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人生二度目、40年ぶり

この4月を迎えるにあたり職場で人事異動があり、これまでいた所属部門の上位組織の責任者、つまり「部長」と称される役職についてしまいました。今在籍している会社では部が最大の組織単位となりますので、この役職は従業員として最上位のものとなり、大企業であれば本部長や執行役員などの役職とほぼ同等の役割も担うことになります。
私自身は大した学歴がなく、また職歴も新卒直後はITブラック四天王と言われる企業の一つへ何も考えずに就職してしまい大変な思いをし、その後、知人のつてですでに斜陽となりつつあった業界の零細企業に転職して社内の情報システム担当となり、紆余曲折があったにせよ今年で社内SEとして満25年、自分なりには頑張ってきたつもりであっても他と比べて決して立派というほどでもないものにも関わらず、それなりに羨望の眼差しを受けているであろう業界にある現所属企業でまさかこんな立場になれるとは、という喜ばしい気持ちと、本当にやっていけるのか、という不安が入り混じったまま、すでにおよそ二週間を迎えようとしています。


およそ九年半前に、副主任という下から二番目の役職―100人規模のプロジェクトをリーダーの立場で成功に導いたり、上場企業の経営企画室スタッフとしてほぼ一人で社内ITの企画と統括をおこなったなどのそれまでの経歴からすれば、自身としてはあまり納得感のない処遇―での入社となった現所属企業では、「こち亀での引退マラソンランナー鮫島のセリフ『ビリには追い抜く楽しみがある』の如く、低い立場であれば上へ這い上がる楽しみがあるともいえる」とのマインドのもと、自分にできることをとにかく何でも頑張ろうとのスタンスで仕事に励んだ結果、ちょうどコロナ禍の最初期だった五年前に中間管理職である課長に昇進したのですが、その時は「いやもう、自分にしては十分頑張った。この地位より上は孤独で辛いから現状維持でいこう」と思っていたのです。しかし、その結果としてあらゆることに張り合いが感じられなくなってつまらない、と思うようになっていったのでした。またコロナ禍ゆえの行動の制約があったりとか、更に年齢的に更年期の入り口だったこともあって精神的な均衡が保てなくなり、言わなくても良いことを周りに吹くようになって、本来であれば守るべき、大切なものも自らの失態により失うなど散々な状態に。そしてその後も胸を痛めるようなことがしばしば起きては精神的に追い詰められ「もうこれ以上の醜態をさらすのはダメだ、終わりにしよう」と考えだしたのが昨年秋。で、実際にジョブリターン制度を利用して、以前在籍していた企業へ転職活動を行い、相応の処遇案の提示と共に内定までいただいて先の年末を迎えることとなったのでした。

年が明けて本気で迷いに迷いました。「今の職場を去ってかつての自分を取り戻すのか」、それとも「今の職場でなんとか持ち堪えるのか」という選択肢のどちらを選ぶのか、ということを考えつつ、今後のことについて自身の上司を含むたくさんの方と相談し意見を伺いました。
それらの意見は、必ずしもいずれの選択肢を断定的に選ぶものではありませんでしたが、客観的に私が今の職場でどういう立ち位置にいるか、ということを知らしめられ、まだ新たな可能性が残っているのに敢えて落ちた砂を拾い上げオリフィスの上へ戻すような行為に自分自身が納得ができるのかどうか、ということを自らの心と対峙して真剣に考えました。
その答えは「否」。そして、「今の職場で持ち堪える、ではなく、今の職場で行けるところまで行ってみよう」、つまりは課長という立場に満足せず、その上を目指そうという前向きな気持ちになるきっかけになったのでした。結局、内定は辞退し「2025年度からは『現職場に再就職した』くらいの、新しい気持ちで頑張ろう」、そう心に決めたのでした。

その翌月、担当役員に呼び出され言われたのは「キミを来年度、新しい部長に推挙したい。受けてはもらえないだろうか。」でした。…いやまあ、確かに上を目指そうと決めたものの、まさかこんなに早いとは。しかし、気持ちはすでに決まっていたので回答には迷いはありませんでした。「頑張ります!」そして今日に至ります。


自分が新たに受け持つ部門は品質保証や知財管理なども行なっていて、社会に出てからIT一筋で来た私にとってはそれらの知識はあったとしても一般常識レベルがせいぜいで、到底専門家のレベルに達してはいないのですが、まあ逆に新たな知見を得られるチャンスとも言えるので、まずは新たに学ぶことから始めなければ、と思っているところです。

