ヘッドフォンリスニング

先日、以前から使い続けているヘッドフォン、SONY MDR-Z900のイヤーパッドがボロボロになっていることに気づき、補修部品を取り寄せて修理しました。

このMDR-Z900を購入するきっかけは、1998年10月から横須賀勤務になるのに併せ当面はホテル暮らしになるということが決まり「平日夜に音楽が聴けないのは辛い」と感じてポータブルオーディオの環境を整えるべく、MD Walkman MZ-R55と共に急遽購入したものでした。ホテル暮らしそのものは3ヶ月程度で終了してしまったものの、その後も時々引っ張り出して使っていましたが、昨今はMDR-Z900の実質的な後継機MDR-Z1000やアウトドア用のAudio-Technica ATH-ES10なども追加で購入したことや、もともとヘッドフォンリスニング自体がそれほど好きではないこともあって、使用頻度はめっきり減っていました。

少し脱線しますが、「ヘッドフォンリスニングが好きではない」について補足をすると、本来ついていないはずの「機器」を耳に装着していること自体に強い違和感があることや、ケーブルによって行動が制限されてしまうことに窮屈さを感じ、どうも生理的に合わないのです。音楽を楽しんでいるというより、無理やり聞かされているとすら感じられてしまうくらい。よって、普段は通勤時の電車車中でもない限りヘッドフォンで音楽を聴くことはないのですが、一方でスピーカーだけで音を聞いているだけだと、セッティングも含め「はて、これが本当に正しい音なのだろうか」と時々不安になったりすることも少なからずあります。特に、メインスピーカーであるInfinityはよくも悪くも特徴的な音調のスピーカーのため、これで完全に耳が慣れてしまうと他の機器での音質が適切に評価できなくなるのではないのか…などという恐れもあり、たまにはヘッドフォン、それも出来る限りモニター調のもので耳を慣らしておこう、ということで時々ヘッドフォンでのリスニングもするようにしています。つまるところ、ヘッドフォンもわしにとっては重要なリファレンスだったりします。

さて、MDR-Z900を修理し早速鳴らしてみたのですが、「こんなものだったっけ?」と、どうもパッとしません。先ほど、MDR-Z1000やATH-ES10があると書きましたが、MDR-Z1000はモニター調という意味では素晴らしい性能を持っていた一方で、購入直後は音が生真面目で面白みに欠けリスニングには向いていない感があり、ATH-ES10については、そもそも帯域バランスがわしの趣味に合わなかったこともあって、MDR-Z900こそがわしにはベストリファレンスヘッドフォンだとずっと思っていたのですが、いつの間にかエージングが進んだMDR-Z1000に追い抜かれていたようです。今、改めてMDR-Z900と同Z1000を比較試聴すると、解像度や音の立ち上がりの速さはもちろんのこと、帯域の広さ、音の厚み、そして空間表現といったすべての点においてMDR-Z1000の圧勝です。念のため、Z900も修理後それなりに時間をかけてエージングをしたのちに比較試聴したのですが、その差は殆ど埋まることはありませんでした。価格が倍以上違うとはいえ、ここまで違ってしまうものだとは…と、正直衝撃を受けました。特にMDR-Z1000はエージングが進んだことにより、リスニングでも十分音楽の心地よさを伝えるようになり、また、メインスピーカーでも気づかなかったようなフレーズを生き生きと描写するなど、先述のヘッドフォンリスニングが好きではないというわしの考えを少し改めさせられるような結果になりました。オーディオの楽しみ方もいろいろあると思うのですが、特に「取っ替え引っ換えしながら、色んな傾向の音を楽しみたい」というのであれば、ヘッドフォンの方が手軽でいいですね。スピーカーだとそれだけのスペースが必要だったり、セッティングのやり直しになったりとかで、取っ替え引っ換えはあまり現実的ではありませんので。

