こんなこと書いていたんだなあ(笑)

完全に放置プレイになっていたこの場所、自宅で使用しているNASの入れ替えの際に思い出し、久々に開いてみて思ったことがこれ。

思い返せば、前回エントリーを書いてから2ヶ月ほどで新型コロナ感染症による「状況」の発生によって行動範囲が相当に制限されるようになったり、そんな最中に職場にて権限と責任を背負う立場になってしまったりで、ここに書くようなこともないままに一年近くが過ぎ去ってしまった感。決して何もしていなかったわけでもないし、特段何かに困っている、というわけでもなく、前述の制限以外は割と普通に(?)に過ごしております。

ただ、普通には過ごせているのですが、意外性は殆ど無くなってしまいましたね。実際、今年は仕事以外では栃木本面にしか行っていないし…。(仕事で都内や東海地区に赴く機会はあったけれど、本当に用件だけ済ませてトンボ帰りでした)

来年は少し状況が改善されていれば良いのですが。

令和元年を総括する

まず仕事について。一言で言えば、私にとっては僅かながらも変化の兆しが見えた年なのかな、と思っています。今の会社に転職して4年余りになりますが、昨年までは「楽をしていた」が故に特にこれといった実績を残せた実感がなく、正直言うと物足りなさと今後に対する不安が渦巻いていたのですが、今年は「あ、やっぱりこういう仕事が好きなんだろうな」と思えるものができたような気がします。また、これまでの組織内の情報システムの仕事とは少し離れた分野にも僅かながらも関わることができ、今後の活動範囲が広げられそうな可能性が出てきました。来年はそれをより具体的な活動につなげられたらいいな、と考えています。

五月にあった高校時代の部活動のOB会は、人によっては実に数十年ぶりの再会になるなど大変充実したものになりました。後日、当時の写真のネガを拾い集めてスキャンしてみたところ変色が著しく、年月の経過を改めて思い知ることになりましたが、それ以上に衝撃だったのは「もうその写真に写っていた出来事の大半を忘れていたこと」かも知れません。当時の出来事は一日単位で文として残し、それ故大半のことを鮮明に覚えているつもりでしたが、それらの写真はそれが認識の誤りであったことを今の私に知らしめました。昨日のように覚えていたつもりの出来事が、既に思い出という遠く、情景すら思い起こすことすら叶わなくなった「過去」になっていたのでした。それは、私に大変寂しいことでした。

前述の件のみならず思い出が「記憶からの欠落が多い」が故に現実以上に美化されていて、それが今日にあまり好ましくない影響を及ぼしているな、と考えさせられたのは、サンスイのプリメインアンプの音を改めて聴く機会を得られたことによります。サンスイのAU-α607DRを手に入れて、最初は「さすがサンスイトーンだ」と思っていたのですが、改めてR-K1に戻して比較してみたら、どう聞いても後者の方が音の立ち上がりが早く、解像感、レンジともに優れていることに気付いてしまったのでした。いくら往年のベストセラー機であっても、地道に進化を重ねた機器には叶わないのだなあ、と思い知らされたと同時に、昨今、中古オーディオへの評価が実情より高いことに更なる危機感を覚えました。

秋は災害だらけでしたね。台風15号や19号、そしてその後の集中豪雨など「果たしてどうなるのか」と不安な日々が多かったように思います。幸い、自宅付近は特に被害らしいものはなかったのですが、来年以降においても同様であるとすれば、到底安心できるものではありません。

