幼馴染との再会とその後の顛末

既にtwitterなどでボヤきまくりました故、本件を知っている人も少なからずいると思いますが、三月にあったことを時系列で簡単にまとめます。

  1. かねてより「今どうしているのか知りたいけれど、もうきっと会うことは出来ないだろうな」と思っていた、幼馴染の女性から三十三年ぶりに連絡がきて舞い上がる。さらに、彼女からのメールに当時の私について大変細かく書かれていて、さらに舞い上がって邪推をしてしまう。
  2. 家内の許可を得た上で、彼女からの連絡から1週間後に二人で会い、昼食を取った後、かつて二人が通った学び舎へ。その後、喫茶店で「細く長い関係」として、私からfbでの友達関係を望むも、彼女は「これでは幼馴染としての関係もなくなってしまう。これまで同様メールでいいのでは」と回答し、「そうか、そういう特別な関係を望むのか」と捉え、益々舞い上がる。
  3. とはいえ、再会も果たしたのでいい加減日常に戻ろうと考えていた矢先、彼女からこれまで見たことのないような感情的なメールが届き、私は慌てふためき、余計な問い掛けをしてしまう。その余計な問い掛けのせいで、お互い、更なる誤解と疑念に満ちてしまうことになる。
  4. その誤解が解けない、と苛立った私はつい感情的になり、彼女にそれをぶつけてしまう。結果、彼女は私に「(その気持ちは)肉体関係以上に浮気」、「サヨナラすべき」、「奥さんを取って」と言い、私は彼女に「私とは多分生きる道そのものが全く違うところに向いている」と言い放って、実質的に喧嘩別れ。※ここまで、最初の連絡をもらってから三週間弱
  5. それまで、「別に彼女が居なくたって、私の今の日常にはなんの影響もない」と思っていたが、実際にそうなってみて、かつて彼女が近所にいて、共に遊んだ幼い頃を振り返ろうとすると、先日の出来事が辛く思い出される…、即ち心にぽっかりと大きな穴が空いてしまったことに気づく。失敗した、と思ったが後の祭り。暫く陰鬱な気分の日々を過ごす。

細かいことは端折りましたのでイマイチ伝わらないとは思いますが、このようなことがありました。

なお、その幼馴染たる彼女は再会した際にはfbはやらないと言っていたはずなのに、いつの間にかアカウントを作っていたようで、私がそれに一昨日気づいて「最初からこうなっていれば、上記3.項以降の状況は生じなかったのでは」と悔しがっている状況です。でも、まだほとぼりが覚めたと思っていないので、暫くは連絡は難しいだろうな、と思っています。なにせ「肉体関係以上に浮気」と思われてしまったみたいです(実際には「(再会した)あの瞬間、心を奪われてたよ。」とは言ったものの、手すら握っていない)し、私も思いっきり捨て台詞吐いてますからねえ…。

まあでも、彼女の言葉には色々考えさせられることがありました。
例えば、私は家族自体はちゃんと見ていたつもりでしたし、幾ら幼馴染という特別な相手であっても、家族より優先する気は流石になかった(これは天に誓えます)のですが、家内を妻としてちゃんと見ていたか、と言われると最近はちょっとアレだったかなあ、という気もしてきました。なので、今後は月一回くらいはその「妻」と二人で出かける時間を作ろうかな、と思っています。子供達も随分大きくなって、そういう時間を作る余裕も出てきましたから。家内と一緒に生活するようになってから十五年余り経ち、惚れた腫れたという気持ちを抱いている時期はとうに過ぎていて、お互い「家族」という信頼関係に基づいて行動していたわけですが、私はそれに甘え過ぎていたのでは、という良い気付きになりました。
あと、彼女を「幼馴染」という特別な関係の枠に嵌めようとしたのも私のエゴだったなあ、と思っています。だから、もし、改めて彼女と意思疎通が出来るとすれば、ほかの同窓生と同じように接するつもりでいます。具体的にはfbなどのSNSのアカウントで繋がるだけで十分。というか、元々私はそれを望んでいたわけですし。

あとは時間が解決することを祈っています。

四半世紀前の追憶

きっかけは今年の春、リビングルームのオーディオ機器(メインシステム)の整理をしようと思った時に遡ります。

オーディオ機器の整理と併せてメインシステムから切り離すことになる各メディアについて、それぞれデジタルデータ化して保管することにしました。市販のソースであれば絶版のものでもない限り買い直せば済むのですが、自分自身で記録し、編集したもの唯一無二も少なからずあるものですから、これらは実時間を掛けてでもそうする価値があると考えたのです。

