2021年GW最終日

最終日、と言っても特に特別なことをするわけではなく、むしろ一番何もしない日だったかも知れません。むしろ用件がないと気が緩むのか、気を抜いたら夢の世界へ…ということで、一日中寝たり起きたりを繰り返していました。

夜、五月人形の前で子供たちの写真を撮りました。例年この日に撮影をしていますので、試しに十年前のものと並べてみます。

2021年5月5日 五月人形の前で長男と次男(筆者撮影)
2011年5月5日 五月人形の前で長男と次男(筆者撮影)

十年前の方は段飾り(これ、私の五月人形です)が出ていますが、これはこの年の三月に震災がありこの人形が入った箱が棚から落ちたので、「今年は飾っておけ、という天の思し召しに違いない」と思い、たまたまこの年だけ飾ったものです。
こうやって改めて並べてみると、年月の経過を目の当たりにした気分になりますね。子供たちも立派になったし、私も歳をとるわけだなあ。

というわけで、これまでのギスギスした日々から気持ちを解放するために、GW中は毎日の出来事を記録して残す試みをしてみました。昨日も少し触れたClosedなブログの件もなんとなく片付けたりして、精神的にはずっと楽になったような気がします。やはり仕事以外のことにも時々頭を使わないと、精神のバランスが取れないですよね。
しかし、明日からはまた仕事です。なんだかもう仕事に戻りたくないな…。このまま夏休みがきて、ずっと休みだったらいいのに。尤も実現してしまったら家計が崩壊します(笑)ので、新たな気持ちで頑張ります。

特に目的らしいものはない一日

昨日の疲れもあったので一日中のんびり過ごそうと思ったのですが、大変な好天に恵まれ、また明日には下り坂になるとの天気予報もあったことから、午後には自転車に乗って適当に走っていたら、守谷駅まで行ってしまいました。往復でフルマラソン距離になること確定(笑)。

守谷駅。特に用はありませんでした。

サイクリングののち、家内の買い物に付き合っていたところ、多謝氏がサイクリングで100km走行達成のために北千住からつくばに向かっているとの呟きをtwitterで発見し、お会いできたら、と思っていましたが色々都合がつかなくて今回は断念。
私のサイクリングでの走行距離記録は自宅=新大利根橋=柏の葉キャンパス駅=初石駅=流山おおたかの森駅=柏駅(以降牛久駅まで国道六号線)=自宅までの80km弱が最高ですが、もうそれも今では無理かなあ。そもそも体力以上にそこまでするモチベーションがない…。新しい自転車を買ったりすればまた復活するのかも知れませんが、そこまでサイクリングに求めてないんだよなあ。
買い物からの帰路、自宅の近くで軽自動車が横転していてレスキューと救急車が救助活動をしていましたが、野次馬もどうかと思い、邪魔にならないよう通過したのみでした。

夜はClosedなブログ記事の推敲をしました。エントリー自体は家内の実家に行った日の夜にしたのですが、ただでさえ疲れている頭で思いのままにわーっと書き連ねたため、相当に悪文でいつまで経っても綺麗な文にならない…。

明日は長かったような気がするGWも最終日。ゆっくり休んで明後日の仕事に備えたいと思います。

日光への日帰りドライブ

母の実家があり、また生誕の地が栃木県日光市であった私にとっては「GWと言えば日光!」ということで日帰りドライブ&散策をしてきました。できるだけ人混みと渋滞を避けるべく朝7時半に自宅を出発したところ、現地には9時45分に到着しました。平年のGWに比べたら道路は全体的に空いてましたね。

到着直後の国道119号線日光市御幸町付近。ガラ空きです。人も殆ど歩いていません。

到着するなり、ありきたりの観光地は混むだろうと思い、滝尾神社まで散歩をすることにしました。道中神橋の前を通過したところ、雨上がりの朝だったこともあるのでしょう。とても神々しい姿でした。

朝の神橋。なんだか神々しい感じ。

そして、東照宮横の駐車場が満車になっていることを横目に見つつ、社務所の裏にある香車堂からは舗装道路から離れ、歩きにくい石畳の道を「これこそが滝尾神社への参道よ!」とわざわざ歩き(笑)、白糸の滝を眺めて、滝尾神社に到着しました。道中は殆ど誰にも会いませんでしたが、神社にはそれなりに人がおり、かつての秘境的なイメージは相当に薄れてしまったものの、他の「メジャーどころ」に比べれば相変わらず鄙びた印象で個人的にはこっちの方が好きですね。