なんとなく後半に行くに従って暗い内容になってしまいましたが、来年こそは良い年になるように祈念して、今年の総括にしたいと思います。それでは皆様、良いお年を。

今年1年間のお買い物を総括してみる

今年も色々買ったのでその時々に呟いた、関連するツイートを交えて振り返り。

まずは、AVアンプ「Pioneer SC-LX901」とUHDBDプレーヤ「SONY UBP-X800」。どっちの機器にも言えることとして、外装が安っぽくてそれ自体は未だ好きになれないのですが、性能は確かで、特にAVアンプの方は以前使っていたVSA-AX10Aiより映画を見る分にはいいのではないか?と思うほど、雰囲気の表現がいい。この辺りは良くも悪くもこなれてきてますね。あと、HDMI CECによる連携も本当に良く出来ていると思いました。特にDVDのDOLBY SURROUND PRO LOGIC(要は音声が2ch)のソフトもAVアンプの「Auto Surround」にしておけば、勝手に5.1chにしてくれるのには驚きました。これ、どうやって実現しているのだろうなあ…。
UHD BDは試しにソフトを買って見てみましたが、鮮明であることには違いないものの私の目ではフルハイのアプコンでも映画を見るだけなら十分のような気がしてます。という訳で、それまで考えていた自宅テレビ視聴環境の4K化計画はいったん保留。結局4Kチューナも買わないままこの年末を迎えています。

次は、Apple iPad Pro 11 inch+Smart Keyboard。これを所有するようになってからは、モバイルPCを外出先に持ち出す必要性は全く感じなくなりました。ただ、有効活用できているか?と問われると微妙です。後述しますが、最近はちょっとした外出であればiPhoneとKindleで殆ど用を足しているので、単なる暇つぶし用途としてはむしろ過剰すぎる感が…。という訳で、宿泊のある外出時くらいしか持ち歩いておらず、むしろ寝室でベッドに寝そべりながらWebサーフィンやYouTubeを見る時によく使っています。

その次に購入したものは、昨日のエントリーに書かせて頂いたトヨタ・クラウン。インプレっぽいものは内容が重複するので割愛しますが、今日Yahoo!の記事のコメント欄で「今までクラウンを乗り継いでいたが、今回は見送った」という主旨の投稿があったのを見て、「私は今までのクラウンだったらむしろ買わなかった人だけれど、往年のファンにとってはその逆の気持ちなのだろうなあ」などと感じたりしました。私的にはいい車だと思うのですが。

それから、子供達に与えていた古いiMacが突然故障したため、これまで私が使っていたiMac Retina 5Kを子供達に渡して、私自身は最新モデルのiMac(27インチ 3.0GHz MRQY2J/A)に買い替えました。本体内蔵のモニターの性能が良くなっていて、写真などむしろあまり見えて欲しくないものまで見えるようになってしまうようになりましたが、それ以外は特に変わった感じはしないですね。iPhoneもそうなのですが、最近Apple製品はパフォーマンスが悪くなったら買い換えれば十分なものばかりになってきた印象があります。

続いて、Kindle Paperwhite 第4世代。実は昨年第3世代を購入したばかりでしたが、私の不注意で液晶を割ってしまってオシャカに。壊した直後は「iPhoneやiPadでも読めるし、元々読書が好きじゃないのでいいか」くらいに考えていたのですが、ちょっとした待ち時間に1ページだけ読み進めるとかにKindleはとても適していることに気づき、そのような用途であればiPhoneなどに不便さを感じるようになってしまいましたので、結局1ヶ月後に改めて購入。今回はカバーや破損時保証までつけたので、万が一の破損時にも安心。いや、今度こそできるだけ破損しないように使いますけれども。

最後はSONY WF-1000XM3。それまで、鉄道での通勤時にはMDR-1000Xを使っていて、それはそれで音質的には悪くはなかったのですが、列車車中で時々つり革や手すりにぶつけるなど気になる点があり、また、待ち合わせなどで喫茶店で時間潰しの際にKindleを見ながら音楽を聴きたいと思っても、いかにもガチなオーバヘッド・密閉型で色々と憚られるものがあったりしましたので、割と評判の良いANCイヤホンを入手してみました。使い始めて、「うん、これだよこれ」という感じです。音質はピュアなどと比べるようなものではないですし、1000Xの方が量感たっぷりでしたが、クリアな音質で悪くないかな、と思いました。