その唯一無二のもののなかの一つに一本のビデオテープがありました。記録されている映像は高校時代所属していた放送部のMIIビデオカムコーダで撮影したものをVHSテープにダビングしたもので、その中には当時の友人であったNくんに頼まれて編集した、通称「Nビデオ」も含まれていました。それらの映像は久しく目にすることこそなかったものの、当時どのようなことをしたかは粗方覚えていましたし、正直、その映像を今後見たいと思うかどうかは分かりませんでしたが、「将来見たくても見られない」という事態を一応は避けるべく、デジタルデータ化を始めました。すると…、意外にも「懐かしい。この映像はまるで昨日のように鮮やかなのに、もう遥か昔のことになってしまったんだなあ」と、急に胸を締め付けられるような気持ちになりました。また、当時の「Nビデオ」が今時の大画面ではとても見苦しいものであることなどから、「これを最新の環境でリメイクしたらきっと綺麗になるに違いない」と思い立ち、改めてiMovieで編集をし、ちょうどその直後に誕生日を迎えるNくんに誕生祝いのメッセージをfbで投げるついでにこのリメイクした「Nビデオ」を渡したところ、「たまには会って食事でもするか」ということになり、卒業以来四半世紀ぶりの再会を果たしました。

再会当日、あまりにも久しぶりすぎてロクな話題がないかも、などと言う心配は全くの杞憂で、まるで先月会ったばかりの友人に再会したような感覚に襲われるほど身近で遠慮のない話が出来て、大変充実したものになりましたが、その中で印象的だったのが、私と家内の関係について話したのちNくんより「あの頃から、自分の付き合っている相手には隠し事とかしない、って言っていたよね」と言われたことでした。

私は社会人になった以降もしばらくの間は「高校時代こそ人生の至福の日々で、あの頃のように周りの全てを投げ打ってでも何か一つのことに一生懸命になりたい」と思っていたのですが、それらの結果が散々であったことや、その過去を上書きできるほどの日々をその後過ごしたこと、そして、今日の立ち位置を得るのに高校時代に周りの全てを投げ打ってしまったことで遠回りをしたのでは?と昨今思うようになってしまったこともあって、高校時代はむしろ暗黒の時代だったのかも、とネガティブな過去としての印象が強くなっていました。が、先ほどの一言をNくんから聴くことで当時のことを思い出し、その過去が暗黒ではなく今日に至るステップの一つだったんだ、と改めて思い返させられてハッとしました。

* * * * *

その一生懸命の一つのこと、とは恋愛でした。当時、本当に好きで好きでどうしようもなくて、それしか頭になかったと言っても過言ではない人がいました。その人の頬に優しく触れてみたい、そして抱きしめてみたい…。そう思えた最初の異性でした。しかし、最初の一年目は、自分の気持ちこそその人の誕生日に伝えることが出来たものの、あまりにも積極的に色々なことをしてしまったせいかお付き合いすることは叶わず、二年目にようやく付き合い始めることになるのですが、お互い子供だったと言うこともあるのでしょうね、最初は誰が見ても仲睦まじく、むしろ余人が近寄ることすら憚れるほどの関係と言えるほどだったのに、大人の真似事をすればするほど心がすれ違っていき、我に返った時には既にその人は私の元を去っていました。卒業と言う物理的な変化もあったのですが、それ以前より気持ちは既に離れていたのです。私は当時、全てを失ったと言う絶望感から憔悴し、一思いに楽になった方が良いかもね、などと言うことまで頭を過ぎったりしたのでした。

その後、幾つかの経緯があって「関係を戻そう」と相手から提案されたこともあったのですが、私は相手と私自身の気持ちを断ち切るつもりでかなり厳しい回答をしたことを覚えています。それは安易に時計の針を戻すのではなく、まだ見ぬ未来に自らの運命を託すと言う自分なりの決意でもありました。それはまた、新しい心の旅の始まりでもあったのです…。

* * * * *

このような経緯だったこともあってこれらの過去を意図的に封印して、時々それ以外の過去を思い出し苦悶しつつも出来るだけ前を見てきたつもりでしたが、今年はついにその頃の記憶の封印を解くきっかけになったように思います。…いや、単なる「きっかけ」だけではなく、この封印を解くのにこれだけの時間が必要なほど強い気持ち・思いだったんだ、とも言えるかもしれません。そして、今年はその人に出会って気持ちを伝えた一年目のそれと曜日の巡りが同じだったことに気づき、年初のエントリーである「昔日の蛍とその先にあったもの」も含め、全てが偶然だとは思えないような状況だったように思います。

その人の誕生日、今の家内にこの頃の話を初めてし、ようやくあの頃の自らのポリシーを全う出来たような気がしています。そして、改めて次の一歩を踏み出せるようにと、これらの過去を踏み台にして前方にある未来に向かって突き進んでいこうと思います。

幸せの足跡

夜、子供たちが「赤ちゃんだった頃の動画や写真を見せて欲しい」とせがむので、久々にそれらを家族で見ました。

正直、録画した頃はありふれた日常の光景で、それ以降見返すことは殆どなかったのですが、今改めて見ると、新鮮で、そして何となく幸せそうな家族の姿にも見えて、それがとても心に残りました。

