昼、Shinya氏と会うことになり、土浦へ。が、会ってみたまでは良いけどやることがない(^^;。しばらく市街地をうろうろしていると、Shinya氏とわしの母校の制服を着ている女子高生の姿が見え、
鳴沢「そうだ、久々に高校でも行ってみますか?」
Shinya氏「そうだね。俺も就職したことを先生に伝えたいし」
という話になり、かつての母校へ向かう。
正門に車で乗り付けると、かつてはいなかった守衛さんが「どこに行かれるつもりですか?」と訊いてくる。何となく来たつもりだったので、即回答が思いつかなかったが、「私たちOBです。先生にお会いできれば、と思い来たのですが。」と言うと、すんなり通してくれた。ふむふむ、まあ色々事件あったしねぇ。
わしが高校に来るのは実は約4年ぶりのことである。最後に来たのは98年の6月末で、まだ某所でのしごきや、YRPに行く前のことである。当時のわしは学生時代以来完璧に腑抜けていて、仕事について「マターリとやっていければイイや」と思っており、何事に対しても真剣味に欠ける日々だった。
なぜこの時期に高校を訪れることになったかと言えば、訪問直前にクラブの顧問より「正直、きみが職に困っているのだったら、ここに呼んでも良いと思ってた。ここの機器についてはキミの方が熟知しているくらいだし、以降、キミほどの人に会っていない。」と言われ、「…うわ…、就職活動の際にもっと色々話を聞いておくべきだった」と思い、再度その話をしようと思い立ったからだった。そう、当時のわしにとって「最高の日々だった」高校での仕事は、何にも代え難いほど魅力的だったからだ。
しかし、現実を甘く考えているわしに、顧問は難しい問題を投げかけてきた。
「キミは“メディア”とはなんだと思いますか?」
思いもよらぬ難問にわしは、全くでたらめな回答しかできなかった。この瞬間、わしの甘い考えは全て消え去ることになる。そう、顧問は明らかにがっかりしたような顔をしていた。「現役の頃のキミの方がずっと凄かったよ」と言わんばかりに。
その後、わしは多忙な日々を過ごすことになり、その顧問とは全く疎遠になってしまった。いや、忙しいからだけじゃない。あのがっかりした顔を思い出すたび、胸に刺さるものがあったからだ。こうして、高校から自分の足が遠のいていった。今日、こうして訪れるのも、Shinya氏が「就職の挨拶を…」と言う別の理由が無ければ実現しなかったであろう。
さて、事務局に顧問の居場所を尋ねたが、居室に電話を掛けてもつながらず、「校内にはいると思うのですが」という曖昧な回答しか得ることは出来なかった。まあアポを取った訳ではないので、当然と言えば当然の結果である。その後、Shinya氏は職員室に行き、わしはその間、顧問を捜すべく校内をうろつくことにした。
校舎の中庭には巨大なマルチビジョンとステージがある。観客席の一番後席にわしは一人ぽつりと腰掛け、懐かしい日々を思い返してみる。…かつて、わしはここを何本ものケーブルを持って駆け回ったり、音響について後輩にあーでもない、こーでもないと指示をしていたはずだ。「はず」と書いたのは、もはやその実感がわかないのである。ステージに向かう複数のスポットライト、誰もいなくて真っ暗な副調整室、それら全てがもはや自分の中の現実とは違う場所にある気がした。
しばらくして、仕事中の顧問と会うことが出来た。顧問は多忙にもかかわらず、あの頃となんら変わらない笑顔でわしを迎えてくれた。正直、ほっとした。そして15分ほどではあったが、お互いの近況報告みたいなことをした。そのうちパソコンの話になり、最初は他愛のない話であったが、途中から少しつっこんだ話になった。わしがいろんな話をしているうちに、その顧問の目がわしにきちんと向けられていることに気づく。それは、4年前に見た残念そうな目とは全く逆と言えなくもない目であった。
わしは去年4月に音響(ミキサー)の夢を完全に諦め、コンピュータ関連の職に身を置くと決意した。それから丸1年。わしはプロフェッショナルとして通用出来るレベルに達したのだろうか、と常々自問し続けたが、今、かつてのわしが目指していた別のプロフェッショナルにはどう映ったのだろう。かつての腑抜けた状態のわしから、少しは進歩したのだろうか。正直それが訊きたかったが、それは実際ままならぬことである。ただ、顧問のその目を見ることが出来て、少し嬉しかった。
「“メディア”とは何か?」…実は未だそのわしの答えは曖昧のままであり、とても正解出来るものじゃない。かつての零点が十点になろうと落第点には違いないのだ。ただ、かつて目指した方向からとは違うアプローチであっても、その答えを見つけられるのではないか?と思えるようになった今日この頃、その十点分の進歩にはきっと意味があるのではないか、と言う気がした。