突然のお別れ

ちょうど一週間前の7月26日の夜は、仕事を終えたのちに昔からの取引先と食事をし若干呑み過ぎた感があったことから、入浴を控え普段より早めに床に就いたのですが、その約一時間後に自宅の固定電話が鳴り、そして母から次のような留守電が入りました。

「日光の叔父さんが亡くなった。」

半ば寝ぼけており、また、酔いが醒めていない中で、まずは「はて?日光の叔父さん、とは…?」とぼんやり思ったのですが、次の瞬間我に帰り「まさか…?!」となり、その言葉の意味は理解できてもそれを信じられない・信じたくないとの気持ちから、直後にLINEで母に改めて確認をしました。その結果はとても重く辛い現実を認識せざるを得ないものとなりました。

信じられない・信じたくないとの気持ちを抱いた理由は、日光の叔父とはその10日ほど前の16日に直接会って普段と変わらぬ姿を見ていたからです。その際、叔父からは「まさひろ、痩せすぎじゃないか?大丈夫か?疲れやすくなったりしてないか?」とむしろ私の体調を気遣われた程でした。そして、帰り際には「次はお盆に来ます。また来月お会いしましょう!」と伝えて別れたのでした。

それがまさか今生の別れの言葉になるとは…、悔やんでも悔やみきれません。

叔父との思い出は、それ自体が日光への思いとほぼ近似するだけでなく、趣味や人生のスタイルに多大な影響を及ぼし続けていると言っても過言ではないほどの大きなもので、ここでその全てを記すことは極めて困難ですが、ただ今言えることは、今日の告別式・納骨式ののちに立ち寄った主人を失った、薄暗い喫茶店のカウンターにて「もう二度とここで、叔父の淹れてくれたコーヒーを飲むことも、私の普段の生活フィールドでは到底聞けないような話を楽しく語ってもらえることもないのだな…。」と思い、しかしそう頭で・理屈では分かっていても、それを未だ受け容れられない自分がいることを改めて自覚させられた、ということでした。

叔父との思い出を私が語れるようになるまでには、もう少し時間が必要なようです。

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