香車堂。安産祈願のためのお堂と言われています。
香車堂アップ。出産を控えた方はこの香車の駒を持ち帰って自宅の神棚に飾り、無事出産を終えたらその駒を返納するのに合わせて新たな駒を奉納します。
そして「滝尾道」と呼ばれる石畳を歩き…
白糸の滝を眺め…
滝尾神社に到着。この鳥居は「運試しの鳥居」と呼ばれ、額に空いている穴に小石を三回投げて見事通ると願いが叶うとのことです。

滝尾神社の境内には、お堂のほか「縁結びの笹」、「三本杉」なる御神木、「酒の泉」、「子種石」などといった見どころがあるのですが、私自身は過去に何度も参拝していることもあり、お堂で参拝した以外はまあそれとなく見て回るだけにしました。そもそも、散策自体が目的なのでこれでいいのです。なお、境内の写真がないのは他の参拝客がそれなりにいたため、撮影を自粛したことによります。

帰路は二荒山神社方面に抜けるべく、女峰山登山口方面に向かって行者堂の前を通り山を降りました。二荒山神社は人が結構おり、メジャーどころは混んでいる時に行く必要なしと判断し、スルー(笑)。こういうところが、私の日光の楽しみ方っぽい感じ。

輪王寺行者堂。この裏手に女峰山の登山口があります。
日光二荒山神社前。結構人が出ていたので華麗にスルーしました。
日光金谷ホテル。実は泊まったことがありません。一度泊まってみたい。

下山時は表通りの歩道もそれなりに人がいたので、準・地元民(自称)らしく裏道から東武日光駅前の「乙女屋」まで歩き、昼食を買って親戚の家に戻ることにしました。途中、幼い頃に遊んだ大谷川などを見ながら、のんびりと散策を終えました。

大谷川(だいやがわ)。私にとっての「川遊び」とはこの川で遊んだ子供の頃の思い出を指します。

当初の予定では、その後霧降高原にでも行こうかと思っていたのですが、当初の想定よりも道路が混雑し始めてしまったのとにわか雨が降ってきたので断念し、あとは叔母や叔父、それから15時ごろ合流した両親と少し話をしたり、お土産を買いに行ったり、夕食を採ったりして現地を18時ごろに引き上げ、帰宅の途につきました。帰りの道路もやはり普段より空いてましたね。

夕食の中華定食。

というわけで、人混みを避けてでのドライブと散策はこんな感じでした。平時であれば一泊して翌朝は奥日光、みたいな行程になることが多いのですが、このような状況下で極力リスクを避けるべく行動するとすれば、日帰りでのこんな感じでのささやかなものになるのは致し方なしなのかな、と思っています。もっとも、個人的にはいっぱい歩けたので、それなりに充実したものになったと自画自賛していますが。

はてさて、GWも残すところあと二日になりました。もう私自身のお出掛けネタは尽きたので、あとは自宅近辺で適当に過ごすことになるのかな…。

自宅作業とか

今日ははっきりしない空模様だったり、昨日の疲れを抜くという意味合いもあって、家の仕事を少々したくらいですかね。具体的にはこんな感じ。

  • 庭の草刈り
  • ガスストーブの片付け
  • 五月人形の飾り付け

私自身は庭いじりは好きではなく、というより明確に嫌いですが(笑)、これをサボるとあっという間に大変な状況になってしまうので仕方なく、という感じですかね。十年以上前に外構をやり直したときにそれまで異常なほど植えられていた庭木をだいぶ整理したつもりですが、それでも今となっては多く、それらの手入れも大変です。いっそのこと全部切ってしまいたいくらいの気持ちはあるものの、庭が殺伐としてしまうので悩み中。ただ、今年はこの時期で既にそれらの庭木が大きくなってしまっていることから、どっちみち庭師を呼ばないとダメそうだなあ。
※以前、無茶苦茶に枝を切ったところ、枯らしてしまった経験あり。

ガスストーブの片付けは、単に放置していたのを「思い立ったが吉日(用法を間違っている気がする)」ということでやっただけです。ストーブ自体はもう一ヶ月以上稼働しておらず、埃を被ってました。

五月人形はその存在を完全に忘却していたのですが、今朝、唐突に「あ、そういえば柏餅の時期だけれど、何か忘れている気がするな…って、ああっ!五月人形!」ということで思い出しました。なぜ食い物で思い出すんだよ、私…。
もう子供がそれなりに大きいので、だんだんこういう行事も怠惰になっていきますね。いや、子供のせいじゃなくて私の加齢のせいか(汗)。

で、明日。
取り敢えず日光にドライブだけしてくることにしました。どうなるかはやってみてから考えます。

気分転換…?

