Category Archives: 旧ブログ記事

小平に行ってきた

両親新居の事前確認会

とやらがあったので、野次馬根性半分とその他半分くらいの気分で見に行ってきました。2階建ての1階部分が賃貸アパートなので、居住空間の床面積は今の実家より小さいものの、それでも両親2名が住むには十分な広さですし、なにより、それぞれが贅沢仕様になってました。一番印象的だったのがトイレで、今は水を流すのもリモコンなのか…と驚きました。
来週か再来週だったかには引越作業が入ったりで、色々手伝いをしようなどと考えてたり。まあ、出来る範囲で、ですけれども。

終わりの始まり

…はあ

ここのところ、日々打ち合わせを重ねた内容は、今日をもって雌雄を決しました。結論としては、善し悪しではなく、単純に力関係だけで押し切られたというか。いや、結論は元々決まっていたわけで、その結論に対しどの程度影響を与えられるか、が焦点だったのですが、結果的には殆ど影響を与えられなかった様に感じます。
少なくともはっきりしていることは、この1年やってきたことを全て自らの手で葬らねばならなくなったこと。トップもそれは望んでいなかったみたいで、相手方に対し「物が良かったのでこの結論に至ったわけではなく、『問題は問題』と言葉尻だけではなく、本当に本当に認識して欲しい」と非常に厳しい表情で意見していましたが、いずれにせよ、もう決まったことですので、覆ることはありません。
…って、何を書いてるんだかさっぱりですが。

本当に多忙なのであった(汗)

妻は実家に帰りました

…と言っても喧嘩をした訳じゃなくて、単純にわしが昨日休日出勤で、「家に一人で居ても退屈なので、気分転換しに」ということで、昨日から実家に一泊。
で、今日はお休みを頂けたので、妻を迎えに行ったり、その後、わし実家に寄って洗車したり。
疲れはいまいち取れなかったけれど、気分転換にはなったような気がします…多分。

TX開通(3日前に)

TX試乗

一旦帰宅後、意味もなく妻と共につくばー守谷間を往復してきました。感想としては「確かに速い」、「トンネルでは耳ツンになる」などといった感じ。それにしても沿線は何にもないなあ…って感じ。
なお、復路は敢えて先頭車両に乗ってみましたが、かぶりつきな鉄ヲタ多数&悪臭が凄まじくてうんざり。デッドセクションに入る直前で、一般のお客さんに対し「私はここが見たかったんですよ。これが魅力なんです」などと意味の分からないこと(きっとデッドセクションの架線の状態などを見たかったんだろうけれど…)を論じ始めてたり…なんなんだ一体。

夏休みも終わり

5日ぶりに仕事。休みボケなのかなんなのか、ー日中眠かったです。
ちなみに作業内容はと言うと、ー日中打ち合わせ。実は最近こればっかなのですが…。しかも内容は著しく暗いものだったり。まあ状況が状況だけに致し方ないことなのですけれど…。

陽炎

久々に

自転車でつくば市内を彷徨いてみた。
かつて、この街を自転車で彷徨きはじめたきっかけはと言うと、やりどころの無い若き葛藤と「もしかしたら、あの人に会えるかも知れない」という希望によるものだった。…今は、ただそれらを懐かしむのと、その頃からの街の変貌を見る以外、その行為の目的は無いのだが。
まず、つくばの中心街へ行ってみた。ここにはまもなくつくばエクスプレスのつくば駅が開業するが、今日のこの姿は開業前の最後の姿として、目に焼けつけておこうと思った。思い返してみると、私がこの近くの公務員宿舎に住んでいた頃、小学校に上がる前から「つくばに列車が来る」という話は有ったが、その開通日は話を聴くたびに未来へと先延ばしとなり、子供心で「こんな何もないところにそんな物は出来ようはずがない」などと考えていた。実際、その頃はまだセンタービルすら出来ておらず、ここに土浦の街のようなものが出来るとは夢にも思わなかった−−そんなことを思い出すと、今のこの現状はまさに夢のような光景である。
次に、耳をつんざく蝉たちの大合唱に目眩すら覚えつつ、かつての生活拠点であった竹園近辺を彷徨いた。このあたりは一戸建てタイプの公務員宿舎が建ち並び、ここに入居出来た人は「運が良い」などと言われていたが、今となってはその半分近くが閉鎖、もしくは空き家となっていた。「まだ、十分住める建物なのに何故」という気持ちが過ぎったが、今や公務員宿舎に住む人は少ないとの由。なるほど、言われてみると、サンルーム状のテラスなど30年前の設計としては比較的贅沢とも言うべき内容ではあっても、いわゆる一般的な一戸建てに比べるといかにも古い。これでは敢えてここに住みたいと言う人は少ないのかもしれない。経費の削減という点からも致し方無いという気持ちが有る反面で、かつてここに友が住み、共に遊び歩んだその遊歩道ですら、「関係者以外立入禁止」と言う無表情な看板によって、その思い出が儚く引き裂かれる気がしていたたまれなかった。
団塊の世代−−私はそのような「世代の区別」はあまり好きではないが−−と呼ばれる人たちは、この街の一世代目を築き、そしてここまで発展させたが、もはやその方々も大半が現役を退き、この街を去った人も多いと聞く。あまつさえ、私の両親ですら。それを考えると、つくばは既に一つの時代が終わり、また、これからつくばエクスプレスなどの開通などにより、新しい世代が始まろうとしている−−私のような一世代目のつくばを知るものにとって、幾ばくか寂しささえ覚えるが、それも街の発展の過程として致し方ないと感じている。

帰途にて

某駅で乗換の際、なんとなくどこかで見たことがある様な…と言う人に行き会ったのですが、あとになって思い出してみれば、横須賀時代にお世話になった橋尚氏(もちろん仮名ですが、理解者理解と言う説も…)でした。そういや、あの時のメンバーって常磐線沿線に住んでる方が多かったんだっけ…。
なお、わしはこの方について、対向試験などで散々叱かられた記憶しかなかったりします(汗)。まあ、客観的に見てわしが悪かったので文句は無いのですが、転職後半年くらい経ってから、この方から電話があった(間違いだったのですが)ときは「半年経った今になって、またも怒りの電話かっ!?」とマジでびびった記憶が(苦笑)。

洗車

昨日海に行き、潮風にあたったので、洗車。パールホワイトは汚れが目立たないので、「未だ洗わなくても大丈夫かな?」なんて感じでしたが、洗えば洗ったなりに綺麗になった…ような気がします。