Category Archives: 雑記

有給休暇

夏季休暇や振替休日以外での休暇は本当に久々のような気がしますが、この週末には知人が来る予定ですので、家の中の片付けやら洗車やらをして過ごしました。

そのついで、というわけではないのですが、前回行ってから既に一ヶ月以上が過ぎていましたので、散髪&白髪染めを馴染みの店でお願いしてきました。このお店の店主とは本当に割とどうでも良い世間話を毎回しているのですが、今回は平日で他のお客様もいなかったためか、白髪染めの薬剤が馴染むまでの間、こんな話をしていました。

私「このお店、始められてからどれくらい経ちましたか。」
店「そうですね…、今年16年目、ですね。」
私「えーっ!もうそんなに経ちますか。確か開店して間もない頃から通っていたような気がするのですが…。」
店「ええ、私は当時30歳でした。(略)当時の写真と今の写真を見比べるとまるで別人で…。」

直後、店主が開店当時の頃と最近のご自身の写真を私に見せてくださったのですが、確かに別人のよう…。でもその開店当時の写真の姿も私はなんとなく覚えていて、当時は「若い頃の小室哲哉っぽいイケメン」と思っていたその記憶が蘇ってきました。
ただ、昔を懐かしみながら話すその時の店主の表情は、最近の写真の姿よりも若い頃のそれで…、私が普段見知っている姿よりずっと人懐っこしそうな雰囲気でして、人って仕事の時とそれ以外でここまで表情が変わるんだなあ、などと思ってしまいました。

そしてその様を見、私自身もこの数年間どれくらい屈託なく笑えていたのだろう、と改めて感じさせられました。
そして、この週末に来る知人にその姿を素直に見せることができるだろうか、などと、そんなことを考えさせられたのでした。

本当に何もない日曜日

ここのところ毎週末栃木方面などに出かけていた私ですが、この土日はおそよ二ヶ月ぶりに自宅近辺のみで過ごしました。たまにはそういう休日も必要、と思い、決して無駄な週末ではなかった、と思うことにします。(実際にはちょっとつまらなかったらしい(笑))

午後、家族と共にインモール土浦に買い物に出た際、独り手持ち無沙汰だったので、ストリートピアノを弾いてきました。演目は次の通り。

  1. Ludwig van Beethoven ピアノソナタ第14番「月光」第一楽章
  2. George Winston The Cradle
  3. 石川真也 White Album -Piano Version-
  4. 滝廉太郎 憾
イオンモール土浦に設置されているストリートピアノ
(写真は島村楽器 イオンモール土浦店のツイートより拝借)
Continue reading →

懐かしのTVアニメ

今週木曜日からTVアニメ「うる星やつら」の放映が始まりましたね。私は木曜夜にオンエアされたものをタイムシフトして観ましたが、当初予想していたよりは違和感もなく、それなりに新しい要素もうまく溶け込んでいて割と良くできているなあ、というのがファーストインプレッションです。

うる星やつらの初代アニメーションの放映は私が小学生の頃でした。全体的に内容が大人びていて、しかもヒロインが半裸…ということもあって両親の前での視聴はとても憚られた(子供の頃は純粋だったのです(笑))ので、当時は自宅で観ることはあまりなかったのですが、私が小学校四年生頃から通い始めた剣道教室にて、道場があった筑波学園警察署(当時)の一階ロビーのテレビで稽古後の家族の迎えを待つ間にこれを『署員を含む周囲の大人の目を憚らず、自らチャンネルを操作して』観ていた一つ年上の女子が居て、「うわっ、なんてマセているんだ」などと若干引きながらも、当時その女子のことが気になっていたこともあって、ちゃっかり一緒に観ていた記憶があります。

Continue reading →

事件発生?

夕方、家族とともに近所のスーパーで夕飯の買い物をしていたら、「××の温度確認をお願いします。」との不思議な店内放送が流れてきました。この手の意味不明な店内放送は何らかのトラブル発生の隠語であることが多いので、まさかと思って店内を見渡したところ、物凄い勢いで店の出入り口から外へ走る男性と、それを追う複数の店員、そして警察官の姿が…。どうやら何らかしらの事件が発生したようです。直後の店員さんの会話で「また◯◯◯(店内の薬局コーナの名前)?」みたいな言葉が聞こえてきましたので、おそらくは窃盗(俗にいう「万引き」)の類のように思われます。しかもどうやら常習犯っぽい雰囲気も感じられました。

それにしても、「突発的に起きた窃盗っぽいのに、何故警察官がこの店に居合わせていたのかなあ?」と思い、少し駐車場を歩き回ってみたら、どうやら別件でトラブルがあったようで、それの対応をしている最中で起きたみたいです。うーん、何だかなあ。