あと、この比較試聴で改めて知らしめられたことと言えば、ヘッドフォンアンプによる差もかなりあるなあ、と言うことでした。最初は比較試聴をKENWOOD R-K1で行っていたのですが、特にMDR-Z900とは相性が悪かったようで、後にAccuphase C-2410のヘッドフォン出力で改めて行ったところ、見違えるほど音に躍動感が出てきて、また、繊細さも感じられるようになりました。こうしてみると、ヘッドフォンリスニングもやはりピュアオーディオのそれなんだなあ、と感じた次第です。

うーん、こうなるとSONYの現時点でのハイエンドヘッドフォンである、MDR-Z7とPHA-3のバランス接続の音も聞いてみたいなあ。その結果次第によっては趣旨変えをする可能性がないとは言えないかも知れません。

iMac Retina 5kを購入した

…といっても、すでに購入から2週間くらい経ってますが(汗)。

もともとiMac Retina 5kは発売以来気になっていた機材ではありましたが、一方でそこまで積極的に買おうとまで思っていなかったのでした。しかし、3月末にそれまで使用していたiMac(Early 2008)の調子がイマイチになった上に、外付けのHDDが故障したことから、「もうすぐ満7年にもなるし、そろそろ買い換えもやむなしかなあ」と思うようになり、どうせ買い換えるなら…ということで、ケーズデンキに行って吊るしをサクッと調達してきました。(ちなみに、値引きに至っては店員さんにご協力いただいた上で、おまけをつけてもらうことで通販のどこよりも安価に入手できました)

さて、使ってみての感想ですが、「Fusion Diskが想像より快適」、「Retinaはヤヴァイ」でした。あ、あと処理速度は当たり前に速いですが、まあこればかりはどの機種に買い換えようと同様の結果が得られたと思われるので省略。

「Fusion Disk」ですが、SSHDのようなものを想像していたら、実際はSSD+HDDだったのですね…。というわけで、通常使いであればSSDと同等までとは行かないまでも、HDDとは比較できないほど高速なため、ディスクアクセスによるストレスはほとんど感じません。わしの使い道であればSSDである必要は全く感じないほどです。

次に「Retinaディスプレイ」。これ、一回使うと他のディスプレイとの差がものすごく感じられますね。NTSCインタレースからHDTVに乗り換えてプログレッシブスキャンになった時と同じくらいの変化があります。この解像度であれば、Yosemite以降で変更された画面フォントでも違和感を感じない、というか、もともとYosemiteでのフォントはRetinaディスプレイを前提にしたものだったのかもなあ、と思うようになりました。あと、コントラストも良いのでしょうか、動画がちゃんと「立体感」を伴って映ります。正直、液晶ディスプレイでここまで奥行きを感じられるものだとは思っていませんでした。これだけでも十分価値を感じます。

それ以外の部分はMacなのでそれまでのiMacと別段何も変わらないのですけれどね。キーボードが無線になったのは一見使いやすそうであまり効果がない、というかUSBの抜き差しをいちいち本体背面に回ってやらなければならなくなったので、そこはむしろ退化した気がしないでもないです。あとは、スーパードライブが外付けになったのもちょっとな、という感じ。もっとも、内蔵だと壊れてしまった場合面倒ですが、外付けならば新しいのを用意すればいいので、そこはむしろ良い部分かもしれませんが。

以上、大した感想になっていませんが、備忘録として。

30年前の今日、その2

せっかく30年前をフラッシュバックしたので、その新しい家に着いたあとの話も「老いて忘れてしまう前に(笑)」少し綴ってみます。

* * * * *

新しい家に着くと、恐らく引っ越しをお手伝いいただいた方々が昼食を取られた直後だったのでしょうか、沢山の大人の方が少しずつ帰られて行く姿が見られました。家の中には沢山の家具と段ボールが山と積まれていて、テレビも見られないなあ、何をして過ごせばいいんだ…とまたも途方に暮れましたが、そんな中で、これまで奥にしまわれていて見ることが出来なかった1980年8月号のコロコロコミックがあったので、それを読んで夕方までを過ごしていました。

