ご心配をおかけしました
本日記のコメントや色々な方からご連絡を頂きましたが、避難生活も断水が解消したことから16日で取り敢えず終え、今は自宅で過ごしています。市内の大型店舗は未だ立ち直れておらず、物資も物流が復活したため比較的良好とは言えど今度は原発事故で偏りが発生していますが、まあ、生活に困るほどではないかな、と言ったところです。
皆さん、色々有り難うございました。これからも困難が続くでしょうが、頑張っていきましょう。
本日記のコメントや色々な方からご連絡を頂きましたが、避難生活も断水が解消したことから16日で取り敢えず終え、今は自宅で過ごしています。市内の大型店舗は未だ立ち直れておらず、物資も物流が復活したため比較的良好とは言えど今度は原発事故で偏りが発生していますが、まあ、生活に困るほどではないかな、と言ったところです。
皆さん、色々有り難うございました。これからも困難が続くでしょうが、頑張っていきましょう。
取り急ぎ、「家族はわしを含め全員無事であったこと」、「家財についても今日時点では大きな損害はなかった」ことを報告させて頂きます。
実際のところ、スピーカが倒れたり食器が割れたり…etc、色々ありましたが、わし自身は免震構造のビルに居たために無事、家族もたまたま全員外出していたため難を逃れました(自宅に居たら心身共にヤバかった可能性があるだけに幸いでした)。また、私は一つ間違えれば帰宅難民の可能性もありましたが、職場の方に車で送って頂いたため、日が変わる前に自宅に到着出来ました。
…しかし、自宅近辺が今日に至っても断水していてその復旧の見込みも無く、生活に支障があることから、昨晩から家族全員で私の実家に厄介になってたりします。気象庁によれば、この3日間にM7以上の余震が70%の可能性で発生しうるとのことですが、出来ればこの予想は外れて欲しいと願うばかりです。
かつて高校時代に放送部でお世話になったShinya氏と私と同期のRさんが当方の家に遊びに来てくれました。この三名が集まるのは実に15年以上ぶりになるわけですが、その間、お二方は学問の世界に身を置かれ続けられています。そして、その状況を聴いていて思ったのは「当方が好き勝手な日々を過ごしている間、お二方とも勉学に勤しまれ、気付くと学の世界では歴然たる差が付いていたんだなあ」ということでした。
…と、なんだか学歴コンプみたいなことを書いていますが、実はそれだけではなく…。
昨晩、私の両親が諸用にて我が家に一泊した際、久々に両親といろいろと話す機会があり、Shinya氏を含めた色々な方の現状を聴いたのですが、その中で、母に「お前も自分のためになると思うのなら、大学院で学んだ方が良い」と言われました。それ自体はいつも「生きることは常に学び続けることだ」旨を私に言い続けている母のことです、特に珍しいわけではないのですが、それに対して私が「しかし、それが今の仕事や生活の何に役立つのか分からない」と答えると、父から「院を出ることは間違いなく何らかの価値がある。仮に修士であっても、論理的思考は今のお前よりしっかりした物を持つことが出来る。」と言われてドキッとしました。私は今の職場において「どちらかと言えば論理的」という評価を受けている部分があると(勝手に)思っているのですが、一方で、面倒になると「まあ、そこまで考えなくてよいか」と論理的思考を一部放棄・逸脱して結論に導いてしまう強引な部分が少なからずあることを自覚しています。それだけに、私にとって父のこの発言はとても重いものになりました。
学歴という名の「ステータス」的なものを除いて、今の私にとって院に行き、何らかの学位を得ることによるメリットがあるとすれば、「今の職場という極めて限られた狭い範囲を超えて、より社会に貢献しうる人材となるために、更なる広い視野と探究心、そして論理的裏付けの能力を得る」ことになるのかな、と更なる学位を得ることについて分からないながらもそう理解しているのですが、この能力を得、それを活かすには恐らく今まで歩んで来て、そしてこれから歩もうとしている道から大きく飛躍をして、新しい道を見つけなければならないなあ、と思っています。そして、言い訳じみていますが、それには今背負っている物があまりにも重過ぎて…。