それから、部長と呼ばれるのは自分の人生で二度目になります。
一度目は40年前、当時通っていた少年剣道教室の児童代表になった際でした。「いやそれ、全然違うやん」というツッコミが入りそうですし、もちろん求められているものも全く違うことは理解はしています。ですが、自分の中では人生初めてのリーダーシップの経験がまさにそれであったことから、それ以降の人生の中で全く繋がりがない出来事だったとは思っていません。そして、その時は同じ地区の他教室の部長たちとの実力差を強く感じていたがゆえに、「大した実力もないのに」とか、「教室にとって汚点になってしまったのでは」とその後もずっと心に引っかかっていたのですが、平成17年にその教室の記念式典があり、かつての先生(かつて某国立研究所の所長をされていたほどの立派な先生でした)とお会いした際に、「確かにうまくはなかったが、一生懸命だった。だからみんなついていった」と当時の私を評してくださったことで、それまでのもやもやとしたものが晴れた気分になりました。
今の職場の私以外の部長職の方は学歴・職歴ともに凄まじい猛者ばかりで本当に私なぞが同じ役職でいいのか?どうする?という気持ちは当時のそれとあまり変わりなかったりするのですが、そういった弱点があるにせよ、自分の取り柄は「一生懸命」なのでしょうから、まずは気後れすることなくひとえに会社、そしてその事業を通じて我が国の科学技術への貢献ができるよう一生懸命頑張っていきたいと考えています。

age++

なんというかあっという間でした。こうして瞬く間にも還暦になってしまうのかなあ(はあ〜)。

実は色々と岐路に立たされておりまして、仕事始め早々色々と動いてはいるのですが、イマイチ決定打に欠けるというか…。多分まだ踏ん切りがつくほど気持ちが熟していないのだろうね、というのが正直なところです。

「何か現状に不満があるのでしょうか」と問われ、出てきた言葉は「不満はないが不安はある」でした。多分それが偽らざる私自身の本音であり、そして、結局それがこれまでの同様の状況の主たる要因だったのだなあ、と今更ながらに気付かされました。これまで不満にはそれなりに屈しないつもりで来ましたが、不安に対しては耐性が低いのだなあ、と。心配性ゆえの弱点ともいうべきか。

さて、どうしたことやら。

2024年振り返り

殆ど更新をしなかったこのブログですが、今年最後の日ということもありますので、軽く振り返りを。

今年のお買い物

おそらく社会人になってからは初めてなんじゃないか…と思うのですが、この一年はついに音響機器を何一つ買いませんでした。といっても、特に驚くことでもなくて、昨年もELAC CINEMA 30くらいしか入手していませんでしたので、今後もよほど何か新しいものが出てきたりとか、あるいはこれまで使っているものに不都合が生じるなどなければ同じような感じになるのかな、と感じています。

なお、音響機器以外で購入したものは次のとおり。

  1. Apple iPad Pro (M4) 11inch + Magic Keyboard + Apple Pencil Pro
  2. Pioneer BDR-XD08MB-S
  3. YAMAHA PSR-SX600
  4. Logicool MX MASTER 3S

1番はこれまで使っていたiPad Proが満5年を迎えて流石に古くなったので、その入替用として購入しました。最新のAppleシリコン搭載でパフォーマンスが良さそうだし、Magic Keyboardの併用でMacBook Airの代替にすらなるのでは…と目論んでいましたが、実際には「iPadはiPadでした。」というのが正直な感想です。ハードウェアは十分モバイルラップトップといっても遜色がない印象を受けるのですが、いかんせんiPadOSを含むソフトウェアがそれに届いていないように感じます。特にウインドウ数やアプリ側の「意図的な」利用制約はなんとかならないのかなあ、と思うことがしばしばありました。ハードは十分高性能なのに、ソフトが足を引っ張ってしまい、未だmacじゃないとできないことが多すぎる印象です。最新の情報機器なのに過去の形態の機器に追いついていないのはどうなんだ…など、今後のデジタル機器とその界隈の向かうべき姿、方向性について少々考えさせられるものがありました。

2番はこれまで使っていたUSB接続のDVD-Rドライブが故障したので買い換え。今後の利用用途からすれば、手元のCDメディアをデータ化することくらいしかなさそう…との考えからこのチョイスですが、特段取り込み直しなどをすることもなく、必要に応じて使うくらいの状況。なので、特に感想らしい感想はありません(汗)。