…そう、思い返せば、愚かしくて大した能力を持たない私ではあったものの、今まで沢山の幸運と沢山の人達の良心に恵まれて、割と平穏で幸せな日々をここまで過ごすことが出来たんだなあ、と実感したのでした。

明日、明後日、そして遠い将来に至るまで、それらが未来永劫保証されるわけではないし、思いもよらぬ困難や、全く望んでいない結末を迎えることになるかもしれませんが、少なくとも今日まで幸せであったこと、そしてそれを何かの形で残しておきたい、と思いここに書き残します。

願わくば、今日までのような日常が、1日でも長く続きますように…。

昔日の蛍とその先にあったもの

先週、およそ8年ぶりにインフルエンザに罹ってしまい、それ以来どうも体調が芳しくない感じだったのですが、今日は幾分マシになったので一週間ぶりにサイクリングに出掛けました。

サイクリングは昨年5月に自転車を購入以来始めたもので、出発時には特に行き先を決めず「あ、そういえばこっち行ったことなかったな」と走りながらに決めていることが多かったりするのですが、今日もそんな感じで走り、気づいたら高校時代にお世話になったT先輩のご実家の付近を走っていました。そして、その時なぜか今から28年前の夏のある日の出来事を思い出したのでした。当時わし自身が書いた「放送部にて」から当時の出来事を引用します。

8月5日(土)、この日も部活はあったのだが、私は山梨に出かけてしまったので、部活を休んだ。だから何も書けないが、M先輩から後で聞いた話によると、T先輩の家で花火大会(と言っても、たかがしれてるが。)をやったそうな。(以下略)

この一文には特に書いていないのですが、この花火大会の後にT先輩ご実家付近の田んぼでみんなで蛍を見に行き「とても綺麗だった」という話をのちに聞かされ、「羨ましいな」と思ったことを思い出しました。しかし今日、その田んぼだったと思われる場所は宅地造成され、小綺麗な戸建住宅が建っていました。「いずれ時が経てば見に行く機会もあるだろう」と思っていた蛍とその景色には、結局一生見ることができなかった風景になってしまったのか、と残念に思う気持ちと、かつて思った「羨ましいな」が今日改めてフラッシュバックして複雑な心境になりました。

もっとも、もう見ることができないのは風景だけではありません。もはや当時の仲間たちが全員集まって何かをすることは恐らくないし、もしかすると生きている間に二度と会えない人もいるのかな、と。人との絆も昔日の蛍の灯のように強く、そして儚いものなのかもね、などと柄にもないようなことを考えつつ、その場を後にしました。


夕方、家族とともに地元のショッピングモールに行ったら、もう何年もお会いしていなかったT先輩とご家族に偶然お会いしました。この不思議なタイミングでの再会は、あの日見ることが叶わなかった蛍たちが「儚くても強さを忘れてはいけない」と語りかけてきたように感じられた、と言ったら考え過ぎなのでしょうか。

IRS-Beta、失意の試聴

この前の日曜日、インフィニティのハイエンドスピーカ、IRS-Betaを聞きに名古屋の某中古オーディオ店に行ってきました。(関連記事:旅人さんの日記
さすがに距離があることもあり、行って聞けないとまずいので、事前にお店に連絡して「鳴らすにふさわしいアンプは店舗にないけれど、なんとかやり繰りします」、「今日は試聴フロアの担当が休みを取っているが、明日は出社するので朝からセッティングを行います。」旨の回答とともに試聴させて頂けることを確認の上、旅人さんの車に乗って計4名で当日未明に都内を出、朝には現地に到着しました。朝食をとった後、暫し駐車場に停めた車内で休憩しつつ開店時間を待ちました。

午前10時を回った後にその店に入り、即座に思ったのは「あ、しまった。ここ、ジャンクの店じゃないか…。」でした。動くのか動かないのかよくわからないようなものが置いてあったり、未完成でパーツというべきかすら憚られる謎のものが店内にごちゃっと置いてあったりするし、何より店内全体が埃っぽい。もちろん、ジャンクにはジャンクの良さがあることを理解するのですが、今のわしはオーディオにジャンクを求めていません。この時点で相当気が引けてしまいました。

店内を1階、2階と見渡しましたが、目標としていたスピーカらしきものは見つからず、ならばということで独り地階に降りて見たところ、白髪の割と年齢の行っていそうな店員が巨大なスピーカ群の前の事務椅子に座っていました。目当てのスピーカは確かに聳えているのですが、事前にメールで回答頂いたような、セッティングを行っている様子は全くありません。仕方なくこちらか声をかけました。「先刻、メールでBetaとSigmaの試聴をお願いした鳴沢と申しますが…」、店員は「ああ」とばかりに声を上げて、私に尋ねるのでした。「アンプな何をお使いで?」わしは素直に「アキュフェーズのA-45とA-70です」と答えると、店員は「ふーん…」というふうな反応をして、そして想像だもしないようなことを言い始めるのです。「このスピーカは無限の可能性を持つが、あなたのアンプではその性能は活かせない。せめて同じアキュフェーズでもA-200を4台、そしてDG-58がなければ。そして今それはここにはない。ここにあるアンプでは音は出るがとてもこのスピーカの性能を発揮できるものではない。聞かない方が良い」

