今日、両親が来訪したことを書きましたが、実はそのことで少し感じたことがあったので記録として残します。
父は客観的に見て社会では成功者の一人でしょう。実際、某教育機関の名誉称号を持っていますし、未だ経済的にも余裕がある方だと思います。間も無く80歳となる年齢となりましたが、その割には比較的元気なように見えました。
しかしそうは言ってもこの数年、父は急に老い衰えたようにも見え、それを強く認識した時、私自身はこれからどこに向かおうとしているのだろう、と考え始めたのでした。 成功者であろうと、そうでなかろうと、最終的に向かう先は誰一人変わりません。即ちそれは「永遠の休息」。しかし、そこに至るまでどこで何をするのか、というより私自身は「どうしたい」のか。それが分からないままなのです。
私自身は父のような成功者ではありませんし、これからも多分小者のまま生きていくのが精一杯だと思っています。
もっとも、これまでは幸いにも良い環境や親切な知り合いに恵まれ、少なくとも人並み程度には生きてこれたつもりではいます。楽しいこと、嬉しいこと、感動したこと…その想い出であれば両手両足でも数えきれないほどあった、と言っても決して過言ではありません。
ただこの先、本当に楽しいと思えることは何だろう?と考えた時、祭りの後のような寂寥感に苛まれるのです。ひょっとしたら、私にとってはもう新しい出来事など殆どなくて、無間地獄のような日々をただただ、自分以外の誰か達のためだけに歩き続けなければならないのでしょうか。
そんなことを考えていたら、自分の乗っている人生という名の列車が、もう終点までノンストップで疾走する特急列車の如くになってしまったのでは、との恐怖心すら湧いてくるのでした。
「ドウスレバ、イイノ…?」
両親が帰宅した後の夕方ごろから、ずっとそんなことが頭の中をループし続けているのでした。