その後、パトカーが複数台応援に駆けつけてきたようですが…、比較的平穏と思っていた近所でもこんな物騒なことが(しかも複数同時に)起きるものなのだなあ、と。気をつけないと。

ドメイン利用制限

先月末より新ドメインに以降した本ブログサイトですが、ドメイン登録時の処理が一部漏れていたようで、昨日からドメイン利用制限を喰らってサイト自体が丸一日以上見えなくなっていました(汗)。

と書けばなんてことはない話ですが、実際には原因究明に相当手こずりました…。レジストラが原因だったとはなかなか気づけずに「何故だ〜」と色々といじくり回してしまったりしたのでした。うーん、まだまだだなあ。

ちなみに仕事の方も今週はトラブル対応続きだったような…。些細なものばかりだったのが不幸中の幸いでしたが。

昔取った杵柄…?

昨夜、大昔にプレイした「ときめきメモリアル2」のED曲である「あなたに会えて」が夢の中で無限リピート状態になっていました。一時期ハマっていたし、特に推しキャラ(当時、そんな言葉はない)でのクリアの際はこの曲を聴いてジーンときたものですが、今更何故なのか…との印象しかないですね。もはやプレイする環境すらありません。

ちなみに朝起きるなりこの曲をエレピで弾いていたら、後から起きてきた家族に叱られました(笑)。

さて、今日は世の中的には三連休の初日のようですが、私は出勤。まあ、特に何か予定があるでなし、家でゴロゴロしているくらいなら仕事でもしていた方がマシなくらいかも。頑張ろうっと。

Continue reading →

満天の星の下で

先のシルバーウイークは台風の影響であまり天気が良くない状況が続きましたが、この週末は好天に恵まれ、特に土曜日の夜は快晴との予報だったことや、たまたま風野さんがご実家のある栃木県に戻られているという話を聴き、「これはもしや、星空を撮るにはまたとない絶好のチャンスなのでは」と思い立ち、かなり無理を言ってしまった感がありますが、TwitterのDMで風野さんに「星を見に行きませんか」と声を掛け、急遽奥日光の戦場ヶ原に向かうことになりました。集合場所は風野さんのご実家最寄り駅とし、私は久々に鉄道で栃木方面へ。スペーシアに乗るのも本当に久しぶりで、ついテンションが上がり車中で滅多にしない自撮りなどをしたりしました(笑)。
それにしても、この一ヶ月で何度目の栃木方面遠征なのだろう…?なんとなくですが20年前の同じ季節の頃のことを思い出しました。(当時は宇都宮住みだったこともあって、ほぼ毎週末日光へ赴いていました)

風野さんと合流後、戦場ヶ原の三本松園地の駐車場に向かいながら、道中の車内でかつて一緒に仕事をさせていただいた頃の職場の話であったり、昨今の状況だったりの話をしましたが、かつての事柄については鮮明に覚えていることもあれば、そうでもないこともあり、なんだかんだ言っても歳月の経過がそれなりにあったことを感じたりしました。そりゃそうですよね、社会人二年目だった私が当時の職場で風野さんと初めてお会いした時から、もうすでに24年もの年月が過ぎてしまっているわけですから…。

三本松園地駐車場では、「ガチ」な天文ファンと思わしき方達の車がそれなりの台数で停まっており、こちらはそれらの方の邪魔にならないようそろりそろりと空いている場所に車を停め、ドアを開けて天を仰いだのですが、その瞬間「うわぁー、凄いっ!!」と、邪魔にならないように、などという気持ちは全く吹き飛んでしまうくらい驚愕し、つい大きな声を上げてしまいました。その仰いだ夜空に見えたものは、満天の星。それも、下界で見たものとは数も鮮明さも比較にならない程のもので、天の川ですら近視の私の裸眼であっても見えるほど。「これで良い写真が撮れないはずがない」と確信し、繰り返しシャッターを切って撮れたものは素人の私にはもうこれ以上綺麗なものを得ることはできないのでは、と思ってしまうくらいの天の川の写真でした。

今回は本当に思いつきで現地に向かったことから、撮影場所があまり良い場所ではなかったり、十分な防寒具がないだけでなく手元を照らす照明すらスマホ頼りという状況で、到底ベストなものが撮れる状況とは言い難かったことから、およそ一時間ほどで現地を後にしましたが、それでもここまで星の見え方が違うものとは、ということが分かっただけでも十分満足が行くものでした。次はしっかりと準備をして、冬の星座の撮影に改めて臨みたいと思いました。