驚きました。試聴をしに事前にアポイントまでとって参上したというのに、約束していたセッティングを行うこともなければ、しまいには「聞かない方が良い」です。この趣味をそこそこ長くやってきたつもりでしたが、このような経験は初めてです。店員はそのあと、「このスピーカを鳴らすのだったら、最低でも2000万円用意しないとダメ」、「このスピーカの為に部屋を作るぐらいの覚悟はあなたにあるのか」、「この店はこのスピーカを15台売ってきた。名古屋だけでなく、東京までセッティングしに行ったこともある。みんなドクターなどと行ったお金持ちばかりで、そこで試行錯誤をしてやっと鳴るような代物だ。そこまでやる覚悟がないのなら、このスピーカは活かせないしそこらの安いスピーカより鳴らない、と誤解される。」と色んなことを言われましたが、それらは全て「だから、聞かない方が良い」という言葉につながっていました。

さて、困りました。わしは今日試聴をしにきたわけだし、ここまで運転してくださった旅人さんや、同行していた方にも申し訳が立ちません。状況を打開すべく、こちらの話を全く聞く気がないままずーっと説教(?)を続けようとする店員の言葉を遮って言いました。「私は今日試聴のために、遠路はるばる徹夜までしてここに来ました。どうしても聞かせてもらえないのでしょうか。」、「このスピーカは今日初めて聞くわけではありません。15年前、仰るような環境で聞き、そこの音がいかに素晴らしかったを覚えています。今日の環境はそこまで鳴らないというご主人の意見も理解できる。しかし、だからこそこの環境でどの程度鳴るのか聞いてみたい。」しかし、店員は前述のような話を改めてした上で、やはり「聞かない方が良い」を繰り返すばかりでした。この店員には幾らこちらが筋道立てて話をしても多分らちが開かない、ということで、目一杯こちらが譲歩することに。「…ご主人が言われる通り、私が色々勘違いしている可能性は否定しません。ですので、いかに自分が誤った認識であるか、この耳で確かめたいのです。聞かせてください」とお願いしました。すると仕方ないな、と言わんばかりにケーブルを持ち出し、やっとセッティングを始めてくれました。

ここまで説教を聞き始めておよそ30分間が経過しており、前日から殆ど睡眠を取っていなかったこともあってわしはすでにヘトヘトでした。もうどんな音でもいいや、聞くだけ聞いて帰ろう…と、そんな気分になっていました。だから、それ以降出てくる音については一切否定をしませんでした。実際、音量入れてもひずみが感じられないことや、音場がスピーカ後方に形成されるなど、確かに素晴らしかったのですが、それを褒めながらも敢えて店員の言葉を立てるために「この環境では完調ではないですね。」などと言い、機嫌を損ねないよう演技するので精一杯。一方でウィークポイントといえば、この店員さんのいう通りセッティングが甘いのと駆動系が弱かったんですかね、スピーカからの音離れがイマイチだったし、バランスもおかしかった。あと選曲が悪い。最初にオルガンを持って来た時点で「あーあ、やってくれやがった」と思いましたよ、正直。(IRS-Betaといえば低域、と勘違いしている人が多いのですが、むしろ中高域こそ至極であって、どちらかといえば低域はブーミーです)途中でNASAのケーブルを使ったXLRケーブルなどに交換されたりしてましたが、確かにクリアになったもののこれで200万円?とか思ったのも事実。そもそもNASAのケーブルってそんなに偉いん?ただのMIL規格じゃないか、などと思ったりもしたのでした。

その後何をやりとしたかあまり覚えてません。ただ、店員曰く「このスピーカを鳴らすのにはセッティングのテクニックとかそう言うのは要らない。とにかくお金だけ必要。」と繰り返し仰られていたのが印象に残っています。また、その後自分の持って来たCDもかけたけれど、音量を入れて聞いていることもあって、部屋全体が音に包まれ、それでいて歪み感を感じず自然に聞けるのは良かったのだけれど、なんとなく密度は薄いな、くらいにしか思わず、早々に切り上げて、さっさと店を後にしてしまいました

疲れのあまり、車中では混乱してなんだか色々話をしていたような気がしますが、ほとんど覚えていません。ただ、帰ってから無性に悔しくて、腹が立っていたことを覚えています。