義父母の様子を伺いに、昨年秋以来訪問していない家内の実家に行ってきました。
久々の遠出なので仕事のことを忘れて気分転換ができるかな、と思っていたのですが、移動中に上司から入電。内容は障害ではあるけれど、影響範囲が小さく緊急度はほぼあってないようなもので…もう、こういうの本当に勘弁してくれよ、という気持ちになりました。正直ノイローゼになってしまいそうです。こういうことがしょっちゅう起こるから、休みであっても気が休まらないのだよなあ。

「美しい日本のクラウン」を意識して(栃木市嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区にて)

義父母と会うのはおよそ七ヶ月ぶりでしたが、お元気そうで何よりでした。歳も歳なので、もう少し訪問頻度を増やしたいところなのですが、こういう状況下なのでなかなか判断に迷うところです。

なお、街中はそれなりに人が歩いていて「あれ、自粛は…?」とは思った(人のことはあまり言えませんが)一方で、道中の国道や主要幹線道は普段の週末より空いていたようにも感じましたので、遠距離の移動は自粛されている方が多いのかな、とも感じました。
うーん、明後日には実母の実家がある栃木県日光市に日帰りドライブ&散歩でも行こうか、と思っていたのですが、このような雰囲気の中でそのようなことをすべきか否か少し悩むな…。明日考えるか。

舌の根も乾かぬうちに

今日は折角の振替休日だったというのに、殆ど在宅勤務をしてしまった…。先のエントリーにある仕事等から自分の思考を「解放」する、はどこへ行ったんだ、と自問自答。
いや、少しは行楽日和の休暇を満喫したのですよ?午前中は筑波山口までサイクリングに行ったし、お昼は家内と美味しいパン屋さんで買い物したし、午後は昼寝や洗車をしたし。

サイクリングに行ったぞ、という証拠写真(つくばりんりんロードにて)

だけど、なんとなくいろいろ不安になって、つい在宅勤務用のPCを開いてしまったのが運の尽き。
しまいには、先のエントリーにある二年目の人に「…今日は休暇だったのですか?(略)てっきり在宅勤務に変更したのかと…」とチャットで言われてしまう始末。違う、違うんだよ、そんな気は全くなかったんだよ…とも言えないか。うーん。

この「そこはかとない不安」とやらもただの取り越し苦労の類であることはわかっているのだけれど、きっかけは結局アレなんだよなあ…。やはり抜本的に何かを見直さないとダメかな?

2回目のGW(ガマン・ウィーク)

大型連休の直前に新型コロナウィルス感染症の第四波が襲来したことにより、昨年と同様に今年のGWも何も大したことはできそうにありません。
しかし、せっかくの休みなのでそれを活かす何かをしようと思い、今年に入ってからの自分がしてきたことを少し整理することにしましたが、色々思い返してみるも、私自身のことに限って言えば結局仕事のこと以外何もなかったことに気付くわけです(苦笑)。

きっかけは、2つ前のエントリーにある騒動から、ですね。
当時新人、現在二年目となった協力会社の人をどうやって今後も自分の下で活躍させるか、ということと、併せて自分の持っている作業をどうやって片付けるかをずっと考えているうちに、自分の日々の思考の大半がそれだけに占拠されてしまい、他のことが全くお留守になった結果、それ以外への興味を殆ど失ってしまいました。趣味でさえも。

簡単にではありますがそうなるに至るまでの経緯として、これまでどのような出来事があったのかを少々振り返ってみたいと思います。


先の「事案」以降、取り敢えず当面は引き続き作業に当たっていただくことにはなったものの、そもそも、その人には私の仕事について「ずっと(続けるの)はちょっと…」とまで言われてしまったわけですから、まずはその意識を変えてもらう必要があると考えました。即ち、どうやって私と同じフィールドに率いられるか、ということです。まずは、次のように声を掛けて意識を煽ってみることから始めました。