私は学生時代、学校での勉強がとても嫌いでした。それは辛くて苦しいことから逃げたい、という意図があったのはもちろんですが、それ以外に「それが何の役に立つのか理解出来ない」こともその理由の一つでした。その頃、母には常に「将来、後悔する」と言われ続け、そして実際に後悔することになったのですが、今回の件も「今の自分の何の役に立つのか理解出来ない→だから院への検討は極めて消極的」と言う部分についてはその頃ととても良く似ています。これらのことに今敢えて目をつぶって今後歩むと想定される道をただ歩み、結果後悔することになるのか、それとも、今はその意味が分からなくとも飛躍を夢見て勝負に走ってみるべきか、結果としてどちらが良いのかは、今、真剣に検討すべきことなのかもしれないなと考えさせられました。
私はここ数年仕事がとても忙しかったこともあって、かつての友人とほぼ音信不通と言っていいほど連絡を取っていなかったのですが、ちょっとした用件もあって、LEE氏に久々に電話連絡をして、少しだけ話をしました。
彼とは学生時代のサークルと、前職で共に歩んだ仲で、家内との出会いも彼無しにはあり得ないわけですが、お互い宇都宮を離れてからというもの、年賀状以外の連絡は取れずにいました。で、久々の電話でお互いの境遇を話したのでしたが、そこで出た話の一つに「前職はなんてヌルいところだったか」というのがありました。
でも、私はその「ヌルさ」がきっかけとなって、逆に今の自分があることもまた事実であると認識しています。
これまでの日記でも何度も書いている通り、横須賀時代はどうしようもなく忙しい中でただただ振り回されるばかりの日々でした。「こんな苦しい思いをするくらいなら、多少安給料でも時間が取れるところに行きたい」と思い立ち、前の職場に転職をしたわけですが、そこは横須賀のそれがまるで夢か幻かのごとく、とても静かな日々が過ぎて行きました。当初「うん、ここはとても良かった」と思い、実際、横須賀時代に携わった某システムが大障害を起こしてニュース沙汰になったときは、勝利宣言とばかり「ざまーみろ」と大声を挙げて笑ったものでした。
しかし、暫くするとその静かな日々がむしろプレッシャーとなっていきました。「かつての自分は、あの凄まじい環境の中で、振り回されつつもなんとかやってきて、結果としてスキルも得たのだけれど、この静かな環境ではそれが無い分、世の中に取り残されてしまうのでは…」そして、そこから「将来の自分はどうあるべきか」、「何を糧に今後生きて行くか」を真剣に考えるようになりました。それまでは情報システム以外にも音響技術者としての夢も捨てきれずにいたのですが、「もはや自分には情報システムを極める以外生きる道はない」と決断し、そこから静かな職場で他の作業の合間に一人インターネットなどで情報を収集しながら、地方に居ることが不利にならないようにと、自分だけで出来ることをとにかくどんどん実践して行きました。幸い、その職場はそれらを実践するにはちょうど良い規模だったこともあります。
なお、余談ですが、会社でのメールの署名は通常、
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株式会社○× △△△部 □□課
鳴沢 大気
〒123-4567 栃木県宇都宮市XXX-XX
TEL : XXX-XXX-XXXX FAX : XXX-XXX-XXXX
E-mail : narusawa@marupeke.co.jp
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
のように、社名が先に来て、その後名前がくるように書くことが多いと思います。しかし、私は先ほどの決断をして以来「株式会社○×の鳴沢さん」ではなくて、「鳴沢って言う(とてもクレージな)ヤツが株式会社○×に居るんだ」って言われるようになりたい、という思いから、
—
鳴沢 大気(Hiroki NARUSAWA) E-mail : narusawa@marupeke.co.jp
株式会社○× △△△部 □□課
TEL : XXX-XXX-XXXX FAX : XXX-XXX-XXXX