Continue reading →

何か新しいことを

と思ったわけでもないのですが、ネガティブな内容のエントリーがトップに表示され続けるのはあまり気分が良くないので新たに何か書いてみることにします。

本サイトはこれまでずっとQNAPmyQNAPcloudのDDNSを利用しており、ホスト名は「keitwo.myqnapcloud.com」となっていました。が、どうも格好が良くないし、NASとはいえ、せっかく自宅にサーバを立ち上げているのですから、独自ドメイン名での公開サーバの運用を「いずれやりたい」と思っていました。
しかし、ドメイン名を維持するのには費用も掛かるし、さらにDDNSもだいぶ前にDynDNSが有償化されて久しいし、かといって固定IPアドレスを取得するほどは…と、アフェリエイトなどでお金を稼ぐつもりのない、ただの落書きブログサイトを運営するためには色々と荷が重く、結局本サイトを立ち上げてから9年もの間、ずっと手付かずになっていました。

実を言えば独自ドメイン取得についての意識はかなり古くからあり、恐らく2001年ごろだったと思うのですが(もはや記憶すら曖昧)、当時サービスを開始してから間もなかった「お名前.com」を群雄ネット(当時)の倭人さんに紹介され、そこで当時利用していたハンドル名「K2」から「keitwo.netはまだ登録されていないから、取得してみては」とお薦めされたことから、目的もなく一度ドメインを取得しました。が、その後「どうやって使えば良いかが分からない」こともあって何ら利用することもなく、それの更新時期の頃には個人的な環境・情勢が変わっていたこともあって、そのまま放棄してしまいました。

なお、このハンドル名「K2」についてですが、その由来をここで語りたいと思います。
元々は高校生時代に部活動の先輩から私の苗字のイニシャルである「K」と呼ばれていたことがあり、それを気に入って自ら文章を書くときなどの署名として「(Written )by K.」を積極的に使っていましたが、その後、大学受験に失敗したことと大切な縁を失ってしまったことがよりによってほぼ同時に起こったことで精神的に大変な窮地に立たされ(これが前エントリーで書いた「30年前」の件だったりもします)、そこから立ち直る際に「これまでのK.から一つバージョンアップしたという意味を込めてK2と名乗ろう」としたことと、当時発売されていたJBLのハイエンドスピーカー「Project K2 S9500」がとても格好が良く音も良いとのことで強い憧れを抱いており、そしてそのK2の由来がエベレストの次に高い山の名前、ということを知った時、「私は決して組織のトップになりうる人物には今後もなり得ないと思うが、しかし、トップは二番手以降の存在があるからこそトップなのだ。私はそのトップの役に立てるような二番手になりたい。」との思いを抱くようになり、群雄ネットへ参加する際(1994年)、この「K2」というハンドル名を名乗ることにしたのでした。
その後、群雄ネットのオフ会などの自己紹介で名乗る際、「K2」という日本人の名前としては不自然な、もっと言えば「いかにもオタクっぽい(笑)」名前が恥ずかしいと感じるようになり、その後、ともすれば本名っぽく実際に勘違いされたことも多々あった「鳴沢 大気」なる名を経て、その後「Marc’n」と改めて今日に至るわけですが、そうは言ってもこのK2というハンドル名はその後のものとは前述の通り思い入れが全く違うことから、今に至っても密かにその名を捨てずにいて、特にホスト名においては引き続き積極的に使用し続けていたのでした。

K2という署名を使い始めた当時の文章の末尾部分

そして、前回のエントリーに書いたようなことがあって色々と「本来の自分らしさを取り戻すために」を自らの胸中にて繰り返す最中にかつて取得した独自ドメイン名のことを思い出し、先日改めて「keitwo.net」ドメインの状況を「お名前.com」で調べてみたところ、なんと今日においても使われていないことを知り(これは本当に意外でした)、さらには一年取得であれば無料であることなどから、20年以上経って再び同ドメインを取得しました。そして、せっかく取得したのだから利用しないのは勿体無い、と思い、活用法についてさらに調べてみたところ、無償のDDNSとしてMyDNSがあることや、QNAPで設定を行えば運用も非常に容易(myQNAPcloudでの運用と負荷的にはなんら変わらない)であることが分かり、昨日の仕事の合間にちょこちょとこ設定を行なうことで、本ブログを新ドメイン名でのホスト「www.keitwo.net」へ移行することができました。
なお、今般これが比較的容易に実現できたことは、21年前とは異なりこういったことを実現するための技術的な情報がネット上に豊富にあることや、各種サービスが充実していることがその理由としてありますが、自らのスキルというか、ITに対する知識も当時とは桁違いになっていることも大きかったように思います。もっとも実現までに21年も掛けるようなものではない気はしますが…(笑)。

破滅的な過ちを犯す

先月の頭(8日)のことですが、私の不適切な言動をきっかけとして、これまで信頼を置いていた委託業者の若手担当者との契約が今月末限りで終了という結果を招く、という失態を犯してしまいました。これだけなら単に仕事上のミスだよね、という話で終わりなのですが…、リアルではこの件について詳しく語ることもなかなかに難しいので、ここで吐露したいと思います。