「キミはあと一ヶ月で新人ではなくなるわけだけれど、今後何の専門家として活躍していくのかい?なお、ここで私達が教えられるのはITだけだよ」

あとは、どういった仕事をやりたいかという事を訊いてみたり、時にはプライベート的な雑談を交えつつ、どういう人かを知ることと私がどういう考えを持っているかを知ってもらうことに徹しました。以前から感じていた通り、物事の捉え方、考え方の一部に私と似通ったものを持っているな、ということが明らかになる一方で、世代間のギャップはどうにも埋められないほどに感じましたが、しかし、仕事に於いて後者はそれほど重要ではありません。どれくらい仕事に対するマインドを高められるか、ということに年代や年齢は関係ないのです。

これらの活動より得られた情報を元に、私はその人に比較的向いていると思われる仕事について、当人の手持ちの能力の幅に関係なくできるだけたくさんの種類を与えました。「もし上手くいかなかったとしても、私のスキルとキャパシティで全部穴埋めできるから失敗してもらっていい」と考えていたのですが、実際にはその殆どで僅かな助言のみで上手くこなしてくれました。これは想像以上だ、やはりコイツは凄い才能を持っているとの思いを更に強くしました。その才能とは「根性」。いい仕事をするのに必要な力として「知力、体力、胆力」などと言われますが、前二つは元々申し分なかったので、三つ目がどうか、というところでしたが、伸ばし方によっては恐らく凡人を超えうるものになるだろうと感じました。

そうして、私はその人とともに一つの大仕事を成功裡に終えることができました。こんなに仕事を楽しいと思ったのは私自身初めてでした。恐らくは、単に大仕事を成し遂げたという喜びということだけではなく、その人を育つ様を目の当たりにすることができて嬉しかったのだと思います。

大仕事が片付いた後、自分の受け持ち組織の体制をこれまでにない、画期的なものに変えてみました。業務生産性の向上を第一に追求したのは言うまでもありませんが、一方でこの人の育つ様をもっと見てみたい、もっと色々させてみたい、という気持ちもあって、二年目の人には私の仕事を直接手伝ってもらうポジションに移ってもらいました。それから一週間ほど経ちましたが、私自身はなかなか良い手応えを感じています。当人は多分これまで以上に私に振り回されて大変だとは思いますが…。


以上の通り、この数ヶ月は仕事のことと、共に大仕事に当たってもらった二年目の人のことを主に考えていたのですが、前述にもあるように、それらに自らのリソースの大半を割いたせいか他の事柄が空虚になってしまいました。いつしか自分の日常には仕事以外何もなくなってしまったことに気づき、今日の不自由な状況と相まって心が疲れてしまったのでしょう、ある日の朝には『したいことはできず 買いたいものは買えず 行きたいところに行くことも叶わず なんのために日々の業苦の中を歩いているのだろうか。義務感以外でその意味を忘れかけてしまっている。』などといった大変陰鬱な内容を某所で呟いてしまいました。
誤解を恐れずに言いますと、今回のようにここまで「人」の事を考えたのは、これまでの私の人生の中では自分の家族か極めて特別の相手に対してのものくらいしかなく、もちろん今回はそのいずれでもありませんが、私自身の仕事を円滑に進めるのと共に、「どんなことがその二年目の人のためになり、そして私には何ができるだろうか」ということを突き詰めて考えていくうちに思考がおかしな方向に行ってしまった感は否めません。その結果、自らの役回りからすれば本来適切ではない言動をしてしまったり、私自身が消耗して気持ち的に追い詰められてしまったりと、だんだん副作用的なものも目立つようになってきました。

そんなわけで、このGWは折角の長い休暇であることを活かし、一旦自らの思考をそれらから「解放」してみたいと思います。もっともこんな状況ですので、どこまで何が出来るか、ということと、結果何が得られるかは終わってみてからのお楽しみ、ということにしておきます。

猪突猛進

金曜日のエントリーの件だけれど、どうしても自分の中で納得ができていなかったので、最後の足掻きをしてみることにした。 自分の地位が危なくなるかもしれないが、もういい。納得できるまで自分の信条を貫いてみてみることにした。これが一番自分らしい。

それにしても、仕事でここまで自分以外の人のことを考えたのは初めてだ。 これまでは割とドライに「替えてね。」、「まあ、契約だからね。」とするタイプだったのだが。 それくらい例の新人に期待をしているのか、それとも単に目先の成果に惑わされているだけなのか。

