敢えて現状に甘んじる

少し前のエントリーで「生き急ぎすぎたのかも?」的なことを書きましたが、その週は結局そのことが頭から離れず、かなり思い悩むことになりました。

家内からは「あなたはずっと動いていないと気が済まない。まるで魚のよう。」と都度指摘されているのですが、確かに私は現状維持というか、そのまま何も変えないという状況があまり好きではありません。変えないということは「変わらない」ではなく実際には時と共に退化・劣化することを意味する、と考えているからです。だから物事、特に興味関心が強い事柄についてはそのスピード感はともかくとしても「進む」か「退く」かのいずれかしかない、と考えてしまうことが少なからずありました。この1年半近く、仕事において今の立場になってからはより一層その傾向が強くなったように感じます。

その昔、絶対叶わないと知りつつ、ある夢を見ました
その夢は諦めることしか私には教えてくれなかったはずなのに、そこから自力で抜け出すことはできないと思えるほど、深く自らの意識に突き刺さってしまいました。日々考えることは進むか、それとも退くか。前者を選ぶことは負の影響が大きすぎるだけと理性では分かっているのにも拘らず、です。
その後、その状況を抜け出すきっかけは意外なところから現れ、その件はそのままどちらの選択肢も選ぶことがなく「終わり」ました。それ以降、そのことを思い出すこともなくなっていました。

しかし、それから長い歳月が経って、対象こそ違いますがまた同じような状況が再現されることで、そのことを思い出すことになります。勿論、私が置かれた環境が当時と違いすぎますので、同じように振る舞うことはできないのですが、それでも自らに許される・出来る範囲を強く意識しながら「あの時の夢の続きを見てみたい」、即ち進んでみようと考え、思いのままに実行してみました。結果、それはおそらく正の影響をもたらし、また、進みたいと思っていた目標にまでも到達することができました。しかしその結果、それ以上進むことができなくなりました。だからあとはもう「退く」しかない。そんなことが頭をもたげ始め、どうやって元いた場所に帰ろうか、ということを真剣に考え始めました。これまで強い関心を持っていたことについて、自分の意識から切り離すにはどうしたらいいのか、ということを少ない頭で考えるも答えが見つからない。そんな自分自身や現状に嫌気が差して「投げ出してしまいたい」、即ちリセットしたいとも考えるようになっていました。

「このままじゃイカンな」と思って、かつて夢を見た場所を改めて訪れてみることにしました。

かつて夢と出会った場所

そこは当時とは様々なことが変わってしまっていましたが、そこで懐かしい方に偶然お会いして、当時と何ら変わっていないものもあるし、それは別に退化でも劣化でもなくて、熟成、なのかもしれないと感じることができました。そう、別に変えなくても続けられるものもある。そのように実感することができたのでした。

確かに時が経てば何かが終わってしまうかもしれない。でも、それは自らの気持ちに反して無理やり終わらせる、即ち退く必要などはない。気づけば終わっているかもしれないし、そうでないかもしれない。いずれにしても現状を維持し、それが当たり前の他愛のない日常と感じようになれば、自ずと道が拓かれることもあるとの認識ができたことで、むしろ敢えて現状に甘んじるという第三の選択肢を自らの意志で取ることができ、精神的な安定を得ることができました。
だからもう、このことは成り行きに任せてみたいと思っています。これまでこの件で自分がしてきたことは正しいことだった、と、そう信じて。

以上、具体的な内容をオブラートに包んで書いたので、傍から見れば意味不明で、何を言っているのか分からないかもしれませんが、今日の自分の気持ちはこのような感じです。

さて、今朝の音楽はその懐かしい夢のあった場所で、さらに昔によく再生されていた曲です。邦題は「素直になれなくて」だったと思いますが、自らの気持ちに素直になれない・なるべきではない局面というのは、長い人生の中では少なからずあるものだと思っています。

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