新たな光を見つけるために

いよいよ今年もあと残すところ一ヶ月足らずとなりましたので、ほんの少し振り返ってみることにしました。

職場ではあるきっかけから業者の若手との縁ができたり(しっかり育って、今や私達の仕事に欠かせない存在になりつつあります)とか、物欲に至っては、二年ほど心に暖めていたスピーカーを手に入れたりだとか、Apple Watch、MacBook Air、iPhoneなどのディジタルガジェットも買い替えたり、更に主に家内が使用する自動車を買い替えたり…と、これまで前例がないほどの投資をかけていたりとか、更に、会いたかった学生時代の友人ともかつて共に訪れた場所での再会が叶ったりなど、側から見ればこれほどの充実っぷりはなかなか珍しい、と思えるほど充実していた一年だったと言って良いと思います。

また、これまでなかなか実現できなかったダイエットも、体重にして-15kg、ウエストで-10cmと、およそ18年前と同じくらいの状態まで身体を絞ることができました。これについても自分では近年にない快挙だったと思っています。

…しかし、にも関わらず、あまり充足感がないのは何故なんだろう、と自分でも不思議で仕方がありません。

確かに、その原因は必ずしも私だけのせいではないにせよ、仕事の進捗は芳しくありませんでした。今期の業績評価は相当に厳しいものになろうと覚悟はしています。
しかし、それだけが原因とは思えない、心のざわめきがずっと止まりません。それは一体何なんだろう、と考えてみると、結局のところ「日々に安心・安定が得られていないから」であることに気づき、じゃあそれは何をもって得られるのか、と自らに問うてみると、「何かしらの目標に向かって着実に歩みを続けている状態」ということが分かったのでした。

目標。
実はこの数年私がずっと見つけられていないものの一つです。

かつての私にとって、目標はとても分かりやすいものでした。「いずれはこうなりたい」という、今より高いポジションにいる自分をイメージすればそれだけで済んでいたのですから。しかし、今日の私はかつてそう思っていた高みに立ってしまいました。なので、この先の自分の姿がイメージできないまま、ずっと迷走しています。

そうしているうちに、だんだんと自分が手に入れたものを今度は失うのではないか、という恐怖心に駆られるようになりました。今日手元にあるものが、ひょっとすると明日には無くなってしまっているかも知れない。そうなっても良いように、と更に新しいものを(その要否に拘らず)手に入れたくなってしまう。それの繰り返しが、ここのところの物欲の旺盛さにつながっている気がしてなりません。しかし、それは恐怖心から目を逸らすための代替品でしかなく、それゆえ、手に入れてもすぐに次を…と、考えてしまっている、そんな気がしています。

このままでは私は破滅してしまう。そんな危機感がずっと拭えません。
以前なら、こうした時に転職などといった手段でかわしてきたのですが、今回はもうそうもいかないのでなんとか踏みとどまらねければなりません。

いっそのこと(過去のエントリーでも繰り返し述べてきたように)「失ってしまったら怖い」と思うものを一旦手放してみるのも手、なのでしょうか?
新たな光を見つけるために、今ある灯りを消してみる。そうすれば、自ずと暗闇の中に瞬くそれを見つけられるかも知れません。しかし一方で、ひょっとしたら新たな光なんてものはなくて、暗闇の中でつまづくだけかも知れない。そう思うとなかなか踏み切れるものではありません。

私の精神的な逡巡はまだ、暫く続きそうです。

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