Continue reading →

星をつかめ

昨晩、職場の若手と少し議論になった。

その若手の言は「私たちの世代は未来に何の期待も持てない」、「このような状況下で子供を持つとか、そんなことを考えることもできない」、「今日子供を持つ家庭は可哀想。憐れみではないけれど、大変だろうな、とは思う。」とのことだったが、私はその、少なくとも年齢で言えば半分余りの若手の発言には納得ができなくて、大人気もなく言い返してしまった。「世代世代というけれど、私たちだって氷河期世代だから、社会環境そのものはキミたちの世代とそう大きくは変わっていない」、「(私の置かれた環境が)可哀想、とか言われるも、私自身は実際にそう感じたことはない。そういう価値観はない」
きっとそれらの言葉は相手には響かなかっただろうし、むしろ上から目線の意見に聞こえ不愉快にさせただけだろう、とは思うけれど、私はこれを言わずにはいられなかった。なぜなら、私は自身が置かれている世代を理由に自らの不幸を語られることを好まない、端的に言えば「嫌い」だからだ。このように自らの境遇を世代のせいと転嫁するような発言は、この若手に限らず私と同年代の方も含め幾人かから繰り返し耳にしているが、その度に私は前述のように反論をし続けている。

そもそもこの世代なる言葉は誰が言い出したのだろうか。
団塊、バブル、氷河期、Z…などという括りがあること自体はよく知っているし、それらの特徴もググればいくらでも出てくるが、実際には目に見える形で年齢ごとの境界があるわけでもなく、それらは本来連続的なものである。おそらくはマーケティングなどの販売戦略を立てる際のターゲットを指す言葉として都合よく生み出されたのではないのだろうか(詳しく調べていないので間違っているかもしれないが)。仮にそうだとすれば、それは単に社会をマクロで見るときの一方的で、ときに偏見の含まれうるカテゴライズの一つでしかなく、それ自体は自らが歩む人生そのものには直接的な関連はないと私は考える。むしろ、それを自らと関連させて意識することは、本来得るべき知見に誤った解釈を与えかねず、文化の継承という観点で分断という悪影響すら生じかねない。

確かに時機として幸・不幸というのはある。例えば自然災害や戦争など、一個人ではどうすることもできない困難な状況はあるし、仮にそれで何らかの損害を被ったとすれば大変残念で気の毒なことだとは思う。しかし、それらは程度の大小はあるにせよ、世代に関係なく起こりうることであるから、それ自体が世代なる括りとはあまり直接的な関係はないと考える。勿論、間接的にそれらがもたらした結果が社会へ影響し、その時期に発育した人たちの環境や価値観を変えること自体は否定しない。しかし、その変化自体はむしろ世代という括りではあまりに大雑把すぎるように私は感じるのだ。

きっと本か何かで読んだのだと思うのだけれど、「生きることとは光を求めて闇夜を彷徨うようなもの」との考え方があった。私自身は正直、このような考えを持つことを若い頃は否定的だった。闇を彷徨うだなんて仮に光が見えていたとしても絶望しかないのでは、と感じたからだ。
しかし、今日までの自分の人生を俯瞰した時、実はその考え方が大筋では外れていないことを実感する。唯一かつてと解釈が異なるのは、それを絶望と取るか、それとも新たな冒険と感じられるかの違いだけかも知れない。私自身としては加齢と共にその見える光の数はだいぶ減ったように感じるが、まだ、その輝きは失われてはいないと信じる。
世代なる括りによってその闇と光の種類や数は異なることはあるのかも知れないが、しかし、光そのものが完全に失われたわけではないと思う。もしそれに疑念を抱くことがあるとすれば、きちんと光の存在を信じてその中に自らがいることを実感できているのか、それとも目を瞑ってあたかも「ない」ことにしてしまうのか、ということではなかろうか。ただ、それは個々人の選択であって、世代のせいではない。


冒頭の議論になった若手よりまだ私が若かった頃、初秋の奥日光戦場ヶ原で満天の星空を見た。「夜空というのはこんなに明るかったのか」と感動し、多数の瞬く星たち、時折空を流れる星に暫し見入ったことを今でもよく覚えている。
残念なことにその後ITの仕事を始めて以来視力が落ちてしまい、その星空を裸眼で楽しむ能力は失われてしまったが、それを補うべく高感度なミラーレスカメラで星空を撮り始めたのが昨年末のこと。自らにとって新たな星、即ち闇夜の光を見つけられるかも知れないと考えてのことだった。
かくの如く、自らではできなくとも代替の何かで新たな光は得られる。私は、その代替が私たちに続く人たちであってほしいし、そう信じている。

願わくば、その若手も自らの星をつかまんことを。