その新人の行動が、変に私の若い頃に似ているように見えるせいもあるんだろうなあ…。
新入社員ゆえ大した能力や実績がない割には生意気で、色々と分かっている風を装い、それでいて表向きの作業はこなせるというところとか、肝心なところで自分の考えを曲げないとか…もう、本当に若かりし頃の自分の生き写しみたいだ。良くも悪くも、だけれども。

私は生意気なだけの馬鹿だった。 そして今も生意気さは相変わらずで、更に言えば今自分が考えていることは恐らく愚か者のそれだ。結局、何も変わっていない。でも変えることは容易ではない。なぜならそれは自分の幹であり、そして足元に根差しているものだからだ。それでもそれなりになんとかなってきたのは、運よく大きく誤った道を選ばずに済んだことと、そして私を信じて守ってくれた周囲の方々、上司などの尽力の賜物だと思っている。だから今日の私も、かつて私のことを信じて育ててくれた人達のように、少しだけコイツのために、コイツを信じて賭けてみたいと思った。

この二日間ずっとこの件について色んなことを考えて頭を抱えていたが、実際に行動に移してみたら、まだ結論は何も出ていないというのに、なんだかこう、ほんの少しだけ気持ちが楽になった。単純な馬鹿だな私は、相変わらず。

大した能力もない私のような者は、たとえ猪突猛進などと評されてしまったとしても、それを貫くしかない。それが唯一の能力であり、それもなくしてしまえばただの無能でしかなくなるからだ。だからその唯一の能力を目一杯発揮するのみだ。行けるところまで行ってみることにする。

与えられた役回り

「私が言いたいことはシンプルです。来期は適切なIT技術者2名を然るべき費用で投入頂きたい。ただそれだけです。」

私は職場で仕事をお手伝い頂いている取引先の営業担当に、自らの感情を殆ど交えることなく、そう言い放った。それは私のいる組織の意思でもある。私は自らの役回りとして正しいことをしている。そう、これは正しい対応なのだ。それをもう2週間くらいずっと何度も自身の中で唱え続けていた。

昨年夏、コロナ禍が少々落ち着いていたとはいえ第2波、第3波の懸念が当初より囁かれていたことから、在籍企業の情報システム部門の管理を預かっている私は、全従業員の在宅勤務を実現するためのインフラ構築こそが自らの最優先課題であると判断し、秋までにそれを完了させるためには人的リソースの投入が必要との考えにより1名の技術者の増員を取引先にお願いしていた。そして新たな技術者との面談を済まし、「これであとは実行のみか」と一息ついたところで、「申し訳ないのだけれど、増員する技術者のアシスタントとして一人、新人を投入させてもらえないか」と先述の取引先から連絡が入った。聞けばその新人はITの技術者志望ではないという。上司やその周囲の反応は極めて著しくなかった。「ただでさえ忙しいのに、新人の教育までしろというのか。」確かに、ITどころかビジネスマナーの「いろは」すら分からない者かもしれない。幾分不安はあったが、後日その新人と面談し、受け応えの素直さで直感した。コイツは使える。直後、私は上司にはこう報告して了承してもらった。「何かあったら、私が責任を持って対応する。」

その時の直感は期待通り、いやむしろ期待以上だったといって差し支えない。作業手順の覚えの早さ、正確さ、迅速さなど、むしろ増員した技術者よりも優れていた部分があったし、何より素直さに助けられた。こういう急ぎの仕事の時ほど、リーダーである私としてはいかに作業状況や課題を正確に捉えて、速やかに処置するかが求められる。こういう状況下では場を取り繕うような報告や弁解などは全く役に立たないのだが、その新人はITに知見がなく、そしてそれを自身で恥じる理由がなかったからなのだろう、そういった「器用な」立ち回りをしない分、対処がしやすかった。
そして、インフラ構築はほぼスケジュール通りに完了し、コロナ禍第3波による緊急事態宣言と出社制限までに間に合わせることできた。まさに「大成功」だった。
そうした実績を踏まえ、当初年末までの契約だった増員した技術者と新人のうち、私はその「大成功」の最大の源泉となった新人一名だけをさらに年明けにまで延長することに決めた。