3番はRolandのGO:KEYS 3と迷ったのですが、スマホアプリの「Chord Tracker」と連携できることに魅力を感じてこちらに。けど、結局コードはだいぶ自力で拾えるようになってしまったので、GO:KEYS 3でもよかったかもなあ…という気もしています。いずれそっちも買うかも。
Arranger Keyboardについてのレビューはあまり多くなく、また、これまでコードなどを学んでこなかった自分には本当に使いこなせるのか半信半疑でしたが、使ってみれば「こんなに楽しいものだったなんて」と思えるほど遊べることに気づき、大変気に入りました。なぜ国内ではあまり流行ってないのでしょうかね?もう少し上位機種も含め選択肢があれば良いな、と思いました。

4番はつい勢いで(笑)。使い始めは「うーん、手に余るかなあ」と大きさを感じたものの、使い続けているとむしろこのマウスじゃないと…という不思議な中毒性があるように感じました。

仕事とか、プライベートとか

仕事の方は、うーん、取り立てていい話はないですね。あまりこういうことを書きたくないのですが、「みんなのために」を強く意識して動いた結果、却ってその先にあるものにあまり期待が持てなくなってしまった状況です。

プライベートの方は、長年懸案だった子供部屋の独立を叶えたりしましたが、それよりも今年の印象的な出来事は、1年の間に新型コロナ(3月)とA型インフル(12月)のいずれにも罹患してしまったことですかね。体力も随分落ちた気がします。まあもう歳を考えればやむを得ないところではありますが。

正直いうと、あまりパッとしない一年だったとの印象です。来年はより良い年でありますよう。

音楽生成AI『SUNO』を試す

今年は、公私共に生成AIに関する話題がずっと自身の周囲を賑やかしていた印象がある一年でしたが、年末に時々鑑賞しているYouTubeチャンネルでSUNO AIがV4になって進歩した!みたいな話題を見かけたので、自分でも色々試してみました。たったわずかなプロンプトでもそれっぽい音楽が出来てしまうのは凄いな、と思う反面、歌詞も含め全部AIに生成させると、はて、これは一体誰の楽曲と呼べるのだろう…みたいな気持ちが湧いてきました。

そのような思いから、せめて歌詞だけでもオリジナル要素を取り込んでみよう、と思い学生時代に書いた、ちょっと頑張れば歌になりそうな謎ポエムをなんとか歌詞っぽくリバイスしてSUNOに放り込んでみました
以下、頑張って歌詞にしたものの全体を掲載しておきます。青色の文字が謎ポエムだった頃のオリジナルスクリプト…なので、実はサビ(Chorus)の部分を除き殆ど原型を留めていなかったりはするのですが。

[Verse 1] 
 初めて会ったときから 何かを感じていた
 きっとこうなるってこと 直感で気付いてた
 自分の臆病さから 認められずにいたけれど
 「素直になろう」って そう小さく呟いた

[Verse 2]
 いつもの土曜の 昼さがり
 暖かな陽がささる 小さな部室で
 澄んだ瞳の奥にある きみの気持ち
 掴んでみたいと 思ってしまった

[Chorus]
 今、自分が持っているもの 全て捧げても構わない…けど
 それでも、きみの心を掴むてだてすら見つからなくて

 これは夢だよね…ふくらむ未来への希望
 これは夢だから…きっと朝がくる

[Verse 3]
 きみが一人じゃないって そう知ったとき
 きっとそうだよねってこと 直感で分かってた
 斜にかまえてそれを 言い訳にしていたけれど
 「素直じゃない」って そうため息をついた

[Verse 4]
 キャンパス帰りの バスに乗る
 喧騒と静寂が混ざる 青色の車内で
 きみの心の奥にある だれかへの想い
 恨めしいと 思ってしまった

[Chorus]
 今、自分が持っているもの 全て壊しても構わない…けど
 それでも、きみの心に入り込むことすら叶わなくて
 これは夢だよね…
打ちひしがれる気持ち
 これは夢だから…きっといつか覚める

[Bridge]
 淋しさに 嘘がつけないよ
 強い想い 隠しきれないよ
 人の心は うつろいやすいけど
 きっとこの気持ち 変えられない

[Chorus]
 今、自分が持っているもの 全て捧げても構わない…から
 かならず、きみの心をぼくに振り返らせてみせる
 これは夢だよね…その未来を信じて
 これは夢だから…きっといつか叶う

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Lyrics by Masahiro Kondo COPYRIGHT(C)1994, 2024