帰宅後、自分のメインシステムを改めて聞いてみました。「うわ、これラジカセの音?」と思うくらいIRS-Betaと差が感じられました。そういや店舗のIRS-Betaは音量大きめだったよなと、と試しに音量を上げてみたのですが、ある音量を超えると妙にヒステリックでうるさく聞こえるようになり、「うーむ、これが性能の差なのか?」と思いましたが、もしかして音量を上げてうるさく聞こえるのはセッテイングのせいかも、と思いIRS-OMEGAのOwner’s Manualを久々に読み返してみたところ、Beta同様に左右間隔は2m以上空けるべき旨のことが書いてあり「あー、もしかして、まだOMEGAの性能も全然追い込めてない?」と言うことに改めて気付いたのでした。
そうして総合的に考えると、もう少しOMEGAを追い込んでからも良いかも、と思い、Betaの購入は断念することに。そもそもあんな音量、うちのような一般の家屋では出せるはずもないですし。

OMEGAのセッティングの課題に気づいたことや、一瞬とは言え夢が見れただけでも良しとすべきなのでしょうが、それにしても、店員のああいう行為がまかり通ってしまうオーディオ界に強い失望を感じました。個人的にはとても残念です。

平成28年を振り返って

今年も今日でおしまいです。

気づけばこのブログ、今年6月に一エントリー書いて以来、完全に放置状態だったわけですが、さすがに一年のまとめはどこかに残しておきたいな、と思って徒然なるままに書いて見ます。中身は薄いですがご容赦を。

  1. 熊本地震
    震災そのものより、あくまでも私個人の話なのですが、この地震のおよそ半月前に中学時代の一周忌があり当時のことをいろいろ思い返していた時でした。その中で知り合って僅か半年て熊本に引っ越し、その後手紙等を通じて3年近く交流のあった特別な友人ともいうべき女性のことを思い出したりしていたのですが、その最中この地震が発生したことで、これまで自分が敢えて曖昧にし、あくまでも美談としてのみ覚えていたことの全てがフラッシュバックしてしまい、極めて情緒不安定になってしまいました。
    私自身はその地に赴いていたことはないし、先述の通り敢えてその記憶を曖昧にすることで深追いしないまま今日まで来たわけですが、眼前にその女性が生活していたところの惨状をテレビを通じて目の当たりにすることで、なぜか自分が追い詰められている錯覚に陥って、しまいにはニュースを見ることすら心理的に非常に厳しい状況になってしまいました。
    結局、それらを全て文章という形で吐き出すことや、家内に打ち明けることでなんとか立ち直り、幸いにして日々への影響は極小で済んだわけですが、ただ、この中でその頃から何がどうなって今日に繋がったかを省みるいい機会にもなった部分があります。そして自分なりに思ったことは「まだまだいろんな可能性に挑戦し続けるべきだ」ということでした。昨今、自分が歳をとったことで、いろいろ消極的になっていた部分がありましたが、まだそれは早いんだな、と。
    もちろん、歳相応に難しいこともありますし、環境面でやるべきではないことも少なからずある。でも、それらの枠内でできることはまだまだあるはず。そもそも若い頃だってなんでも出来たわけじゃないのだから、その出来なかったことを今から再挑戦しようと心に決めるきっかけになったように思います。それが、次項で述べる自転車購入に繋がっていきます。
  2. 自転車購入
    新しい何かを初めてみよう、ということでドロップクロス的な自転車を5月に購入。ロードバイクにしなかったのは、そこまで本格的なサイクリストになりたいと思ったわけではなく、カジュアルにサイクリングを楽しみたい、と考えたからでした。
    とはいえ、割と距離を走るようになってからは「やっぱりロードバイクにすりゃ良かったかな…?」と後悔している部分もなくはないですが(汗)。
    いやあ、風をきって走るってこんなに爽快だったとは。自動車で外出するのとはまた違った楽しみに気づかされました。
    冬に入って少し怠け気味にですが、少し暖かくなったらまたあちらこちらに走りに行きたいです。
  3. 著名人の相次ぐ逝去
    個人的には「プリンス」と「ジョージ・マイケル」がこの世を去ったことがなんともショックでした。
    特に後者は先述の「特別な友人」の思い出とも関連している部分があって、そういった意味でもなんだか寂しい気分になりました。
    こういうのを知ると、やはり時間は経っているのだなあ…と。それゆえ大切にせねばらないわけですが。
  4. 趣味方面
    昨年、電源関連とAccuphase DC-37を購入して以来、特に大きな動きがなかった趣味のオーディオですが、11月にB&W 802D3の試聴をしたことで「もう少しうちの機器で良い音を目指せるのではないか」と試行錯誤した結果、バイアンプが有効とわかり遂にAccuphase A-70という客観的に見ても高級機と言えるアンプを手に入れるに至ってしまいました。
    今月27日に来たばかりでまだエージングも済んでいない状況ですが、明らかにこれまでとは次元の違う音を聞かせてくれています。そして、この構成にすることで、スピーカが何かをするたびに敏感に反応するようになりました。これまでは何をしてもあまり目立った効果がなかったのですが、それって今思えばちゃんとドライブ出来ていなかった、ってことなんでしょうかねえ。
    また、ウォークマンのバッテリーがへたってしまったことや、iPhone 7 Plusで音楽を聞けたら楽でいいな、ということでMDR-1ADACなども購入。こちらは若干作り込まれた音の感はあるものの、明らかにこれまでのヘッドフォンと違う緻密な音を聞かせてくれ、いい塩梅です。
    来年もオーディオ関連には色々手を出すことになるかもしれません。楽しみです。

