先週金曜日の夜に会社の他部門の方と夕食をご一緒させていただいたのですが、その際、今年中途入社した20歳代後半の同性の後輩から、私の仕事のスタンス(電話でのやり取りを聴いていて、判断の早さや話の説得力とか、その辺り)と容姿についてなぜかポジティブな評価をもらってしまいました。そして言われたことは…。
「Marc’nさんが既婚で当社に入ってくれていてよかった。そうじゃなかったら片っ端から(異性を)口説かれてた。」
「今でもそのお姿なのですから、若い頃は相手を選びたい放題だったのじゃないですか?」
おいおい、そんな世界線は元からないって(笑)。お世辞にしたって言い過ぎ(笑)。
若い頃は大学入学直後こそ少しは格好に拘っていました(そしてその頃、街で結構な頻度で異性に声をかけられていたのは事実で、知り合いだけでなく、互いに名を知らぬ行きずり?の異性と電車で通学した、なんてこともありました)が、その後色々あってオタク道まっしぐらになってしまい、そっち方面は完全に無縁になったのいうのが真相。

少しだけ浮いた話があったとすれば、最初の転職から一年ほどたった頃、職場のある若い異性にどうやら気に入られたらしく、ある日突然同じ部署の中年女性からその異性について「XXちゃん、可愛いよねえ。一緒に遊び行ってあげたら?」などと言われ「?」と思っていたら、その後その異性本人から「今度二人で遊びに行かない…?」と誘われたりしたけれど、当時の私は職場でのそういうは色々面倒だからと、適当に答えているうちにその異性が退職してしまい「あ、可哀想なことをしてしまったのかも。」と思うことがあったとか、あとは、今の家内とお付き合いをすることになった際に、ある一つ年上の既婚の方から「そうか、他の女のものになっちゃうんだ…。」と残念がられたとか、精々その程度でして、まあそれくらいは普通によくある話だよな、くらいにしか思っていませんでした。が、それすらも先述の後輩的には「あー、やっぱり…」なんだそうで。(他にも少しあるけれど、ロクでもないのばかりだし、私自身はなんの得もしていない)
まあ、この辺は深掘りするとあまり良くない話になりそうなので軽く触れるに留めますが、私は学生時代のある出来事をずっとひきづってしまっていて、それ以降彼女的なものを本気で作る気がなかったのですよね。好きな人はいましたが付き合うのはなんだか大変だし、どうせ最後は…、みたいなところがありまして。そこまで自分のリソースを誰か一人のために割くのは…?という気持ちと、その好きな人には多分自分の全リソースを注ぎ込んでも手に余る相手だと感じていて、きっと結果は変わらなかったのだろうな、と今でも思っています。
しかし、そんな「別に彼女なんて」という気持ちが覆ったのが2002年夏頃、とある少女との出会いがきっかけなのですが…、まあその話はまたそのうち(逃)。
ただ、この後輩とのやり取りのおかけで、ここのところいつぞやの失敗をずっと引きづっていて意気消沈していた自分には少し元気がもらえた気がしました。
その後帰路にて、自部門の部下でこの夏に入社したばかりの子と夜のコンビニの駐車場で少し話をしたのですが、いつぞやの失敗の件について「あれは難しかったと思います。仕方ないです。」、「本来であればMarc’nさんがすることじゃなかった。」と慰められたほか、「私が今一番不安なのはMarc’nさんとAさん(私と同世代の部下)が同時期にある日突然いなくなってしまうんじゃないか、ということ。」、「最初の面談の相手がMarc’nさんでなければ、私はここに入社してはいなかった。」と半泣き混じりの声で言われ、少し目が覚めた気がしました。私が失ったのはたった一つのことで、それ以外は何も失っていないだけでなく、むしろそれをきっかけとして新たに得たものもあるというのに、未だそのたった一つの失ったことに拘りすぎている。こんなに良い部下や後輩に恵まれているのに、私は一体何をやっているんだ…と。
そもそも、その失敗だって私の自己評価が異常に低すぎるが故に起こしてしまったことで、しかし実際にはそのような評価そのものが自らの勝手な思い込みであって、現にお世辞とは思えど「選びたい放題」などと言われる姿(仕事での能力の評価を含み)や、「いなくなってしまうことが心配」と言われるくらいにはなっているわけですから、もう少し自信を持って自分のやりたいことをやれば良いのでは、と少し考えを改めるきっかけになりました。
まあそれらの話はさておき、滅多に褒められることがない容姿を褒められ、なんとなく調子づいてSNSのアイコンを自撮り写真に変えてみました。ちょっとカッコつけてみましたが、どうでしょう?少しはイケオジっぽい感じになったかな?(笑)