前述の通り原型はほぼ留めていないとはいえ、この謎ポエムは書いた当時から大変気に入っていて、いずれなんらかの形で曲をつけられたらいいな、とずっと心に留めていたものだったりしましたので、SUNOによりこれにいかにもポップな曲がついたのは感動。特にVerse 4の部分はVerse 2との対比(なので、暖色に対して寒色の描写になっている)として陰鬱になっている感情を描いてみたのですが、その雰囲気が演出として反映されていて、これは確かに凄いな、と感じました。
もっとも、SUNOに歌わせてみてから歌詞を変えたいと思った箇所がいくつか出てきたのですが、歌詞を修正して改めて生成を試みると曲自体が変わってしまうので断念。歌詞のみを自由に編集する機能もあるのかも知れませんが、この辺は今後の(私の?)課題ですかね。

生成AI、特にChat GPT界隈については技術的な進歩がもうある一定のところまで来てしまっている、などといった若干ネガな情報もないわけではないですが、使いこなしという観点ではまだまだこれからという印象が個人的にあります。これをどれだけ様々なシーンで役立たせることができるのか、これからも機会を見て試してみようと思います。

この先10年も

今日、50回目の誕生日を迎えました。ついに50歳代ということで、年齢的にはもう誰がどう見ても「おじさん」or「おじいさん」の域に達したわけですが、全く実感がありません。
なお、23年前の今日、自分が歳を取ってしまったことをここで嘆いていたようですが、今となっては「何をいうかこの若造!」という感じでしょうか(笑)。

さて、振り返れば40歳代は精神的な逡巡を繰り返す、あまり成長のないものになってしまったなあ、と反省しています。
およそ8年前の転職をきっかけに、若い頃欲しいと思っていたものをほぼその手中に納め、その慢心と共に自らのライフワークとそれらのゴールがなくなってしまって、ふと気を抜くと「これから、何を目指して生きていけばいいのだろう」と考えさせられ、しまいには得たものたちと引き換えにそれ相応の歳月を費やしてしまったことを嘆き、人生とは?とか無駄に生き永らえてしまうことで、単に周囲に迷惑をかけているだけの生産性のない人物になっていやしないか、とかそんなことを考えながらずっと悩み、迷い、彷徨いを繰り返していた感があります。もっとも、それについては今この瞬間もはっきりとした答えを出せずにいますが…。

ただ、これまで当たり前で比較的どうでも良いと思っていた様々なものを、欲しいと思っていたものを手に入れる過程でほぼ失ってしまっていたことと、それらの幾つかがまだ取り返せることに気づいたのがおよそ2年前、それらを取り返す最中で得られたものは少なくないですし、おそらくそれらを大切にすることでまだ新たな挑戦はできるのではないか、という自信もついてきました。

その流れを継続させるべく、この先10年の目標は「常に新しいことへ積極的にチャレンジしていく」とします。いや、これまでもずっとそこは忘れていないできたつもりではありましたが、新しいことを進める中でも自分の今持つリソースを温存しながらの戦いになる、という点でこれまで以上の奮起が求められるのかな、と思っています。
なお、目標として「挑戦と温存」的な内容とすべきではということも少し考えましたが、温存をも並立して前面に出してしまうと、どっちつかずにすらならずに比較的やりやすい「守勢」が主となってしまい、多分自分の性格からするとこれまでの10年と同様の彷徨い続けるだけになってしまうので、あくまでも「新しいことへのチャレンジ」の過程で「温存」も両立する、即ち攻が先で守が後。なかなかにバランスを取るのが難しいですが、それを実践することで周囲に対する更なる生産性向上への寄与と自己研鑽、そしてそれらによる充実した日々を過ごせるものと考えています。

そして、新しいチャレンジによって得られる利益は「みんな」のために、そして「自分」のために。
もし利益の向き先を「みんな」ではなく「誰か」としてしまうと必ず別の誰かが不利益を被ることになりますので、常にマクロ的視点を忘れず、またそれが自らにも資するものであること、その原則を大切にしたいと考えています。

これらをどこまでやれるか。いや、どこまでやるか。それを常に意識して充実した50歳代を送りたいと思います。

— Post Script —
夜、ケーキの代わりにプリンアラモードを家族で頂きました。
プリンアラモードはケーキより好きかも。

今年得たもの、失ったもの

あくまでもプライベートの範囲で、の話としてですが…。

得たもの

  • Microsoft Surface Laptop Studio
  • Apple MacBook Pro 16inch(2021)
  • CalDigit Thunderbolt 4 Element Hubほかデスクトップ環境用機器一式
  • Roland SOUND Canvas VA
  • Apple iPhone 15 Pro Max
  • ELAC CINEMA 30
  • その他アパレル製品多数(これが一番多いかもしれない)