その他、Brexitや北米大統領選挙など色々考えを巡らすようなことがあったり、10月の地元の運動会では昔取った杵柄じゃないですが奮闘して頑張ったり、11月に雪が降ったりと、色々盛りだくさんだった1年でしたが、仕事の方も転職から満1年が過ぎ、まあなんとかやっていける感触を得て色々自信がついて来ました。来年は公私ともに飛躍の1年にしたいです。

それではみなさま、よいお年を。

33年目のピヨ夫の日

昨日6月12日はピヨ夫の日でした。

…などと書いても殆ど誰にも通じないと思うので、15年前(2001年6月12日)に書いたブログの、この日についてのエントリを引用することにします。乱文ですがご容赦を。

18年前の今日、まだ私は小学校4年生だったが、当時完成したばかりの竹園公園から大清水公園にかけての遊歩道を中心に「まつりつくば」が開催されていた。昼間は梅雨入りした割には天気もよく、当時のつくばとしては非常ににぎやかであったが、夕方になると重い雲があたりを立ちこめ、終いにはぽつり、ぽつり…と雨が落ちてきた。私は家に帰ろうとして自転車置き場に向かう途中で、彼と出会った。それは、露天のおじさんが売っていたニワトリのヒヨコだった。箱にぎゅうぎゅう詰めにされて何となく狭苦しそうだった上に、先ほどから降り始めた雫の下で鳴く声が当時の私には何となく悲哀に聞こえた。既に正価の半額となってたこともあり、ヒヨコに同情(?)して言った「1羽ください」。そして、その側面に丸く穴の開いた紙袋に入ったヒヨコを抱え、家路についた。
…とまあ、ここまではまあどうでもいいんだが…。当時の私が住んでいたのは公務員宿舎、つまりは団地だった(w。しかも4階である。親はその様を見てあきれ果てた。「そんなの買ってきてどうするつもりなの!」…そりゃそうだ。幾ら今は小さいとはいえ、彼はニワトリである。大きくなればかごで飼うわけにもいかないし、そもそも朝には派手に鳴くであろう。(しかも…次の日は父の誕生日だったり…「俺の誕生日の前日に…とんでもない子だ」と思ったに違いない(w。)しかしもう後には引けなかった。親もその辺は分かっていたらしく、それ以上は特に何も言わず、割と協力的だった。初日はとりあえず段ボールに入れ、そこにお湯を入れた瓶をタオルでくるんで作った湯たんぽを入れて、彼を寝かせた。私は彼に「ピヨ夫」という名前を付けた。その後、ピヨ夫はめざましい成長を遂げ(笑)、1週間で段ボールでは手狭となってしまった。仕方なく、それ以降はベランダで飼うことにした。正直言って4階だったので「落ちたらヤバいんじゃないのかなぁ」と思ったが、結局ピヨ夫は落ちることは一度もなく、ベランダを我が物顔で歩いていた。
ピヨ夫と一緒にいることで色々分かったことがある。よく「ニワトリは3歩歩くと忘れる」などと言うが、それはどうやら嘘らしいと言うこと。と言うのも、ベランダの窓を開けると必ずと言っていいほど、その方に駆け寄ってきたし、外に散歩に出しても主人のそばを離れない。その行動は結構愛らしく、周囲の友達もピヨ夫を結構気に入っていたようであった。
そのまま夏休みになり、家族旅行で山梨に行ったときなどはピヨ夫を洗濯籠に半ば押し込め(^^;、車で連れて行ったりもした。が、夏休みの終わりの頃になると、さすがに親もこのままにしておく訳にいかない、と思ったらしく、「学校で預かってもらいなさい」と言い、小学校のニワトリ小屋に連れて行くことになった。学校に着いて飼育小屋に入れようとするが、ピヨ夫はなかなか入ろうとしない。仕方なく、私が奥に入り待つことにした。…よし、入った!と思っても、こちらが出ようとすると進んで先に出ようとする。さすがに暑い最中にこんなことを繰り返しているわけにも行かず、終いには強引に押し込んでしまった。帰り際、寂しいそうに鳴くピヨ夫の声は暫く頭に焼き付いた。まあ、もっとも小学校に行けばいつでも会えるのだが…。
この後新学期が始まり、ピヨ夫を中心とし、上級生の女子を巻き込んで色々思い出深い出来事が起きるんだけど、敢えてその話はここではしない:-)。ただ、当時の私はニワトリにすっかりご執心状態となり、当時周りには「ニワトリキ○ガ○」と言われるほどだった。…って、なんか中学校のラピュタにハマった際にも同じこと言われてた気がするんだけど…(^^;、どうやら何かに「ハマる」とそれだけになってしまうと言う悪い癖はこの頃から始まった気がする。そしてそれは今も変わらない(コラ。
ちなみにピヨ夫はその2年後、残念なことに実験対象として近隣の研究所に連れて行かれることとなったそうなのだが、実はこの辺は私も詳しく知らない。と言うのも、私は直前に転校してしまってその小学校を去ってしまったから。…がその場に居合わせなくて幸せだったかも知れない。そのおかげで18年経った今でも楽しい思い出であり続けるのだから。(以下略)

