要・短所克服

最近、切に感じるようになったものの一つとして「長所伸長も大切だが、これからは短所克服も」ということがあります。

これまでわしは、どちらかというと長所伸長にプライオリティを置いていました。そうでないととても生きていけないことを横須賀時代に思い知ったことと、長所伸長をやっているだけでお褒め頂けて、それが快感だったというのがあります。好きなことや得意なことをあるラインまで高めることで、今日まで何とかなってきたと自分では思っていますし、また、それをもって一部上場企業グループ全体のシステムの統制や、その将来像をプランし提案できるところまで上り詰めた、という自負もあります。
しかしその一方で、短所の部分については殆ど全くといってよいほど手を付けられておらず、最近それがもたらす結果がネガティブであることが少なくないなー、と感ずることが少なからずあります。わしがシステム職人としてのみ一生生きていくつもりならそれでも良いのかもしれません。が、現実はそれだけではやっていけないわけでして。

今個人的に感じている自分の短所は「コミュニケーション能力が足らない」ことと「論理性の追求が甘い」ですね。前者のやるべきことを細分化すれば「いかなる相手であっても、もっと相手方を尊重し思いやりをもって行動する」ことと「英会話能力の向上」ということが最低限挙げられます。後者は難しいですが、もっと知識を「論理立てて」吸収するために、きちんと情報の内容を細かく理解することでしょうか。これらが短所であることの源流として「嫌いなことへの忍耐力が足らない」という根本的な部分もあったりしますが…。

コミュニケーション能力って難しいです。わし、仕事では前述の通りの立場であって、ある意味「KY」な部分も必要な立ち位置にあります。現実的に統率する者がすべての方の意見を平等に聞き、その反映を目指したら身動きが取れないわけでして、あとは自分の裁量で「こうあるべきだ」というのを示さねばなりません。勿論、それが明らかに正しくない方向性であれば論外ですが、仮に論理的に正しいことであっても、必ずしも現場の意識とフィットするとは限りません。その時相手方は「言っていることは正しい。正しいが…」と言う感想になるわけです。ですので、ある程度は事前にフィット&ギャップをやって妥協する必要があるものの譲ってはいけない一線もありますので、そこはもう自分を信じて「強制」「横暴」と言われようが指示・指摘をする必要があります。言い訳になりますが、ある程度の立ち位置にまで上るには、相手を思いやるだけでは難しいのです。時には相手を説き伏せなければいけないこともしばしば。それをこれまでは自分の技量(知識と経験の差と考察力)でやってきました。
しかし、この「KY」な部分は、あくまでも自分の仕事での立場でのみ発揮すべきであって、それ以外の場所でこれを持ち出すと大変なことになってしまいます。もともと、幼児のころから両親から「生意気だ」と叱られていたわしなだけあって、そのあたりのタガが外れやすい性格ではありましたが、最近はそれが前述のような立ち位置になったことが「慢心」となって、以前より酷くなった感があります。

でも、本当にこういうのってどうやったら治るんですかね…。カウンセリングでも受けないと厳しいかもなあ、元が元なだけに。

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