失ったもの

  • SONY VAIO Duo 13 / VAIO L
  • Roland SC-88Pro / EDIROL UM-880
  • NEC PC-9821An/U8W
  • Apple iMac 27inch(2019) / MacBook Air(2020)

こうやって見ると、デジタルガジェット系の世代交代がその大半だった気がしないでもないですね。デスクトップPCが全部引退して、その代わりにラップトップPCを外付けディスプレイにつないであたかもデスクトップの如く使える環境を整備したとか、Windows機を旧態依然の機種から比較的新しいものに入れ替えたことで、環境としてMacと並立できるようにしたとか、まあそんな感じでしょうか。

iPhoneは別に以前のものでも殆ど不満はなかったのですけどね…、詳しく触れる気はありませんが、実はいろいろあってさっさと買い替えたかったというのが本音です。ただ、これによってLightning端子の機器は手元から全てなくなり少しスッキリしました。

あと今年買い増した唯一の音響機器としてELACのCINEMA 30がありますが、これはたまたまヤフオクにディスコンとなっていた専用スタンド付きのものが出ていたから、という理由だけで急遽調達しました。また、6年位前から気になっていたスピーカーセットではあったので、入手して後悔することもないだろう…、と確信していたこともその背中を押すことになりました。で、肝心の音質は…、うーん、使いこなしが難しいなあ、というのが正直な気持ちです。

最後に今年印象に残った出来事をいくつか。

  1. 著名人の立て続けの逝去(個人的には坂本龍一氏、高橋幸宏氏、谷村新司氏、大橋純子氏など)
  2. twitterがXへ
  3. 叔父の旅立ち

特に3つ目はあらかじめ自身が想像していたよりも遥かに衝撃が大きかったようで、実はそれ以降殆ど日光に赴いていません。主を失ったカウンターを見たくないのです。あのカウンターの前で見聞きした数々の出来事が、自分の中の幹にそこまでの影響を及ぼしていたとは、と、自分でも気づいていなかったことを今更ながらに思い知らされました。

そうでなくても、ここのところずっと行先というか、標を失って逡巡している感があった自身の精神状態はさらに迷走を始めてしまいそうな勢いです。それを打ち消すために仕事に邁進しすぎて、久々の月3桁時間残業をしたところ、今度は産業医に叱られたりしましたし…。
尤も、一番効いたのは中学時代の知人から「もっと家族と自分のために時間を使え」と叱咤されたことかも知れません。社交辞令とは思えないその忠告こそが本当に有り難かったですし、自分を粗末にすることで、結果的には家族やさまざまな仲間へもそうしていた感は否めません。反省。

来年はいい年であってほしいと願うばかりですが、自分の運命は自身で切り拓かないといけないのでしょうね、たぶん。どこに向かうのか全然決められていませんが、まずは自分の前に立ちはだかる壁を崩すことにしましょうか。

昨日のエントリーで

MacBook Proを購入の上、MBAとiMacを処分して一台に集約したとの内容にて、「私にとっての最初のMacはPowerBook G4でしたので、ある意味ようやく元の形に戻ったことに」と書きましたが、そもそもなぜデスクトップ機を追加したのだろうということが思い出せずに悶々としていたのですが、ブログの当時のエントリーにこんなことが書いてあることに気づき、その経緯をようやく思い出しました。

PowerMac G4(QuickSilver2002)を貰った

まあ、今更の感がありまくりな機種ですが、それでも三次キャッシュ他などにより、わしが常用しているPBG4(FW800)より高速なので、先日購入したディスプレイなどに接続し、きちんと使用できるように設置しました。

で、使ってみて思ったことは「MacOS Xって、高解像度のモニターがあって初めて、その良さが分かる」ということでした。PBG4では、Safariなどにて妙に大きなフォントを使用するように設定されているなあ、などと思っていたのですが、UXGAでは丁度よく、非常に見やすいです。また、今回貰ってきたPMG4はメモリを1GB以上搭載していることもあり、非常に快適。正直言うとMacOS XってWindowsに比べてもっさりしてると思っていたのですが、これならば悪くないという印象です。(以下略)