全ては順調に行くものと思っていた。しかし、延長した直後、その新人の素直さが仇になった。自社役員の怒りを買うことになってしまったのである。

ことの経緯はこうだ。コロナ第3波の襲来とそれによる緊急事態宣言発令によって私を含むプロパー社員は出社制限を指示され、それ故利用者対応にその新人をも投入した。しかし、運悪く厳しい役員の応対に新人が当たってしまい、その際に新人が役員からの質問に回答できないことをきっかけにIT技術者でないことが露呈すると、その役員は激昂し、「何故ITについて何も知らない他社の新入社員に、技術者に準ずる費用を支払っているのか!当社が教育をして、それで費用を払っているとはけしからん、今すぐ所属会社に返せ。」と、直ちに私と私の上司を叱責した。私はその対応に奔走することになるが、結局これは私の認識の甘さ故に起こしてしまった過ちであった。大成功した直後だったが故、気持ちが緩んでいた。失敗だったと唇を噛んだ。

翌週には上司と自部門の担当役員にまで今回の「事案」をエスカレーションをした上で、先の役員への説明に当たった。現状についてはご理解を頂き、「今すぐ所属会社に返せ」との指示は反故になったが、「来期の体制は再検討すること。何も知らない人に技術者相応の支出をするくらいなら、一般派遣に切り替えるか、それともちゃんとした技術者にすべきではないのか。」との新たな指示が下った。そしてそれはそのまま自部門の担当役員の指示にもなった。私はこの件を自らの責任で片付けなければならなくなった。

後日、先の新人には今回の件を経て少しは悔しい気持ちが芽生え、改善したいという気持ちが生まれたかも、などと淡い期待を抱き、さりげなくその新人に「IT技術者になる気はある?」と訊いてみた。しかし、マスク越しでも明らかなほど困惑した表情での回答は「…ずっと、ですか?ずっとはちょっと…」であった。そうか、コイツはそもそもIT技術者には興味がない。たまたま私の会社の業界がこの新人の希望するものに近いだけで、希望職種はITではなかったな、ということを改めて思い出させられた。私は、「あ、ああ、そうか。」と返すのが精一杯だった。
正直言えば、この時もし肯定的な答えが返ってきたのであれば、どうにかしてでも、極論すれば自らの地位を賭してでも現状を維持したいと考えていたが、それを望んでいたのは私と私の部下くらいで、それ以外の者で–その当事者である新人自身すらも–そう考えるものは誰もおらず、単に私の独り相撲だったのか、と気付かされるとともに「これだけの資質があるのなら、その気さえあれば私などを遥かに超越する、優れたIT技術者として社会に貢献できるだろうに」と名残惜しい気持ちになった。しかし、「コイツがいるべき場所はここではない。きっと本人もそう思っている。」と認識させられたことで、私が取る行動は決まった。

そして、冒頭の私の言葉に繋がるわけである。

自分の意思に反して、しかし組織の一員としては正しいことを伝えなければならないことは、これまでも何度もあったつもりだが、しかし、今回ほど「辛い」と感じたことは記憶にない。例えば私の部下であったならば、実績を高く評価することでこのような状況は発生し得なかったであろう。しかし、現実は大いに異なる。私の組織は取引先に対しそれに必要な対価を払ったわけで、それ以降をなんら補償する必要がない。どんなに優れた実績を残したとしても、契約するかしないかだけで全てが始まり、また終わるのだ。
そういえばだいぶ昔のことになるが、当時勤めていた企業の子会社が人員整理をすることになって、その会社の幹部の方が「こんなに辛いことはない。辞めてもらう皆の代わりに私が辞めてしまいたい」と嘆いていたのを聞き、しかしその時の私は「えっ、だって貴方もそう決めた幹部の一人だよね?」と思ってその真意を理解できずにいた。だが、今日自分が謂わば似たような状況になってみて、やっとその意味を理解できた。結局、どんな組織でも一枚岩になどなるはずもなく、よって、表向きは組織の意思に沿うことを言っていたとしても、個々の本心は全く別のところにある。だが私は、自らの組織での役回りを全うせねばならない。そう、辛いのは私だけなのだ。

いつか、その新人にとって「あの時の出来事が却って、その後の良い意味での岐路になった」と思えるような未来となることを、今の私は、言葉だけではない真の意味で「祈る」ことしかできない。それが私の組織の一員としての役回り。そしてその祈りが届くかどうかは今後の本人の立ち回り次第だろうな、と、自らが進むべき方へ向き直ることしか私にはできないのだった。