さて、来年ですが…今のところ何も買う予定がありません(汗)。理由として家庭の事情とか色々あるのですが、それ以外にもいよいよ20年選手になるスピーカーをなんとかしたいなあ、という気持ちから少しお金を貯めようと思っています。ちなみに候補は現時点でTAD-E1TXあたりを考えてはいますが、現実にはいつになるかによって購入品は変わることになろうと思うので、「その辺の機種を目標に」、まずは実現に向けてクリアすべきことをクリアしようと思います。

令和元年も暮れて…

ご無沙汰してます。と言っても、誰も見ていない…いや、暫く放置していたらいつの間にかここが表示されなくなっていて、しかし忙しくて結局そのまま放置したままだったから、誰も見られなかった状態だったわけですが。

気付けば令和初の年も暮れて…、例年通り家の中を大掃除したり、年賀状を書いたり、正月飾りを設置したりと、まあそれなりに正月を迎える準備をしているのですが、今年ほど年末の実感が乏しいのは珍しいかもしれないです。何だかとにかく忙しかったのですよね…。

そんな忙しかった日々の最中の九月末に自動車を乗り換えました。車種はS22#型クラウンで私にとっては初のトヨタ車になります。納車されて約3ヶ月が過ぎ…た実感は前述の年末の件と同様に乏しいのですが、満足度は高いです。静粛性の良さはもちろんなのですが、足回りが凄くいい。大きな入力があっても「シュタッ」という感じで軽くいなすし、車体が前後左右に振られず、ハンドリングも正確で運転しやすい。小刻みなコーナがある道路を走るのが楽しめるくらいです。相当にスポーティな走りで、クラウンというブランドネームから一般的に想像されるものとは違うような気がしますが、一台の自動車として見ればいい車だと思います。

しかし…、昔からの知り合いからすれば私がここまでトヨタ車をベタ褒めすること自体が想像できなかったのでしょうね。何しろ、学生時代は「私にとって自動車選びとは2つしかない。日産車かそれ以外か、だ。」などと豪語するほどの日産党でしたから。しかし、今の日産車には魅力的なものがあまりにも見当たらない…。ちょうど、V37スカイラインのマイチェンの発表前後で、そちらも少し考えましたが、知人の乗っている前期型に同乗させて頂いたところ乗り心地があまりにもドライバーズカーに寄り過ぎていることや後席が狭いこと、マイナーチェンジによりむしろプレミアム感がスポイルされたこと(Vモーショングリルになって欲しい、という声が市場にあったとは到底思えないのです)から食指が動かず、さらに言えば、色々「古いな」と。2014年発売ですから率直に言えば「1世代前の車だよなあ」と思いました。

一方、クラウンを買うのにも「日産党としてトヨタ車を買うのは裏切りであり、敗北でもある」という抵抗感が少なからずあり、さらにクラウンというと「高齢者が乗る車だよねえ」という印象もあって、どちらかと言えばトヨタ党の家内をもってしても当初は「えー、クラウン…?」、「地方の農家の高齢者が乗るイメージ(失礼!)」などという感想を述べていました。それ故、2回もMEGAWEBにクラウンを見に行ったりして、時間を掛けて検討をしました。で、いよいよ意を決してトヨタディーラーに行き、試乗…。アクセルをひと踏みして「うわ、なんて静かな車なんだ…」と思い、その後前述の通りハンドリングの正確さに驚いたのでした。

これまで乗っていたE52エルグランドもいい車でした。ミニバンであることを考えれば十分な走行性能を有していましたし、個体としてもトラブルは全くといって良いほどありませんでした。しかし、転職以降自動車で通勤するようになり燃費の悪さが気になり出したのと、重心の高さゆえに大きな入力が来たときに車体全体が揺さぶられる感覚がどうしても好きになれず、昨今の先進運転支援システムへの興味を含め、今般の買い替えを決めました。ただE52エルグランドとは色々な思い出があって、最後の日はとても寂しい気持ちになりましたね…。