夕方にはその頃通っていた剣道の稽古があるので、引越前の家に置いてきてしまった自転車の搬送を兼ねて、その自転車置き場の前まで親の運転する車で向かいました。つい今朝まで住んでいたはずなのに、その前の家とは急に距離が離れた気がして、不思議な気持ちになったのを覚えています。

剣道の稽古は、その日卒業式を迎えた上級生の壮行稽古ということもあって、稽古後に写真撮影をしたりしました。この上級生の中には、先述の気になる女性が含まれていた訳ですが、このときの方が卒業式のときより「ああ、もうこうやって稽古することも無いんだな」と寂しい気持ちになっていました。そしてその帰り途、その女性とその兄弟との家の方向が同じになったことで、自転車で一緒に帰ることになったのですが、今で言うところの「つくば公園通り」の竹園公園のあたりで、その弟さんが猛スピードを出して先に行ってしまい、急に照れくさくなってしまった私もそれを追いかける態でその女性とはそこで分かれてしまいました。この「恋」というのには小さすぎる想いも、そのときが一区切りになったのです。自転車のスピードを上げ過ぎたため、春というには冷たい風のせいなのか涙目になりながら、でしたが。

さて、新居に自転車で戻ると窓の明かりが見えない…。また置いてきぼりを食らったかと一瞬焦りましたが、リビングには断熱戸があり、それが閉じていたためと知り安堵しました。そして、その日は家族と共に筑波大学付近の中華料理店「珍来」で夕食をとり、比較的荷物の少ない主寝室で4人川の字になって寝ました。

次の日は私自身の終業式であり、そして転校の日でもありました。そして、そのときの担任の先生も結婚するとのことで職場を退くと言う話もその日に聴き、昨夜のこともあって精神的に相当来ていたのか、下校直前には友達に別れの言葉を笑顔で言うつもりが、何故か涙がこぼれ落ちていました。まだ当時は「寂寥感」という言葉を知るはずもない私でしたが、これをきっかけに色々と将来について悲観的な考えを多少なりとも持つようになった気もします。

その日の午後にはケーブルテレビの線が繋がってテレビが見られるようになりましたが、電話線だけは「最寄りの電柱まで回線が来ていない」という事実が現場工事の方により発覚し、使えるようになるまで1週間ほど掛かりました、

転校先の小学校も剣道で縁のあった人が何人か居たりして環境としては良好でしたが、始まったばかりの科学万博などもあり、あまりにも新しい環境や状況が波のように押し寄せてきて、恐らく相当精神的に不安定だったのかと思います。毎日、学校帰りには上履きも含む全ての荷物を持ち帰り次の日にはその全てを持参する、という日が冬頃まで続きました。ランドセルを背負うのにも何故か抵抗感があって、いつもショルダーバッグで通学していました。また、剣道教室でもリーダに任命されたりもして、こちらもそれなりに気負いましたが、ただ剣道教室については転居後も以前同様のところに通っていたこともあって、むしろそこが自分の居場所として確固たるものがある分居心地がよく感じられたのでしょう、それまで「大嫌い」だった剣道教室が何故か比較的楽しい場所に変わっていきました…。

* * * * *

その剣道も、一昨年せっかく再開したにも掛からず先日辞めてしまいました。理由は色々ありますが、元々再開したきっかけが職場がリストラ等で混乱し日々疲労困憊で自分の居場所をそこに求めていた…というところで、その後、段々仕事も波に乗ってきてその必要が無くなったというか、いやむしろ、足枷とすらなりつつあったというのが正直なところです。かつて恩師たちの顔に泥を塗る形になったのは本当に心苦しく、申し訳ない気持ちでいっぱいですが、まあ、これも一つの結果と割り切って前に進むことにします。自省を兼ねてここに記しておきます。