今年買ったものとか

例年通り、今年買ったものを総括。

  • 1. ネットワークオーディオトランスポート ESOTERIC N-03T
  • 2. 在宅勤務用オフィスチェア OKAMURA Sylphy
  • 3. 27インチモニタ EIZO EV2750
  • 4. Raspberry Pie 4
  • 5. ドラム式洗濯乾燥機 日立 BD-NX120EL
  • 6. NASキット QNAP TS-473

まず1.ですが、元々DC-37のUSB入力を活かすためにはこれしかないな、と目星をつけていたもので、コロナ禍による外出制限の中、自宅で如何に楽しく過ごすかを色々検討していた際Spotifyに出会い、これをメインシステムで聴きたい、という理由だけで購入。うん、物としては良いですよ。音も優れてます。しかし、かつて購入したDP-900のような「何だこれは!」と驚くような音になったわけではなく、逆にネットワークオーディオの難しさを知ってしまったようにも感じました。
例えば、アナログ的な音質改善(変化、の方が正しいかもしれない)は割とその原理が分かりやすいし、具体的に何をどうするとどう変わるのかは知識・経験である程度はコントロールできるのですが、ディジタルはそういう文法的なものが曖昧。環境による効果の差が小さくない上、「本当かよ?!」と思うようなアクセサリもしばしば見かけます。誤解なきように言えばそれで音が変わること自体は疑っていないのですが、どう変わるかがはっきりしない。実際、解説文を見ても曖昧。つまるところ、リリースしている方も恐らく正確な原理を把握していないのだろうなあ、と感じます。とすると、結局自分にどれが合うかは試行錯誤を繰り返すことになるわけですが、それをするほど安価ではないし、そんな資源も時間も気力もない私にはちょっと重いなあ、これなら円盤回していた方が遥かに分かりやすいなあ、という印象を抱いてしまったのでした。
よって、ちょっとこっち方面は停滞気味。来年もどうなることやら。

次に2.と3.は在宅勤務用に購入したもの。もともと執務机はあったのですが、椅子があまり良くなくて一日中座っているのには辛かったので椅子を、そしてラップトップPCのような画面の大きさだと大きな表を扱うのには不便と思い、コロナ対策による特別定額給付金で購入。正しい給付金の使い方だ、と一人で悦に入っております。

4.はRetroPieでのPC-98xxエミュやX68kエミュを試してみたいと思って購入したのですが…、正直、古いiMacやPCにUbuntu+RetroArchを入れたものの方が遥かに使いやすかったので、その後使われずにしまってあります(苦笑)。N-03T導入によって使わなくなったモニター付きRaspberry 3+とともに、今後何か使い道が見つかれば良いのですが…。

5.は私が、というより家内が使うものですね。コロナ禍とは直接は関係ないのですが、家内が今年頭にフルタイム勤務の職場に転職し、それに伴う家事の負担を減らした方が良い、と思って購入したのですが、いやもう、これほど「もっと早く手に入れておくべきだった」と感じたものは久しぶり。洗濯物を干すという作業がこれほど家事の中でも重荷だったことを、それが無くなったことで気付きました。洗剤の自動投入も便利で、これを導入来、洗濯機に洗濯物を放り込んで、洗濯予約をするのは私の仕事になりました(笑)。あまりには簡単なもので私がやっても全然負担に感じなくなったので、これくらい手伝うのは悪くないな、と思いたったがゆえです。

6.は1.ときっかけは似ているかもしれません。N-03Tをフル活用するにはやはり高音質なストリーミングサービスだ、ということでTIDALを使い始めたのですが、いまいち使い勝手が良くないので、何か良い手はないものか、と思って調べてみたところ、roonで使うのが良さそう、ということが分かり、試しにMacBook Air(もうこれも8年目に突入です)に入れてみたところ、なかなか良さそうな手応えを得たので、ちゃんとしたCore用のサーバを立てようと考えるも、roonだけ用にPCなどを用意するのもなんとなく癪だし、そもそも今使っているQNAPがだいぶ古くなったので、これを機にアップグレード。確かに便利。
しかし、移行の方法はあまり良くなかったかも。QNAPは旧機種から新機種への移行はドライブをそのまま新しい方に挿してしまえば良いのですが、これで行なったところ「レガシーボリューム」となり、新機種で利用できるさまざまな機能が使えなくなってしまいました。これなら、別にディスクを用意してレストアした方が良かったかも。まあ、これは追々ですね。

というわけで、今年の買い物で一番満足度が高かったのは5.だったりします。来年も生活を変えるような、良いものに巡り会いたいですね。