と、何だか取り留めがない話になってしまったのでこの辺で止めますが、今年あった個人的には大きな出来事の一つとして、今更感はありますが記録に残したいと思い記した次第です。今年の総括は明日大晦日に書く「かも」しれません(汗)。

セピア色の写真の向こう側

先月末に高校時代に所属していた部活動の諸先輩がたとおよそ20年ぶりにお会いする機会があり、それ以来グループチャットでその日出席されなかった方々の近況や、思い出の写真や品々などを可能な範囲で共有したりしているのですが、私も試しに自宅のクローゼットを引っ掻き回してみたら、当時撮った写真のネガフィルムが出てきたので、今日、フィルムスキャンのできるフラットヘッドスキャナを入手して、取り込んでみました。

で、取り込んだものを見て懐かしい思い出に浸れるかなあ、などと思っていたのですが、取り込んだ写真の退色が想像より進んでしまっていたことや、それらの写真に写り込んでいる様々な場所・背景が自分の記憶から既に消えてしまっていたことに気づき、懐かしい、と言うより「もう本当に昔々の出来事に…遠い日のことになってしまったんだなあ」という気持ちになり、むしろ当時の思い出から突き放された気持ちになってしまいました。

一方で、「当時の自分に戻りたいか?」と自問したところで、「もし、やり直せるならやり直してみたいことはたくさんあるけれど、ただ、また同じことを繰り返すだけなら勘弁だなあ」とも思ったりもしたわけで、結局のところ今にそれほど不満もなくなっているのかな、とも思ったりもしました。

当時できて今はできなくなっていること、逆に当時はできなくて今はできること、それぞれ一長一短とは思いますが、今はできることを精一杯頑張ることが私にとって一番幸せなのかもな、と改めて感じた次第です。

「平成」時代の終わりに

元号が「平成」から「令和」に変わることで、自分や社会が大幅に変わるわけではありませんが、時代の1つの区切りとして何か書き残そうと思い立ちまして、筆をとりました。

平成の始まりは私にとって高校への入学の年でもありました。義務教育と言う名の「社会が用意してくれていた道」を歩み終え、自分のやりたいこと、やるべきことを自覚しながら歩き始めた時期といって差し支えないと思います。
そこから今日までの出来事を年単位で書き出してみたり、いくつかの過去の記録を読んでみたりすることで、改めて自分なりの「平成」を振り返ってみました。すると、本当になりたい自分の姿に向かって邁進し、時々壁にぶち当たりながらも、決してスマートではない方法ではなくとも、なんとか克服しているように見えました。ただ、そのなりたい自分の姿というものがどちらかといえば過去のコンプレックスの克服という後ろ向きなきっかけであったことが、その後の自分の人生を大きく遠回りさせたことにも繋がっているように感じました。

そして、それは最近まで続いていました。

もちろん、生きていくためには後ろばかりを向いてはいられませんから、普段は出来るだけ目の前を見ながらも、しかし、その道筋はあくまでも「過去」の反省と後悔を「現在」で上書きすることが主となっていたがため、時にはそれが不可能であることから「過去」への執着を生み、場合によっては「未来」への歩みを止めかねない事態を繰り返していたとも言えます。

幸いだったのは、昨年秋にそれがもう既に自分にとって無意味なものであることに気付かされたことでした。過去の自分のコンプレックスの克服が終わり、「もういいだろう?」という気持ちが芽生え、それが自覚できるようになったのです。そう考えると、平成という時代は自分にとって「自分で自分の道を切り拓くため、昭和の自分を清算し、彷徨いながら前に向かう」時代だったのかもしれません。

令和時代が自分にとってどのような時代になるかはまだ分かりません。もしかするとまた前の時代を清算し続けることに(結果的に)なってしまうかもしれないし、新たな困難に苦しむことになるかもしれない。しかし、過去の清算を終えたと実感できる今、これからは「平成」の様々な経験や思い出を糧にして、自分の本当にやりたいことを実現すべく頑張れる時代にしたいと思っています。