2007年1月3日のブログエントリーより抜粋

要は、PowerBook G4は文字が表示画面の比率として大きく、また、処理能力もあまり満足できなかったものだったのに対して、デスクトップ機ではその印象が払拭されるほど好印象だったがために、ラップトップでの運用からデスクトップへと転向した、ということだったみたいです。

で、今日に於いては画面解像度的にも処理能力的にもラップトップでもなんら支障がないから、集約を実行できた…、と。まあ、結局のところ「なあんだ」ってことでしかないのですが、当時は結構我慢してMacを使っていたんだなあ、ということを今更ながら改めて思い出した次第。

当時はまだiPhoneが国内では販売されておらず、Macはデザイナーなどの一部のニッチ向けや、道具というよりインテリアまたはおしゃれアイテム的な意味合いが強かった頃で、しかし私自身はMacOS XのベースがDarwinというUNIXであることゆえの可能性を感じて(半ば意固地になりながら)使っていたのでした。その後、iPhoneが国内で販売され、そのメーカであるAppleやMacがそれまで以上に知れ渡りニッチ・マニア向けのものからコモディティ化が進むことで、性能や使いやすさがそれまで以上に飛躍的に改善されていったように思います。

私的にはそのコモディティ化が進む中で「Apple製品に蹂躙されることは、将来的に困ったことになるのではないか?」と不安を感じ、2012年冬には一度Windows環境に回帰しようと考え、実際にマシンも数台買いましたが、もうそれを受け付けない身体になってしまい(笑)、今日に至ります。もっとも、Surface Laptop Studioは結構気に入ってますので、しばらくはMacBook Pro併用かなあ、と思っていますが。

古巣で打ちのめされる

先週金曜日、振替休日を使っておよそ20年前に勤めていた会社を訪問してきました。

この会社に勤めていた頃の私は、某大手SIerの現場(Y○P)での自動車電話向け交換機ソフトウェア開発の業務環境が過酷過ぎ故に殆ど逃げ出したも同然で辞めた直後であったため、自分は社会やIT分野では生きていけないのではないか?とかそういうことを考えるほどに自信を喪失していた時期でして、入社直後は少々気まずい雰囲気になりかけたこともありましたが、結果的には自身の能力を飛躍的に向上させてもらうことができました。それは、単にITや各種業務、そしてそれらへの改善・改革に関する知見を広げただけでなく、何より「仕事が面白い」と思えるようになったことでスタンスが変わり、あらゆる分野について積極的な興味を持つきっかけを作ってくれました。今の私がそれなりに活躍できている(と烏滸がましくもそう思っている(笑))のは、この会社での経験が全ての発端であるとしても全く過言ではないですし、実際普段からそれっぽいことを周囲に語り続けています。

そんな素晴らしい職場でしたが、結局は退職に至った理由を改めて整理すると次の4点になります。

  • 元々地元志向で、できればつくばに戻りたいと常々考えていたところ、私自身の入籍後一年のタイミングで両親が都内に移住し、実家が空くことが決まったこと。つくばからであれば都内勤務も可能なので新たなチャレンジができると考えた。
  • 新しいIT技術の入手性、という点において地方は若干不利と感じていたこと。飽きっぽい性格もあって、常に新しいテクノロジーを知ることに飢えていたが、セミナーの殆どは都内での開催。宇都宮から東京は遠い…。
  • 取引先の社長などから「優秀」とお世辞にも褒め上げられたことをきっかけに、もっと色々できることがあるのではないか、と自信を持ち始めていたこと。
  • 待遇面で不満があったこと。会社の業績が芳しくない状況だっただけにやむを得ないとは感じていたものの、家族ができてからは経済面で覚束なくなった。元来、趣味人間であることを標榜していた私にとっては厳しいものがあった。

