全ては計画のままに

この週末は先週までにあった出来事を元にして来年起こる、或いは起こりそうな出来事を自分の中で整理していました。その中にはのっぴきならない想定も含まれていますが、それも折り込むことにしました。少なくとも、自分の中ではそうしておかないといざという時にどうしようもなくなってしまいますので…。

振り返ってみれば、今年は意外なことだらけでした。意外?というより、無計画さ故の逡巡というか、その日暮らしというか…とにかくめちゃくちゃだったように思います。ここまで自分自身「停滞の一年だった」と感じたのは、ここ数年で記憶にないくらいです。原因は外的要因もそれなりにあるのですが、先日もここで書いたように自らの目標がないまま何となく日々を過ごしていた故でしょうね。自分がこうしたい・こうなりたい、がないから、結果的に自分の外にあるものに希望を求めてしまっていたように思います。

Through every dark night, there’s a bright day.

そして、それに依存しすぎました。

自分でも「良くないな」とは感じていたのですが、空虚な自分を満たそうとして、今の私が出来る・許される範囲で自分以外のものに依存してしまいました。そして、その依存対象をいずれ失うことにずっと怯えていました。こんなことはいつか終わるし、終わらせなければならないと分かっていながらも、です。

「良くない」という自覚があったからこそ、その代替を自分の過去に求めたりもしました。そちらはそちらでその後予想外の出来事が起きてしまったりしたのですが、それが代替にならないことを改めて知ることになっただけでした。過去より現在目の前にあるものの方がやはり強い。仮に過去の思い出の方が美しく、現在のそれがみっともないものだったとしても、過去の出来事で現在の状況を埋め合わせることはできませんでした。

とはいえ、それに甘え続けるわけにもいきませんので、「ここまで行ったら、あとは引き返そう」というマイルストーンを自分の中で決めました。
そしてそれが現実のものとなり、自分の中の計画は全て片がついた、だから引き返そうとしたのがつい二ヶ月ほど前。しかし、ずっと後ろ髪を引かれ続けていたのが先日までの自分だったように思います。でも、意外な形で自らの予測が当たることで、やはりもうこれ以上はいけないな、という心の整理ができました。

だから、「本当になりたい自分」をもう一度探し直したいと思います。まだそれを実現するための時間が私にはあるものと信じています。それが恐らく、自分の外への依存を解くための唯一の解。
来年は明確な目標を持って、それをやり直そうと思います。


久々の今朝の音楽は、最近何となくピアノアレンジを練習している「あの海へ今帰りたい 〜a cote de la mer〜」です。とても美しい楽曲の一つですが、次の詞が青年時代の私の心に突き刺さり、それは今でも古傷のように時折疼くのでした。

こうしていつかは知らない二人になる
過ぎゆく季節は誰にも止められない

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