CDプレーヤを買い換えました

このブログのエントリーは春先から小中学生時代に関連する話ばかりで、今読み返すと「色々病んでいたのかも…」と思わざるを得ない状態だったりしたわけですが、実はその後色んな気づきがあって、最近はその件は割とどうでも良くなり、またオーディオ方面へ気持ちが向いてきました。

そのような中で改めて課題として挙がったのは「今後、良質な音源として何に軸を置くか」と言うことでした。これまでのメイン音源であるCD(と、そこから取り出した音源ファイル)については大きな不満はないにしても、なんとなくそれ以上の期待もあまり出来ない気がしてきたので、新たな方向性を得たいと感じ始めていたのでした。具体的には「アナログ盤」か「SACD」か、と言うことになります。

昨今、ピュアオーディオ界隈に於いては、アナログ盤がブームなこともあってか音源として選択されている例が少なくなくそちらに進むのも有りと思う反面、元々父がアナログ盤のコレクターなので、個人的にはなんとなく今更感があり、一方でSACDは14年前にDP-67を購入した際「これからはファイルオーディオ(ネットワークオーディオ)が主流になる」と敢えて切り捨てた部分もあったこともあり、それはそれで時計の針を戻すような気持ちもあってなかなか選択し切れない状態でズルズルと…と言う状況でした。

そんな中で、某中古店でAccuphase DP-900単体がなんとか手に届く価格で販売されていることを知り、勢い余って調達することに。当初は「将来いずれ同社DP-750新品を」、と思っていたものの、手元にDC-37があることを考えると「またこれだけの額をSACDのためだけに支払うのには抵抗がある」と気持ちも少なからずあって、程度の良いDP-900中古も選択肢としてはなくもないな、と思ったが故の行動でした。見た目に限っていうなら良くも悪くもAccuphaseデザインで、DP-67から変更しても殆ど違和感がなく、まるで以前からそこにあったかのような佇まいです。

さて、到着後に色々試聴してみて、SACDについては当然CDより音が良く、十分期待していた効果が得られたのですが、想像外だったのはCDの音が激変と言って差し支えのないほどに向上したことでした。

そもそも出音が全然違っていて、高域は極めて繊細な描写をするようになったり、低域も十分な押し出し感とさらに低い音域が高い解像度を伴って表現できるようになるなど、明らかなグレードアップを感じたわけですが、それ以上に驚いたのは「静寂」が表現できるようになったことでした。ここでいう「静寂」とは無音を意味するわけではなく、楽曲中のちょっとした間であったり、演奏開始直前のわずかな(電気的ではなく、収録現場で生じた)ノイズを指すわけですが、こういった極めて微々たる音でも拾い上げ、表現できるようになったのでした。それによってリアリティが格段に向上したことに気づき、思わず唸ってしまいました。

今回買い換えたのはあくまでもSACD/CDトランスポートであって、扱っている信号は全てディジタル領域のものだから、これまでのDP-67とNP-S2000をトランスポートとして使用した時の音質差と同様に多少は変わることは想定できるものの、その変化量は微々たるもので、ブラインドであれば識別することは困難なレベルに留まるのでは…?と高をくくっていたのですが、それが完全に誤りであること今回気づかされました。

いやー、これは本当に参った。ディジタル領域のそれは投資を掛けても変化量は少なく、費用対効果は良くないと思っていたが故、敢えてそこにはあまり手を入れないで来たのですが、今回の件をきっかけに考え方を改める必要がありそうです。

5年ぶりの中学の同窓会

去る8月12日、5年ぶりに中学校の同窓会がありました。

これまで中学校時代の同窓会といえば参加人数が3桁規模の大々的なものだったのに対し、今回は色々事情もあったそうで、30名足らずのこじんまりとしたものでしたが、そのお陰でこれまで何度か同席していたにも拘らずなかなか話をすることができなかった人とも話をすることができ、とても有意義でした。例を挙げると、Sくん、Tくん、Yくんは、当時ですら殆ど話ができていなかった(当時はなんとなく怖い雰囲気があった)のが、今回色々話を聞けてとても嬉しかったです。何よりも彼らが見た目よりずっと優しい人だったと知ったことが自分にとっては大きな収穫でした。他にも、卒業以来お会いすることのなかったNくんに再会できたことも僥倖でした。