その会社を辞めてからの私は、

  1. 意気揚々と東証一部上場企業に入社するなりいきなり経営危機に陥り企業合併の憂目に。「統合に向け、課題は明確にすること」との指示を都合よく拡大解釈してデューデリジェンスの最中に相手企業(そちらも東証一部上場)を技術的に貶めうる文書を作って発表したことで両社経営陣が混乱。合併直後に転籍先の子会社での上司面談では開口一番「辞めたかったら辞めてもいい」と言われ、冷遇される
  2. しかし負けん気フル発揮で自らの持つ技術力を駆使して暴れ回っていたら、「汎用的なITの知識量が多い」、「打たれ強い」との理由により、何故か2桁億円規模のプロジェクトのマネージャとして抜擢?(微左遷説あり)され兄弟会社に出向
  3. 紆余曲折あるもプロジェクトは完遂。その最中に本社へ転籍辞令。現場から一転して企画・調達・管理担当となり、かつて在籍していた子会社は取引相手に。自身は海外企業買収への対応や、震災をきっかけとしたBCP対応、デジタル事業戦略への支援など多数のプロジェクトに参画する傍ら、グループ会社でのITにおける予実管理などを担う
  4. 本社の在籍部門ではほぼ一人で立ち回り充実感・疲労感共に著しい最中、かつての職場の先輩からお声掛けをいただき「日本の科学技術分野に微力ながら貢献できる」、「新天地でもっとゆっくり仕事に取り組みたい」との理由で三度目の転職
  5. しかし転職後もせっかちな性格は変わらず。結局「ゆっくり」とはなんのことやら、ほぼ全ての社内ITの更改に携わり、入社後4年半で2つ昇進し責任者に。元々一匹狼的なところがあるがゆえ、ラインマネージメントに苦戦中(自分でやった方が早いが、それはダメと若手に諌められる日々)

みたいな感じで、まあとにかく落ち着かない日々を過ごしてきたわけですが、この持ち前の性格が幸いしたのかはたまた災いしたのか、経験だけは妙に豊富になってしまい、それゆえかつての古巣を訪問することで、その現状から今の自分ならそこで何ができるか?的なことを探って自らの能力トレーニングをしてみたいと時々考えていたのでした。

と、前振りが異様に長くなりましたが、以降、実際の先日の訪問について書いていきます。

お話ししたのは取締役となられた二名の方と関係者の皆さん。そのうち一名の役員は転職後も何度か飲み会に誘っていただいたご縁があり今回の訪問のきっかけを作ってくだった方で、これまでの事業上の新たな取り組みについてのお話しを伺いました。その方は技術畑一筋ということもあってか常に新しいことにアンテナを張られているようでして、既に還暦を遥か前に迎えておられるご年齢にも関わらず、昨今のAIなどに強い興味・関心をお持ちのようでした。

もう一名の役員とは多分退職後にお会いするのは今回が初めてでしたが、在職当時も私とほぼ同世代にも関わらずとにかく仕事や改善に前向きな方で会社の中心的な存在だっただけでなく、一度会社のwebサイトの更新内容で意見が衝突した際に、その方はあくまでも会社やそのステークホルダーに対してどう考えるのか?という視点で意見を述べられ、そこには私利私欲なる一点の澱みをも感じさせられなかったことにまさにハンマーで殴られたかのような衝撃を受けたことで、前述のように仕事へのスタンスを変えるきっかけの一つを私に与え、また常に畏怖を抱く相手でした。もっとも生まれてこのかた実際にハンマーで殴られたことはないですけどね(笑)。

その方と関係者の方とで昔のことやその後のことなどをお話をしていて感じたのは、一つのことにじっくり腰を据えてやり切ることの大切さ、そしてそれで得られるものの大きさ、でした。昨今は社会全体が業務改革に邁進することが美徳のように言われ続け、やれBPRだとかイノベーションだとかDXだとか…、まるでそれまで積み上げられてきたやり方の大半を否定するような「ちゃぶ台返し的な変革」とその流れに乗ることが恰も王道のように語られていますし、実際私もその流れに乗ることがベストではないにしてもモアベターであると信じていましたが、必ずしもその道に乗らずとも堅実かつ地に足を付けて時間を掛けて一つのことにじっくり取り組み熟成することで得られるものは必ずあり、そしてそれはちゃぶ台返し的な手法では決して得られない財産になりうると実感し、二十余年の時を経てまたもハンマーで(略)でした。そして、これが出来ている企業が国内にどのくらいあるのかな、と考えさせられることになりました。実際、このレベルでの緻密な管理が行えている企業は私の職歴ではよほどの大企業でもない限り他に見当たらないですし、「ああ、こういう環境だったから、私が今の私たりうるのかあ」と今更ながらに気付かされることに。当時は他の会社、特にバックオフィスの業務については殆ど何も知らなかったので仕方ないとはいえ、もっと学べることはここに沢山あったんだな、と思い知らされました。

もう一つの気づきとしては、職場の雰囲気がとても良かったことです。業務に集中しながらものびのびとされている印象で、特にサーバ室などの要所要所の整理整頓具合はお手本レベル。自らを省みる必要性を強く実感しました。