30年前の今日

30年前、即ち1985年3月22日(金)の今日は自分に取って極めて印象深い日でした。

その頃、小学校5年生だったわしは、上級生の卒業式のためいつもと同じ時間に家を出ました。その家の中は、近いうちに新しい家に引っ越すこともあって、家具などが整理されていて若干殺伐としていましたが、それでも生活に支障が出るというほどでもなく、割とこれまで通りという状態でした。

卒業式では、当時気になっていた女性(上級生でした)が卒業と言うことで、ある意味寂しさも感じましたが、一方でそこまで深刻に捉えていた訳でもなく、むしろ卒業式自体は早く終わって欲しいくらいに思っていました。

さて、その卒業式も午前中にはつつがなく終わり、帰宅の途につきましたが、家の中に入って驚きました。朝には「これまで通り」だったはずの家の中がもぬけの殻。荷物も家族も何もかもが無くなっていたのです!「今日引っ越しだったのか…。」そんな話を全く聞かされていなかった私は途方に暮れ、仕方なく外で家族の誰かが迎えにくるのを待つことにしました。10分くらい経ったでしょうか、一台の車が目の前で止まり、知らない大人の男性がその車の中から「家まで送ってあげるよ」と声をかけてきました。「知らない大人の車には乗ってはいけない」と常に教え込まれていた私は少し戸惑いましたが、幾らなんでもこんなジャストタイミングで誘拐魔は現れないだろう…、と何の根拠もなかったものの、車に乗せてもらい、新しい家まで送ってもらいました。(その男性は父の職場の方で、引っ越しをお手伝いいただくために来ていたようでした)

その新しい家が、今私たち家族が住んでいる「自宅」になります。

30年という一区切りを迎えるにあたり、昨年末から自宅のリフレッシュを行い、まさに昨日夕方大半の工事を終えました。設備を新しいものにしたり、劣化したり壊れたところを直したりした程度で、間取り変更等を伴わない比較的軽微な内容ではありましたが、それでも家の中や外に足場を組んだり、台所が2週間近く使えないなど色々不便な思いをしながらも無事に終わり安堵しているところです。

建家自体が変わった訳ではないので、30年前のような新鮮さはありませんが、それでも新しい環境での生活のスタートには変わりありません。4年前の震災もなんとか耐えきったこの家、ここからまた数十年、私たちの生活をこれまで同様に支えていって欲しいと心から願っています。

紅白を見てます

前回の投稿から半年もの間、ここを放置していたらあっという間に大晦日に。というわけで、ちょっとだけ今年を振り返ります。

仕事…新体制に移行して1年あまり、やっと流れが掴めてきた感があります。今年6月に経営陣の刷新があったりして雰囲気が大きく変わり、これまでの1.5倍くらい忙しくなりましたが、これでもまだ準備期間。ということで、年明け以降はもっと忙しくなる予定。ゴールデンウイークや(来年の)年末年始に大規模なマイグレーションが2件ありますが、うまくいくよう一生懸命頑張ります。

プライベート…振り返ってみると、趣味のものはVAIO Duo 13くらいしか買わなかった節約の年になりました。下半期に今住んでいる家のリフォームの打ち合わせのためにほぼ毎週土曜日予定が入ったりして、あまり余裕がなかったことも趣味にリソースを割けなかった理由の一つです。なお、リフォームは来年3月までかかる予定。基本的に「古くなって痛んだり壊れたところを直す」だけなので、それほど何かが変わるわけではないですが、そうは言っても完成が楽しみです。ただ、自分でも色々やらなければいけないことがたくさんあるので、そちらを考えると面倒な気持ちにもなりますが…。

剣道…仕事が忙しくなったり、週末も予定があったりで時間がなかったこともありますが、結局土用稽古に行って以来、一度も稽古に行っていません。正直言えば、今はそちらに気持ちが向いていません。再開はもう少し気持ちに余裕ができてからかなあ。

今年はわしの「本厄」の年でした。実際、年始にわしが怪我をしたり子供が病気になったりして、色々不安になることが少なくない年でもありましたが、終わってみればわしの肩もほぼ怪我する前とほとんど差がないほど回復したり、子供の方はむしろ病気前より丈夫になったりして、杞憂に終わったのがなによりでした。