33年経った今でもこの日を覚えているものの、別に何か特別な催しをするわけではなく、いつもとほぼ同じ日曜日を過ごしていたのですが、夜、家内からわしの留守中にあった出来事を聞きました。

「朝、尾が青くて長い綺麗な鳥が、家の周りをまるで中を覗き込むように飛び回っていたよ。あれ、何ていう鳥なのかしらね。」

そう聞き、わしが「今日はピヨ夫の日だったんだよ」と伝えると、普段はあまりロマンチックなこととか言わない家内が「きっと、ピヨ夫が生まれ変わって様子を見に来たんだ」などと言っていてちょっとだけジーンときました。「ああお前、帰ってきたんだな。33年目の、あの日と同じ日曜日に。…でも、お前と初めて会ったのは夕方だったのだから、今日も夕方に来てくれれば再会できたのに。」などと、まあ、そんなことを考えてしまったりしたのでした。

ダイヤトーンサウンドとの決別

昨夜、ダイヤトーンのかつての名器ともいうべきDS-10000 Klavierの極上中古がヤフオクに出品されていることを知り、特にエンクロージャーの仕上げの素晴らしさ(私見では、そのまま宮内庁あたりに納めたと言われても信じてしまいそうなくらい)に惹かれ、一瞬本気で落札してみようかな、などと考えましたが、かつてのオーディオ遍歴の中でダイヤトーンとは決別を選んだ以上、おそらく入手してもあまり満足できないだろうなと思い、考えを改めました。

このエントリーでは、そのダイヤトーンサウンドと決別を選んだ時の話を書いてみたいと思います。

「スピーカーを買い換えるから、一緒に試聴に付き合って欲しい」、父にそう言われたのは1993年の初夏の頃だったと記憶します。それまで、自宅の父のオーディオシステムはソニーCDP-777ESA、山水AU-D907XD、ダイヤトーンDS-77HRを中心としたシステムで、わしもそのシステムの音で耳を鍛えてきたこともありスピーカーの買い替えとなればそれは自分の基準が変わることを意味しますので、非常に強い関心と期待をしつつ、秋葉原のオーディオ店に向かいました。
そのオーディオ店はいわゆる専門店で、スピーカーも量販店では殆ど目にすることのないような高額なものが並んでおり、それだけで圧倒されてましたが、父は「クラシックを中心に聴く」とのことで、お店の方のお薦めでタンノイStirling/TWや、当時人気を博していたソナス・ファベールのELECTA AMATORなどを聴きましたが、それぞれに良さがあれど、何かこう独自の魅力に欠けるというか…。そしてその次にインフィニティのKappa 7.1iとRenaissance90を聴いたのですが、Renaissance90は一聴して「ああ、これは他のスピーカとは違う!」と感じたのでした。特に違う、と思ったのは中高域で、他のスピーカーはシンバルやハイハットが「シャンシャン」と当たり前のような音で鳴るのに対し、Renaissance90は「スンスン」と若干引っ込んだ感じになるものの、金属を叩いているというその質感が物凄くリアルだったり、他のスピーカーは音が前に張り出してきてそれが音場を形成しているのに対し、Renaissance90はスピーカーの後ろ側も含め、音がその場の空気として漂うような音場感を形成したのです。特に後者はこれまでわしがスピーカーで経験したことのない音だったので、大変驚きました。そして、これらを聞き比べたのち、父は私に「どれが良いか」と聞かれ、わしは「タンノイは定位と良さと素直な音でクラシックには良さそうだが、他ジャンルではおそらくその帯域の狭さが気になると思う。ソナスはとても綺麗な音だけれど、交響曲では迫力に欠けそう。Renaissance90はかなり独特で、高域がちょっと物足りない気がするけど、音場感が独特で面白い。」と一通り答えた上で「他のスピーカーの音であればダイヤトーンと同じ傾向の音と言えるが、Renaissance90の音だけは他の国産では恐らく出ない音だと思う。Renaissance90が良いのでは」と締めくくりました。父も元々本命がそれだったようで、一方で予算的な理由からKappa 7.1iで済むのであればそれに越したことはない、と考えていたようですが、音以外にも接続端子の作りなどにかなりの差があったりしたことから、結局Renaissance90を購入することになります。自宅に到着後は、試聴時にも気になっていた高域の物足りなさと鳴りっぷりの悪さに父は大変苦闘し、結局アンプをセパレートに買い替えるなどして満足な音になるまでに数年を費やすことになるのですが…。