そんな書き出せば枚挙にいとまがないほど楽しいひと時の中で、特に印象的だったことはYさんと当時の話ができたことでした。Yさんは中学2年生の頃の同級生で、クラスメイトだった当時は特に仲が良かったとか異性として興味があったとかそういうことはなかったのですが、間接的に不思議な縁があった人だったのでした。


私は中学2年生の頃、とあるきっかけで隣の中学校(私の転居前の自宅の学区の中学校で、また当時、件の幼馴染の通っていた中学校でもあります)に通っているSさんが好きになってしまい、そのことでクラスや部活動メンバー、はたまた通っていた学習塾でも色々騒ぎ立てていたのですが、そのおよそ三週間後、Yさんはその隣の中学校に転校することに。「なぜこのタイミングにそこへ転校!?」と愕然とした私でしたが、そのさらに数週間後にクラスメイト経由でYさんからメモ書きをもらいました。そこには「最新情報!?」としてSさんが一ヶ月後に都内に引っ越してしまうこととあわせて「告白するならお早めに」的なことが書かれていて、恥ずかしやら嬉しいやら悲しいやら、複雑な気持ちになりました。ただ、この件は結局自分がまだ幼くてそれ以上の進展は特にありませんでしたが…。

それからおよそ二年後の高校時代、私はMさんという女子に思いを寄せるようになり、告白までしたもののなかなかその気持ちが届かなくてヤキモキしていたのですが、実はそのMさんが私からの告白直後にアルバイトでYさんと知り合いになり、私のことをYさんに相談したそうで、その際Yさんは、前述の中学時代の協力のことや、私について「あの人は悪い人ではないんだよ」、「大切にしなね」とMさんに言っていたことを、Mさんと付き合い始める直前に聴きました。まさか、またもYさんがこんなところで私の恋沙汰に協力してくれていたとはね…と驚くとともに、いつか再会する日があったらこのことのお礼を言いたいな、と思いました。


今般、それがおよそ29年越しに叶ったわけですが、まあ当然というかYさんはそのことをすっかり忘れていたようです(汗)。まあ、そんなもんだよねえ。

ただ、Mさんのことはともかく、割と最近まで自分の中で黒歴史として封印し続けていたSさんの件をこうやって素直に話せるようになったのは、いつぞや幼馴染の件で色々あって、当時のことを思い出した上でそれが自分の真の過去だと素直に受け止められるようになったから、ということだったりして、偶然とはいえタイミングがよかったのかもなあ、と思いました。

なお、Yさんは私の幼馴染について、転校後同じクラスなだけでなく「席がちょうど前と後ろだった」とのことでとてもよく覚えていて当時のエピソードも少し聞くことができ、後日そのことを幼馴染にメールを伝えたところ「Yさんは転校前の中学校に戻りたがっていた。実際にその中学校に行ったこともあった」というような返信を貰いました。それを読んで私は「そんなことあったっけ?」と思っていたのですが、その直後に当時のクラスメイトから貰った中学2年時のクラスの集合写真に既に転校したはずのYさんの姿がしっかり写っていて、「ああ、こんなところにも私が忘れていた過去と真実があったのか」と今更ながらに思ったりもしました。

そんな、なんだか甘酸っぱいようなこそばゆいような思い出に一瞬とはいえ浸ることが出来たのが、今回の同窓会での最大の収穫だったのかな、と思っています。次回も参加したいから、それまで元気で頑張らないとな、と気持ちを新たに5年後を今から待ち遠しく思っています。