さて、今回の訪問の目的であった「今の自分ならそこで何ができるか?的なことを探ってみたい」への解はというと、熟成が進んでいるゆえに開発環境が昨今のIT人材の希望とはほど遠く、それゆえ後継者探しが困難で事業継続性に懸念がありそうなことと、それへの解決法としてITをマイグレーションする必要性が生じた際に現在の業務プロセスの「核となる部分」を適切に維持できるよう、熟成が進んだ業務プロセスを客観的に分析して俯瞰的・全社横断的な標準化・ドキュメント化をするための支援、かなあと。自分でもあまりにも月並み過ぎて面白くもなんともないし、収益への寄与という点でも即効性のない内容ゆえ推進はかなり難しいなあ、と感じたのも事実。少なくとも片手間ではできそうにありません。

もっとも余所のことはさておき、自分の足許がとても落ち着きがなく・おぼつかないものであることがこの訪問をきっかけに改めて詳らかになったことで、それへの取り組みをなんとかしないと、という気持ちにさせられました。今日、なかなかそれが難しい環境であることも事実ではありますが、困難なことほど完遂した時の達成感も大きいことを知っているわけですから、その旨みを味わえるようまた明日から頑張っていきたいと思います。

突然のお別れ

ちょうど一週間前の7月26日の夜は、仕事を終えたのちに昔からの取引先と食事をし若干呑み過ぎた感があったことから、入浴を控え普段より早めに床に就いたのですが、その約一時間後に自宅の固定電話が鳴り、そして母から次のような留守電が入りました。

「日光の叔父さんが亡くなった。」

半ば寝ぼけており、また、酔いが醒めていない中で、まずは「はて?日光の叔父さん、とは…?」とぼんやり思ったのですが、次の瞬間我に帰り「まさか…?!」となり、その言葉の意味は理解できてもそれを信じられない・信じたくないとの気持ちから、直後にLINEで母に改めて確認をしました。その結果はとても重く辛い現実を認識せざるを得ないものとなりました。

信じられない・信じたくないとの気持ちを抱いた理由は、日光の叔父とはその10日ほど前の16日に直接会って普段と変わらぬ姿を見ていたからです。その際、叔父からは「まさひろ、痩せすぎじゃないか?大丈夫か?疲れやすくなったりしてないか?」とむしろ私の体調を気遣われた程でした。そして、帰り際には「次はお盆に来ます。また来月お会いしましょう!」と伝えて別れたのでした。

それがまさか今生の別れの言葉になるとは…、悔やんでも悔やみきれません。

叔父との思い出は、それ自体が日光への思いとほぼ近似するだけでなく、趣味や人生のスタイルに多大な影響を及ぼし続けていると言っても過言ではないほどの大きなもので、ここでその全てを記すことは極めて困難ですが、ただ今言えることは、今日の告別式・納骨式ののちに立ち寄った主人を失った、薄暗い喫茶店のカウンターにて「もう二度とここで、叔父の淹れてくれたコーヒーを飲むことも、私の普段の生活フィールドでは到底聞けないような話を楽しく語ってもらえることもないのだな…。」と思い、しかしそう頭で・理屈では分かっていても、それを未だ受け容れられない自分がいることを改めて自覚させられた、ということでした。

叔父との思い出を私が語れるようになるまでには、もう少し時間が必要なようです。

明けましておめでとうございます

実は昨年暮にかけて体調を崩しまして…、よって一年の振り返りとかそういうのを一切しないままに年が変わってしまいましたが、先日「もう振り返らない」的なことを書いたばかりだし、特段印象に残る買い物とかはなかったので、まあいいか、的な感じで昨年の話は終わり(笑)。

というわけで、まだ万全ではありませんがとりあえずなんとか今日はブログを書けるくらいには復活したので、新年の挨拶と共に今年の目標を書いてみようかと。

今年の目標ですが、『先を見据えて行動する』と言う意味合いから、シンプルに英語で「look Beyond.」としました。色んな意味での制約やら枷はもうないのだから、ここからは自らが考える「あるべき姿」、即ち自らの進むべき先に向かうべく目一杯行動しようかと思っています。少し大袈裟かもしれませんが、誰かのために道を歩むのではなく、自らの意思で道を拓いてみせる、くらいの気持ちで日々積極的に取り組んでいきたいと考えています。自らの能力と未来を信じて。

それでは今年もよろしくお願い致します。

永遠に明けない夜などはなく、いずれは必ず朝が訪れるものです