そんなことがあってからおよそ5年後、わしも社会人になって半年経ちだいぶ落ち着いてきたことから、今度は自分のシステムを刷新しようと思い立ち、「まずはスピーカーからだよなあ」ということで、かつて行った専門店でダイヤトーンDS-1000ZXとインフィニティKappa 6.2iを試聴することにしました。正直言えば、インフィニティは父が苦戦した過去を知っているだけあって、音さえ満足すればダイヤトーンにしようと考えていました。が、結局、ここでもハイハットの金属の質感のリアルさに差がありすぎて、結局インフィニティを選ぶことに。ダイヤトーンもさすがにDS-77HRよりは優れた音であり、とてもバランスが取れている整った音だったのですが、あらゆる評価項目で100点満点中全部80点という感じがあって、中途半端な感が否めなかったのがマイナスポイントでした。その約1年後に三菱電機がダイヤトーンの事業を縮小することになり、これが結局最後の別れとなってしまいました。その後、Kappa 6.2iも4年足らずで現行のリファレンススピーカーであるIRS-OMEGAに置きかわり、今日に至ります。

わしがダイヤトーンサウンドとの決別したのは、結局のところ最初にRenaissance90を試聴した時に感じた「ダイヤトーンと同じ傾向の音」が、DS-77HRの10年後の上位機種であるDS-1000ZXでもその印象が変わらなかったことがその要因として大きかったのだろうなあ、と思います。もっともその一方で、本当のダイヤトーンサウンドが目指す「ハイエンドな」世界を聴いてみたかったのですが、それが叶わなかったことは自分のオーデイオライフとして今でも悔やまれます。

転職

わしは9月末を以って現在在籍している会社を辞め、10月1日より新たな職場にて働くことになりました。
…と、これ自体は既にわしの周りの人にはそれぞれお伝えしているので今更感がありますが、ここではなかなか纏めて話が出来にくい、転職までの経緯と決断に至った理由を徒然なるままに記していきたいと思います。

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ヘッドフォン比較視聴記

これまで、わしは通勤時にウオークマンNW-F887を付属のノイズキャンセリングヘッドフォンで聴いていたのですが、どうもなんだか楽しくありませんでした。楽曲自体を聴くのにはなんの支障もなく、ノイズキャンセリングのおかげで音自体は割と鮮明に聞こえるわけですが、メインの音響機器で音楽を聴いているときと異なり「何となく鳴っているものをただ耳元に流しているだけ」感が否めないのでした。ゆえに、それほど積極的に聴きたいと思わず、疲れているときなどは使わないことも少なからずありました。
しかし、先日試しにヘッドフォンを手持ちのATH-ES10に差し替えて通勤時に聴いてみたところ、これが大変楽しく、いかにも音楽を聴いているという感じで、積極的に聴きたいと感じるようになりました。
このような経緯もあって、これまで前回のエントリーにあるような「リファレンス機器として」以上の興味がなかったヘッドフォンについても、もう少し積極的に試してみたいと思いました。が、残念ながら元手がありませんので、とりあえず自宅にある3つのヘッドフォンの比較視聴をし、その感想を書いてみることにしました。なお、駆動環境はわしのメインの音響機器であるNP-S2000→DP-67(DACとして)→C-2410です。

  • SONY MDR-Z1000
    本来はモニターヘッドフォン。帯域が広くナチュラルトーン。細かい音をよく拾い反応が早い。残響がきれいに減衰し音場感も広め。アタック音が鋭く楽器の材質すら描写し、弦楽器はその爪弾くさまが見えるくらい鮮明。モニタリングのみならず、これで音作りもできそう。ただ、長時間のリスニングは退屈になるかも。
  • SONY MDR-Z900
    こちらも本来はモニターヘッドフォン。実際に発売当時、これを使用しているマスコミ関係者を少なからず目にした。帯域は狭くはないが、高域と低域に明らかな強調感がある。そのせいもあって、特定音域の細かい音は拾っているように感じるが、残響が早めに減衰するところをみるとそれほどでもないのかも。反応の速さにはさすがに年季を感じる。いわゆるノイズとなりやすい音域に強調感があるので、モニタリングとしては今でも使えると思うが、音作りはこれでしないほうがよさげ。リスニングにも退屈なので、録音時くらいにしか使えないかな…。
  • Audio-Technica ATH-ES10
    アウトドアリスニング用途を意識したヘッドフォン。帯域は広いはずだが、それを感じさせないほど巧みな音づくりをされており、楽曲そのものの解釈が変わってしまいかねないほど。また、このヘッドフォン独自の響きが音に乗ってくることもあって、細かい音は拾えど減衰のさまが前述2機種とは大きく異なる。反応は早くも遅くもないが、先述の響きの影響でなんとなく音像がぼやける。音場の広さは普通。長時間聴いていても嫌な音はしないのでリスニングには向いていると思うが、密閉型ではないこともあり、モニタリング、音作りには前述2機種と比較すると向いていない。