顛末のその後

3月末にやらかした(?)幼馴染の件のその後。
前回のエントリーを書いた直後にあるきっかけで連絡を取らざるを得なくなったことや、結局のところ、友達として仲直りしたいと思っているという気持ちには一点の曇りもありませんでしたので、色々引っくるめておよそ3ヶ月ぶりにメールした結果、当初思い描いていた、あるべき姿に落ち着いた感じです。
時間が解決したというより、結局は彼女の寛大な心のおかげのような気がしますけれど…(汗)。
改めてあの頃のメールを読み返すと、私は例によって春の嵐に飲まれていたみたいです。まあ、きっかけは分かっているのですけれどね。2年前にも同じ状態になってしまった時ときっかけ自体は全く一緒、違うのはその対象が妄想に留まっていたか、奇跡的にも現実として目の前に現れたかの違いですかね。
というわけで、もう二度とそのことをここで愚痴るようなことがないように今後は気をつけようと思います。

匿名との決別

というわけで、先の更新から1ヶ月間、色々あったのですが…(苦笑)。

前回のエントリーで書いた幼馴染の一件以来、どうもあまり良い運が巡ってこない感じなのですが、別にそれはその出来事のせいでもなんでもなくて、単に私自身が慢心し過ぎていて、それ故油断と隙だらけだったのかな、と思います。幼馴染の一件だって、結局は私が彼女のことを丁寧に扱わなかったが故だった訳ですし。

今般の事故で顔の左側の頰から額にかけて傷が出来、「人前に出るのすら憚れるほど酷い有様になった」と思い込み、一時は精神的にどん底まで堕ちてしまったりしましたが、逆にどん底まで堕ちてしまえば、あとは這い上がることだけ考えればいい。同じどん底に繰り返し堕ちないために、何が拙くてどう改善すればいいかを考える良い機会になりました。

そして得た結論は、結局大事にしていなかったのは何よりも今日の、今この瞬間の自分自身だったのだな、と気付きました。ここ数年、旧友や知人が若くして彼岸へ旅立つさまを立て続けに見、ついつい色々気持ちが焦るようになってしまっていて、あらゆることに結論ばかり急ぐようになり過程を楽しむことをすっかり忘れてしまっていました。

そして大切にしなかった、という意味では自らの本名もあります。
私は本名があまり好きではありませんでした。ちょうど、小学校に入学した頃にマッチこと「近藤真彦」氏が大ブレイクしていて、それ以来「一文字違いでこんなに違うのか」ということを直接言われたり、それっぽい態度を取られたりするなど不愉快な思いを長年していて、トラウマになっていたというのも少なからずあります。それと良くも悪くも確実に覚えられるので、そういう意味でも好きではありませんでした。

だから、ネット上では一部のSNSを除いては積極的に本名を出すのを控えていました。そんな中で「鳴沢大気」という私を識別し得るもう一つの名前は、知らない人から見れば実名と捉えられるという点で、いい隠れ蓑になっていました。しかし、その隠れ蓑こそが、自らを律することを疎かにさせ、ますます自らを貶めていることにこれまで気づかずにいました。

一方、昨今は「好きではなかった本名」のおかげで色々良かったこともあったな、ということにも気づきました。先日の幼馴染の再会だってそうですし、それ以外にも幾人かの旧友に会った際、私が私たる何よりの証としての本名を沢山の方に覚えてもらえていることが、デメリットではなくメリットであったことに今更ながらに気づいたのです。

そういったことを鑑み、これからは出来るだけ今の自分自身も大切にしたい、それが結果的に皆を幸せにできるのだろう、との想いから、「鳴沢大気」の名はこれを機に名乗るを止めます。本名を出すのはそれなりにリスクもありますが、メリットが上回るとすれば、あえてそのリスクを甘受する勇気も必要と考えています。

なお、ニックネームである「Marc’n」は、私のことをかつて「まーくん(或いは、まあくん)」、「まあちゃん」と呼んでくださった方がいたことから、どちらとも取れるスペルにしただけで、それ以上の意味はありませんが、そういう風に呼ばれることがとても気に入っていたこともあって、今後はそれなり使っていこうかと考えています。