無題

今まで食わず嫌いだった八重さんに手を出してみようかと思い、久々にときメモ2などを箱から出してプレイしてみる。…が、プレイし初めて間もなく電話。親戚のおばさんだった。
  「いよいよもって…」
 わしはPS2の電源をなんの躊躇もなく切り、わしの実家(つくば市)に電話をかける。その旨を伝えるに「迎えに来て欲しい」とのこと。時間は既に19:30となろうとしていた。これ以上夜遅くなると路面が凍結して危険だ。1も2もなく最低限の用意をし、宇都宮の自宅を飛び出す。道路はそれなりに混んでいたが、ここでわしの車の本領を発揮させる(ォィ。「せめて…最期は…」と思うも、その思い届かず…
   20:03 鳴澤の祖父死去    享年85歳
 わしが実家に着いたのは21:00をわずかにすぎた頃だった。ここでもたもたしては今日中に祖父の元へとたどり着けない。到着後5分後には実家前を出発する。
 途中、路面凍結の危険性を鑑み、高速道路や有料道路を使うも、途中の日光宇都宮道路では今市市内に入ると既に路面は真っ白に光っている。この状態で急ハンドルやブレーキを踏んだらひとたまりもない。急ぎつつ、しかし慎重に道を進む。
 日光市の祖父の家に着いたのは23:25頃だったろうか。実際には駐車場でにっちもさっちもいかなくなり、車を停めるのに10分ほど掛かったので、もう少し早かったのかも知れないが、とりあえず無事に到着。早速祖父に対面するため2階の座敷へと上がる。その瞬間は不思議と涙は出なかったし、それほど悲しい、とは思えなかった。感情が遊離してしまっている。一体何が起きているのか理屈で分かってても、感情が現実に伴ってこない。……実はこの現象、既に何人かの友や知り合いの葬式で体験しているので、今更無理に悲しい振りをしようとは思わなかった。ある文献によると、人間は悲しみの限界点を越える間際に自分の心が壊れないよう、現実逃避をしてしまうそうだ。だから目の前で永久の眠りについている人が、わしのとってどのような人なのか、その瞬間忘れてしまっていた。 多分、次の機会にここに来たとき、祖父に会うことが出来なくなることで、その悲しい現実を目の当たりにするのだろう。ただ、それを素直に受け止められる様になるには、まだ時間が必要なのかもしれない。

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