昨日、職場にて。
作成しなければならない資料を一応書き上げ安堵したのも束の間、週次の部内会議ではそれとは別に現状に対する厳しい指摘が入り、またも思い悩むことになってしまいました。
しかし、その指摘は至極真っ当であって、私ですら最初にその選択肢を考えたくらい(若干拙速ではあったとはいえ、「可能性の一つとして」実際にその方向でも動いている)ですから、まあ当然といえば当然とも言えます。恐らく、それが最大公約数的にも一番妥当な解になるでしょうね。
たった一つ、私の気持ちの整理がついていないという点を除けば、ですが。
シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 産まれてすぐに こわれて消えた 風、風、吹くな シャボン玉飛ばそ
野口雨情作詞の「シャボン玉」は、生まれてすぐ亡くなった自身の長女について触れたもの、との都市伝説があったりしますが、今の私の気持ちは、この詩をその都市伝説寄りに解釈したがっています。こんな風にです。
これまで大切に温めていたもの・期待していたものが成就する前に、私の本意とは異なる形で壊れてしまう。それを何としても守りたいとの気持ちがある一方で、それを最後まで見守り見届けることはいずれにしてもできないという認識もある。だからもう今のそれに後ろ髪を引かれ続けるのではなく、次こそはもっと上手くいくように…と、まだ見ることはもちろんのこと心に抱くことすらままならない新しい期待に賭けるしかないのでしょう。
とても残念ですし寂しいです。それを声に出して伝えることができない、ということも含めて。
若い頃であればすぐに切り替えもできようものが、この歳のせいか、未来への希望より現状の喪失による虚無感の方が勝ってしまっているようにも感じます。
さて今朝の音楽。結局三時間足らずしか眠れなかった今の私には、この曲がお似合いなのでしょうね。もう30年以上も前から、ことあるごとにこんな夜を過ごしています。