今年は何かをする前の準備、という色合いが強い年でしたが、来年はそれをバネに飛躍の年にしたいと考えています。
それではみなさま、よいお年を。

仮面コミュニティとの間合い

かつては絶賛していたfbことfacebook。去年中学時代の同窓会があった直後には一時的に復活をしたものの、それ以降殆ど目立った活動はしていません。本当に「良かったね」と祝福できるもののみ「いいね!」してますが、それ以外は流し読みしてふーん、って感じです。Google Chromeに「いいね!」ボタンを「どうでもいいね!」ボタンに置換する拡張機能がありますが、本当にそれでないと押せない感じであります。投稿はもっと辛い。コミュニケーション能力がもともと高い方の投稿は、割とその方の本音で書かれていたとしてもそれほど不快感を催さずに済みますが、わしの場合は先のエントリーでも書いた通り全くそれに自信がありません。かといって、本音を隠して無難な投稿ばかりするのも疲れるだけですので、どうしても億劫になりがちなのです。

そして、実際昨年度はその「無難な投稿」を書ける心情にありませんでした。というのも、仕事が本当にうまく行っていなくて、本気で辞めてしまいたいと考えていたからです。fbの「友達」には職場の方も少なからず居り、またその中には「辞めてしまいたい」の元凶となった職場のリストラで辞めさせられた方もおりますので、そんなことを本音で書いたら大変なことになることは明らか。そんなことに板挟みになってしまい、何も言えなくなった…と言ったところでしょうか。

仕事がうまく行っていなかった件ですが、決してヘマをやりまくったとかそういうのではありません。しかし、直接やり取りをしていた上司や部門長が居なくなり、組織も大幅に入れ替えられてこれまで「あまり快く思っていなかった」方の配下になり…と、大変やり辛い環境になってしまい、「自分の居場所はここにはないのでは?」という疑念が頭から離れなくなってとても仕事に真正面から向き合える状態ではなくなってしまったのです。そのため、自分の居場所を求めて地元で剣道を始めてみたりとか、Twitterで駄文を書きまくったりなどと、色々逃避行動に走るようになりました。そういえばこのブログもその頃から始めてますよね。
しかし、結果的に何とか耐え切り、その「あまり快く思っていなかった」方とのやり取りもペースが掴めてきて、だんだん自分の意見が通せるようになってきましたので、前より「居場所が…」という感はかなり薄れてきました。それゆえ、先のエントリーのように別の弊害も出始めていたりしますけども…。(特に剣道は今後も続けるべきかどうか、ちょっと悩み始めています。というのも、自分が仕事でパフォーマンスを維持するためには週末に外出して気分転換をするのが最適であると考えているのですが、土曜夕方の稽古はそれの阻害要因になってしまっているからです。ちょっとこの辺はもう少し検討してみたいと思います)

話をfbに戻しますと、こんなこともあってこの一年fbでは殆ど活動をしてきませんでしたが、先のエントリーにもあるように「コミュニケーション能力」を向上するためにも、そろそろ復帰しても良いかな、と思いました。しかし、また仮面をつけたまま無難なことだけを投稿していても続かないと思いますので、どういう方針で臨むかは、もう少し考えてからにしようかなと思います。

要・短所克服

最近、切に感じるようになったものの一つとして「長所伸長も大切だが、これからは短所克服も」ということがあります。

これまでわしは、どちらかというと長所伸長にプライオリティを置いていました。そうでないととても生きていけないことを横須賀時代に思い知ったことと、長所伸長をやっているだけでお褒め頂けて、それが快感だったというのがあります。好きなことや得意なことをあるラインまで高めることで、今日まで何とかなってきたと自分では思っていますし、また、それをもって一部上場企業グループ全体のシステムの統制や、その将来像をプランし提案できるところまで上り詰めた、という自負もあります。
しかしその一方で、短所の部分については殆ど全くといってよいほど手を付けられておらず、最近それがもたらす結果がネガティブであることが少なくないなー、と感ずることが少なからずあります。わしがシステム職人としてのみ一生生きていくつもりならそれでも良いのかもしれません。が、現実はそれだけではやっていけないわけでして。

