20 Years Ago…

懐かしい「場所」と、今日の戸惑い

17日の朝、私はある場所に向かって車を走らせていた。車の外気温計は0℃と氷点下の間を行き来しており、「今朝も寒い。」そう思いながらも、その場所に着いた。私が未だ小学生の頃、即ち約20年ほど前にお世話になっていた剣道教室の冬季納会試合、またの名を「創立25年記念式典会場」とされたその場所は、私がいた頃にはまだ影も形もなかった小学校の体育館であった。
会場こそ違えど、かつての私もこういった試合に出席していた。当時も身を斬るような鋭い冷気や、氷のような木の床に「とにかく寒い」と凍えていた記憶があるものの、今日の私よりは遙かに我慢強かった様に思う。少なくとも、今日の私のようにガチガチと震えていた記憶はない。かつては「大人になるとこう言うのも平気になるんだな」と早合点をしていた子供の頃の私だが、実際には大人の方が辛い、或いは辛かったのだと言うことに、今初めて気づかされたのだった。
今回、創立25周年と言うことで記念の手ぬぐいの他、記念誌が配られたが、歴代団員名簿にお世話になった先生方、私が尊敬したり憧れたりした諸先輩方の名前、共に頑張った仲間や後輩達の名前の中に混じって、自分の名前があった。「やっぱり、私はかつてここにいたんだ」…至極当たり前のことだが、その事実に感激し、また、それら仲間達の名前を見て、その頃の感情が蘇ってきた。そして、彼ら彼女らのその後について思いを馳せたが、妄想すら浮かばぬほどに情報が欠如していることに改めて気づかされた。「時間が経ちすぎたな」今思えば、どうしてこんなに年月が経過するまで何も出来なかったのか、それが残念でならない。
試合並びに表彰終了後、ほどなく記念式典が執り行われ、7人ほど集まったOBの紹介が行われたのだが、どうやら私だけが昭和時代の卒業生だったようで、司会を行っていた後援会長さんが「皆さん、昭和って知ってますか」とその場の小中学生たちに話しかけているのが大変印象的だった。「そうか、ここにいる子たちは全て平成生まれなんだよな…」そう思うと、なんか場違いというか、大変気恥ずかしい思いがした。
その後、かつての恩師であるF先生に花束を渡す。私が「ご無沙汰しております」と声を掛けると「おお…卒業以来じゃないか…」と幾らか驚いた様子で、さすがに風貌こそ20年の月日を感じさせたものの、しかし、雰囲気や視線などはまるで20年前と何ら変わらない姿で私に声を掛けて下さった。
その後、同席していたOBの一部は私のことを知っていたらしく「お久しぶりです」と声を掛けてきた。「ああ、そういえば…」記憶の片隅にかつての相手の姿があった。ただ、当時の私からしても、大変小さい子としての記憶であったが。(あとで確認したら5歳下であった)
記念式典が終わったあと、会場を移して懇親会が行われた。F先生を前に何か話が出来れば、と思ったが、話題は今の生活の一部分と20年前以上前の過去に限られていて、これと言った積極的な話は出来なかった。が、一つだけ先生と私がしっかりと覚えていることがあった。それは、かつて私が剣道が旨くないのに部長(今では「キャプテン」と呼称するらしい)になったことだった。
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それまで、部長は一番実績のある人…つまり、最高学年の上級者がなるのが原則であった。2つ年上のI先輩、1つ年上のK先輩、共に強く、またリーダシップに長けていて、正に部長と呼ぶに相応しい方々であった。しかし、私の学年はその殆どが最高学年になる前に剣道を辞めてしまっていて、残ったのは私とあまり出席率の良くない2人の女子。当時の私は学年こそ最高学年であったが、級は1つ下の学年の人より2つも下で、また、公式戦では勝てるどころか1本すら取れた試しがないほど弱かった。恐らく、先生方も部長選出で相当に悩んだことだろう。しかし、結果的にはF先生の次の一言と共に部長に任ぜられた。
「下の学年に強い人も居るが、年の功と言う言葉もあることだし。」
任ぜられた私としては、喜びの一方、諸先輩方の功績を考えるとその荷は想像以上のものだった。その中で出した結論は「とにかく頑張ろう」それだけだった。それ以上のものは思いつかなかった。週に3回ある稽古は別に用件がない限り全て出席し、公式の行事も全て参加した。その後、結局公式戦では殆ど勝てないままであったが、級は下の学年の人に追いつき、F先生には「昇級審査では唯一満点の成績であった」と褒められた。
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「確かに剣道は旨くなかった。」F先生は懇親会の席で皆の前できっぱりとそう言った。その直後、「しかし、他の誰より努力家だった。その背中を見ながら、後輩達が皆、ついていった」と付け加えた。私は照れくささのあまり、にやけつつお茶を濁したが、確かに振り返ると、みんなよく私などの言うことを聴いてくれたし、なんの疑いもなく「部長」と呼んでくれていたことに気づく。そして「そう言えば、あのときほど努力したことって、その後どれくらいあったろうか」と言うことにも。
「その後、剣道は続けたのかい」F先生のその質問は私にとって非常に辛かった。何故ならば、結局小学校卒業後は剣道を辞めてしまい、特に中学時代は部活も中途半端で到底他人に話すことなど出来ないほど怠けていたのだから。中学2年生の時、かつて剣道教室で「部長」と呼んでくれていたIさんが、初めて校内ですれ違った際に挨拶をしてくれたのだが、私はその不甲斐ない自分の姿が、かつて信頼してくれた後輩に対して大変申し訳なく、ついに挨拶は返すことが出来なかった。しかし、その後、高校・大学共に剣道の授業をするたびに、剣道を続けられなかった自分に激しく後悔した。だから、素直にこう答えた。「残念ながら卒業と共に辞めてしまいました。が、今は続けていなかったことを大変後悔しています」と。その後、前出のIさんが現在でも剣道を続けていることなどを聴き、驚いたりしていた。
なお、この懇親会では指導の先生や後援会の方、現役生やOBの他、見習いの方もいらっしゃっていた。今年の9月より入門したとのことで、年齢は私と僅か1つ違いであった。この方も「小学生の頃、親の言いつけで剣道を(別のところで)習っていたが、その後辞めてしまい、後悔した。で、今般改めて門戸を叩いた」とのことだった。なるほど、同じような境遇の方も居るのだな…と知らされ、そして、それは私の気持ちを揺らがせることになった。元々、先日誕生した子供をいずれここに入門させるつもりであったが、もしかしたら、それ以前に私が入門をするべきなのかな…と。そうすれば、もしかしたら何かが吹っ切れ、また、新しい何かが始まるのかな…、そんな思いを抱いた。
帰り際、現在の指導の先生に「もし良ければ、一緒に剣道をやりましょう」と言われた。それが社交辞令だと思う一方で、それ以来、そのことを真剣に悩んでいる今日の自分が居るのであった。

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