という書き方に改めました(ちなみに今の会社でもそれを続けてます)。
その後月日が流れ、職場に出入りしていたシステムベンダが私が作ったシステムを外販したい、と持ちかけてきました。そしてその際、そのベンダの社長が私について、自社の取締役に向かって「引き抜き対策とかはされていますか」とお話しされているのを聴き、それが自信に繋がり転職活動を開始して転職成功…、で今に至ります。
とまあ、なんだかエラく上から目線な感じの内容で、まるでそこからサクセスストーリを歩んで今は悠々自適の生活…みたいな話になってしまいましたが、実際にはそこからも色々あって、決して道はまっすぐではなかったことは、過去の日記にも書いた通りだったりします。ただ、横須賀時代での苦しい日々を経験し、その後自らの意思でスキルを得た身としては「もう一度、横須賀時代のような無理が出来るかどうか試してみたい」との思いも少なからずあったためか、昨年までの激務は確かに辛かったとはいえ、横須賀の頃のそれよりは遥かに楽しんでいたようにも思います。
長々と書きましたが、そのようなきっかけを作ってくれた前職の会社が「システム要員を募集している」と教えてくれたのも実はLEE氏だったりします。こうして振り返ってみると、職場での人間関係も大切ですが、それ以外もとても大切で、それがきっかけで人生そのものが岐路を迎えることすらある、ということを改めて知らしめられた次第です。
この1週間雪が降る日が少なくなく、しかも降ってもそれほど積もるわけでもなくて、今日の雪も予報で見る限りでは「雨か、雪であっても積もるわけではないだろう」と高をくくってましたが、夕食を摂ってから何気に外を見ると「なんじゃこりゃ」と思わず声を上げるほどに銀世界。
わし、明日出社出来るんでしょうか…。実際、既にJRの一部路線(宇都宮線と高崎線。毎度、大雪になると止まるイメージの強い路線ですな。)ではおそらく雪の影響と思われるポイント故障が発生して運転を見合わせているみたいですし。
まず、旅人さんへ。
んー、消耗品の話は流通も絡んでくるので、メーカだけを責めるのはちょっと難しいかも。プリンタ機種あるいはその消耗品が欠陥で、リコールが必要だとすれば別ですが、そうで無ければ一度出荷した消耗品を修理対応不可となったことを理由に店頭より回収、というのはあまり聴いたこと無いです。消耗品と言えど商品であることには変わらず、それを店頭から回収とすればメーカは返金の負担が大き過ぎて厳しいでしょうし、かと言って中間流通や小売店に評価減という形で処分させるのも(よほど売れないものでなければ)現実的ではないと考えますが如何ですか。
続いて、daiさんへ。
私も昔はカロッツェリアでした。ナビの性能もそうですが、やはり音響機器メーカだけあって、オーディオのヘッドユニットとしても音質がとても良かったですね。でも、今はメーカナビ派になってしまっています。理由は、ナビ以外の付加価値(例えば車両情報やアラウンドビューモニターなど)に魅力を感じていることや、地図データの更新が長きに渡ってサポートされる(最近の機種であれば、サードパーティでも問題ないのかもしれませんが、以前は製造終了後2〜3年すると地図のディスクが発売されなくなりました。)、車の内装として見たときに、統一感があって良いからです。特に日産車の場合は、ナビを内装の一部としてデザインしているため、メーカナビありとなしではそもそも車内の雰囲気すら変わってしまうとすら思っています。また、地図データはメーカナビでもPCや携帯電話でアップデート出来るようになりました。先日、「新しい地図データがダウンロード出来ます」とナビに案内されたときは、少し驚きました。
一方、トヨタやホンダ、マツダであれば、サードパーティのナビでも良いかな、と思います。まあ、車種にもよりますけれど。
朝から打ち合わせ三昧。それなりに考えを巡らす必要のある物ばかりで、早速疲れ果ててしまいました。今週は金曜日が祝日なので通常の週より就業日が1日短いのですが、それでも週末まで持つかしら。
あ、そうそう、CARWINGSは今日使えるようになりました。
先の日曜日のことになりますが、任天堂のWiiを購入してしまいました。