今個人的に感じている自分の短所は「コミュニケーション能力が足らない」ことと「論理性の追求が甘い」ですね。前者のやるべきことを細分化すれば「いかなる相手であっても、もっと相手方を尊重し思いやりをもって行動する」ことと「英会話能力の向上」ということが最低限挙げられます。後者は難しいですが、もっと知識を「論理立てて」吸収するために、きちんと情報の内容を細かく理解することでしょうか。これらが短所であることの源流として「嫌いなことへの忍耐力が足らない」という根本的な部分もあったりしますが…。

コミュニケーション能力って難しいです。わし、仕事では前述の通りの立場であって、ある意味「KY」な部分も必要な立ち位置にあります。現実的に統率する者がすべての方の意見を平等に聞き、その反映を目指したら身動きが取れないわけでして、あとは自分の裁量で「こうあるべきだ」というのを示さねばなりません。勿論、それが明らかに正しくない方向性であれば論外ですが、仮に論理的に正しいことであっても、必ずしも現場の意識とフィットするとは限りません。その時相手方は「言っていることは正しい。正しいが…」と言う感想になるわけです。ですので、ある程度は事前にフィット&ギャップをやって妥協する必要があるものの譲ってはいけない一線もありますので、そこはもう自分を信じて「強制」「横暴」と言われようが指示・指摘をする必要があります。言い訳になりますが、ある程度の立ち位置にまで上るには、相手を思いやるだけでは難しいのです。時には相手を説き伏せなければいけないこともしばしば。それをこれまでは自分の技量(知識と経験の差と考察力)でやってきました。
しかし、この「KY」な部分は、あくまでも自分の仕事での立場でのみ発揮すべきであって、それ以外の場所でこれを持ち出すと大変なことになってしまいます。もともと、幼児のころから両親から「生意気だ」と叱られていたわしなだけあって、そのあたりのタガが外れやすい性格ではありましたが、最近はそれが前述のような立ち位置になったことが「慢心」となって、以前より酷くなった感があります。

でも、本当にこういうのってどうやったら治るんですかね…。カウンセリングでも受けないと厳しいかもなあ、元が元なだけに。

Yosemite、早く見せて

どうもお久です。

前回、中二病的なエントリーを書いて以降、VAIO Duo 13ばかり使っていたせいかインターネット上のアクティビティが閲覧中心になってしまい、文字入力をする気が起きなくなってしまいました。そんなこともあってこのブログも放置プレイだった訳ですが、さすがにTwitterばかりしていると元々無い文章力がますます低下しかねないので、ちょっとだけ頑張って書いてみることにします。

今週はWWDC 2014がありましたね。例年、何らかのハードの発表とかもあって、今年は何が発表されるのかな?と期待していた訳ですが、今回ハードの発表は無く肩すかし…と最初は思ってました。しかし、OS X Yosemiteの詳細を見て思わずうなってしまいました。

昨今、こと国内ではWindows 8.xタブレットも僅かながらに浸透し始めて(ちなみに、自治体で「タブレット導入!」みたいなニュースを見ると、なぜかWindowsタブが多い気がするのですが、あれは情報管理部門が「Appleのはどう管理すれば良いか分からない」とか「従来のソフト資産が有効活用できない」と評価しているんでしょうかね?ぜひ、選定の理由を知りたいところです)、開発環境も含めタブレットとPCの融合が進むという方向性も僅かながらに出てきた中で、Appleはどういう方向に進むのかな?と考えていたのですが、その答えとして「HandOff」を出してきました。

