旧友に電話
私はここ数年仕事がとても忙しかったこともあって、かつての友人とほぼ音信不通と言っていいほど連絡を取っていなかったのですが、ちょっとした用件もあって、LEE氏に久々に電話連絡をして、少しだけ話をしました。
彼とは学生時代のサークルと、前職で共に歩んだ仲で、家内との出会いも彼無しにはあり得ないわけですが、お互い宇都宮を離れてからというもの、年賀状以外の連絡は取れずにいました。で、久々の電話でお互いの境遇を話したのでしたが、そこで出た話の一つに「前職はなんてヌルいところだったか」というのがありました。
でも、私はその「ヌルさ」がきっかけとなって、逆に今の自分があることもまた事実であると認識しています。
これまでの日記でも何度も書いている通り、横須賀時代はどうしようもなく忙しい中でただただ振り回されるばかりの日々でした。「こんな苦しい思いをするくらいなら、多少安給料でも時間が取れるところに行きたい」と思い立ち、前の職場に転職をしたわけですが、そこは横須賀のそれがまるで夢か幻かのごとく、とても静かな日々が過ぎて行きました。当初「うん、ここはとても良かった」と思い、実際、横須賀時代に携わった某システムが大障害を起こしてニュース沙汰になったときは、勝利宣言とばかり「ざまーみろ」と大声を挙げて笑ったものでした。
しかし、暫くするとその静かな日々がむしろプレッシャーとなっていきました。「かつての自分は、あの凄まじい環境の中で、振り回されつつもなんとかやってきて、結果としてスキルも得たのだけれど、この静かな環境ではそれが無い分、世の中に取り残されてしまうのでは…」そして、そこから「将来の自分はどうあるべきか」、「何を糧に今後生きて行くか」を真剣に考えるようになりました。それまでは情報システム以外にも音響技術者としての夢も捨てきれずにいたのですが、「もはや自分には情報システムを極める以外生きる道はない」と決断し、そこから静かな職場で他の作業の合間に一人インターネットなどで情報を収集しながら、地方に居ることが不利にならないようにと、自分だけで出来ることをとにかくどんどん実践して行きました。幸い、その職場はそれらを実践するにはちょうど良い規模だったこともあります。
なお、余談ですが、会社でのメールの署名は通常、
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株式会社○× △△△部 □□課
鳴沢 大気
〒123-4567 栃木県宇都宮市XXX-XX
TEL : XXX-XXX-XXXX FAX : XXX-XXX-XXXX
E-mail : narusawa@marupeke.co.jp
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のように、社名が先に来て、その後名前がくるように書くことが多いと思います。しかし、私は先ほどの決断をして以来「株式会社○×の鳴沢さん」ではなくて、「鳴沢って言う(とてもクレージな)ヤツが株式会社○×に居るんだ」って言われるようになりたい、という思いから、
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鳴沢 大気(Hiroki NARUSAWA) E-mail : narusawa@marupeke.co.jp
株式会社○× △△△部 □□課
TEL : XXX-XXX-XXXX FAX : XXX-XXX-XXXX
という書き方に改めました(ちなみに今の会社でもそれを続けてます)。
その後月日が流れ、職場に出入りしていたシステムベンダが私が作ったシステムを外販したい、と持ちかけてきました。そしてその際、そのベンダの社長が私について、自社の取締役に向かって「引き抜き対策とかはされていますか」とお話しされているのを聴き、それが自信に繋がり転職活動を開始して転職成功…、で今に至ります。
とまあ、なんだかエラく上から目線な感じの内容で、まるでそこからサクセスストーリを歩んで今は悠々自適の生活…みたいな話になってしまいましたが、実際にはそこからも色々あって、決して道はまっすぐではなかったことは、過去の日記にも書いた通りだったりします。ただ、横須賀時代での苦しい日々を経験し、その後自らの意思でスキルを得た身としては「もう一度、横須賀時代のような無理が出来るかどうか試してみたい」との思いも少なからずあったためか、昨年までの激務は確かに辛かったとはいえ、横須賀の頃のそれよりは遥かに楽しんでいたようにも思います。
長々と書きましたが、そのようなきっかけを作ってくれた前職の会社が「システム要員を募集している」と教えてくれたのも実はLEE氏だったりします。こうして振り返ってみると、職場での人間関係も大切ですが、それ以外もとても大切で、それがきっかけで人生そのものが岐路を迎えることすらある、ということを改めて知らしめられた次第です。