…と言っても、今更ゲームがやりたくなった訳ではなく、『カラオケJOYSOUND Wii Super DX』で通信カラオケがやりたかっただけなんですけれど。今回、これを導入したことで、メインのオーディオシステムは「兼カラオケシステム」となりました。なんだか極めて過剰装備なカラオケな感は否めませんが(^^;。
通信カラオケとしては、色々細かいところに不満が無くはありませんが、全体としてはとても良く出来てますね。これで家族でシダックスに行くことはなくなりそうです。
こちらは修理というか、ナビユニットそのものの交換となって、とりあえずダメになった部分については問題なくなったのですが、ナビ本体交換したことにより、機体のIDが変わってしまったことで、Carwingsが使えなくなってしまいました(T_T)。とりあえず、登録情報変更の依頼をお願いしたのですが、未だ使えてません。結構便利に使っていただけに、使えなくなると非常につらい…。
それにしても、先日のコメントにあったそのサービスの対応はあまりに酷過ぎますね。「分かりません、直りません」というより、本当は「分かろうとしてません、直す気もありません」と言いたかったのではないか、と勘ぐってしまいます。
ちなみにわしが今回E52を買う際にお願いした営業さんはかつてサービスの担当をされていた方で、他店で中古購入したS13、V35ともにサービスとして色々良く対応してもらえたことがわしの中で好評価となり、実際、契約の際は競合他社等との相見積などは一切行わず、こちらの手許のシミュレーションとの突き合わせだけで判を押しました。先ほどのコメントの例ですと、こういった可能性は全くゼロになった訳ですから、極めて大きな機会損失と言えますね。
なお、わしの今回のサービス(メカニック)の件は、サービススタッフ個人の能力としては仕方ない部分もあるのかなあ、と言う気がしないでも無いです。本来であれば、限りなくクレームになりかねない修理になるので、そのマネージメントは店全体として対応しなければならない訳ですが、実際にはその担当本人に全部任せていたように見えます。一方、その方は今回の状況やわしのことについてはあまりご存じない訳で、対応も極めてマニュアル的になってしまったのかな、と。
嫌な予感はしていたのですが…、なんてこった。
それにしても、「部品を必要としない修理につきましても<中略>修理対応のご提供を終了」とはあまりにも切ないです。特に、今回のような「後継機が存在しないもの」については、「じゃあ、どうすれば良いのか」ということになってしまいますね。
メーカとして「本来の性能とならない限り、修理とは言えない」というスタンスは、昨今のクレーム客の存在等を考えれば理解出来なくもないのですが、一方で「本来の性能に戻らなくても良いので、せめて動くようにして欲しい」というニーズもあるはず。実際、他メーカの場合はそのことを顧客に了承してもらった上で修理にあたることもあります。今回のように「古いので修理は一切お断り」とされてしまうと、大抵の場合もはや粗大ゴミに出すくらいしか選択肢がなくなってしまいます。
さて、わしはどうしたかというと、どうせテープパスが狂っているだけなのは何となく分かっていたので、テープパスチェッカーもどきと10kHzのテストテープを自作して、パス調整とアジマス調整をそれぞれ行った(後者はWaveSpectraを使って実施)ところ、ばっちり直ってしまいました。メーカ的には「もはや不動のゴミ」とされたものが、現用機として復活を遂げた訳です。
しかし、あっけなくメーカから死亡宣告をされて思ったのは、部品の供給が出来ないこと自体はやむを得ませんが、調整くらいで直る物は制約条件付きでも良いので修理して欲しいなあ、と言うことでした。いくらこのメーカにとって不採算な部門とはいえ、こうやって「自社製品への愛情が無い」ということをあからさまに見せつけられると、流石にこのメーカの製品を次に買うときには躊躇しかねないです。(ぐだぐだ書きましたが、わし的には後継機となりうる機種があるのであれば、素直に買い替えで構わないのです。しかし、今回の場合はそれが全く不可能なものだけに、多少なりとも融通が利いて欲しいなあ、と思った訳でして。)