元々Appleはハードウエアを中心に売っている会社ですから、タブレットとPCの融合が進んでしまうと、売上高が下がってしまうという事情もあったのかとは思いますが、この連携、わし的には「凄く未来的だ!」と感動しました。特にiPhoneとの連携で良いな、と感じたのは電話の発着信の統合化ですかね。これが出来ると、作業の手元化がますます進んで作業効率が上がるなあ、と。その昔、OP-VH7PCなどというUSBで接続できるマイクロコンポがあって、これのPC用ソフトとしてリモコンアプリがあったのですが、当初「こんなもん、赤外線リモコンを手許に置いておけば要らないのでは」と思っていたところ、実際に使ってみて視点の移動と手の移動が最小限で済むことに感動した記憶があります。実際にパソコンでの作業中に赤外線リモコンを操作するとなると「リモコンを探す」→「リモコンを取る」→「操作に必要なボタンを探す」→「リモコンをコンポに向ける」→「ボタンを押す」→「(必要に応じて)コンポのLCDを見て操作が正しく受け付けられたか確認する」というステップになっていた物が、「操作に必要なボタンを探す」→「ボタンをクリックする」→「(必要に応じて)PC画面上のステータスを確認する」という最低限のステップで済む訳ですから、慣れてしまうと赤外線リモコンを使うのがかったるくなるほどでした。しかし、この機能は便利ではあったものの、肝心なUSBオーディオ機能の音質がいまいちだったので、あまり使わずじまいでしたが…。まあ、いずれにしても、操作中の機器と連携することで、機器間の機能がシームレスに使用出来るというのは、大変合理的でよろしいかと感じました。

また、わしの自宅にはPC、Mac、iPhone、iPadなどがそれぞれの部屋に置いてあって、どこでも似たような作業が出来るようにしてあるのですが、子供の面倒などと言った家族の用件などがあって、作業中であっても部屋を移動しなければならないことが少なからずあります。そうすると作業を中断したりしなければならなくなる訳ですが、それが割とかったるい。実際のYosemiteとiOS 8で何がどの程度連携出来るのかは実際に使ってみないと分かりませんが、それへの具体的なソリューションが出てきたというのはとても先進的で良いことではないかとわしは思います。

とにかくリリースされたら早く試してみたい。近年のOS XやiOSのバージョンアップについてわし的にはマンネリ化していた感があり、Windows 8.xに傾倒していましたが、今回は久々に身を乗り出すほど関心を持ちました。これを機にまたAppleへ傾倒するようになったりして…、金が幾らあっても足りないなあ。

交差する夢と平行線を辿る現実

夢を見た。それはかつて憧れだった女性との再会だった。偶然、彼女の勤務先に訪れることになった私は、さらに偶然彼女と再会することが出来、これまであった色々なことをお互いに楽しげに、そして自然体で話した。懐かしい彼女の姿は成熟こそしていたものの、纏う空気はあの日とちっとも変わっていなかった…。

現に返ったとき、それはもう二度と叶わないことであることを改めて知る。共に今を生きてはいるが、もはやその線が交わることはないほど離れている。試しにfbで彼女の姿を追ってみた。確かに纏う雰囲気にあの頃の面影を残していたが、それはもはや自分の活きる世界とは何の関係もないものだった。かつては交わった線、それを今更撚り合わせることは、むしろ失うもののほうが多いように思う。

まだ私が少年だった頃、すでに離れ始めた線を無理矢理撚り合わせようとして、彼女に再会した。未熟な私は彼女をただ見ていることしかできなかった。そしてそれが終わりの始まりだった。止めどない流れの中でその行為は極めて不自然だった。撚り合わせようとした線はむしろ致命的なほどに離れた。

平行する2つの線。それが撚り合うことが次にあったとしても、それは必然の中でこそ起こり得るべきだと今は納得している。それが二度とないことであったとしても、それはそれで一つの運命。しかし、私は日常的にそれを意識することはないにしても、たぶん彼女を忘れることは一生ないと思う。それはとても哀しいことだ。