか」ということを突き詰めて考えていくうちに思考がおかしな方向に行ってしまった感は否めません。その結果、自らの役回りからすれば本来適切ではない言動をしてしまったり、私自身が消耗して気持ち的に追い詰められてしまったりと、だんだん副作用的なものも目立つようになってきました。
そんなわけで、このGWは折角の長い休暇であることを活かし、一旦自らの思考をそれらから「解放」してみたいと思います。もっともこんな状況ですので、どこまで何が出来るか、ということと、結果何が得られるかは終わってみてからのお楽しみ、ということにしておきます。